ポイント

現代最高のメルヘンの語り手


Lisa Tetzner
私述 リザ・テツナー




「リザおばさーん、お話聞かせてよ!」

イタリアとの国境に近い、スイス・ティチーノ地方、ルガーノ近郊の村。
ルガーノ湖からの水気を含んだ風が庭の緑を触って、さやと部屋のレースのカーテンを揺らす。
風とともに部屋を浸す、その声の主は近所の子どもたち。
激動の時代を越えて、常に子どもたちの味方でありつづけた女性は、白くなった頭を上げて軽やかに答える。

「よく来たね。さぁ、今日はどんなお話が聞きたい?」



 リザ・テツナーという女性の名は、こんなシーンを思い浮かばせます。
 ナチス・ドイツの迫害に追われ、故国に還ることなく、スイスの一村で一生を終えた彼女の晩年が、優しく豊かなものであったと信じたいがためでしょうか。

小ポイント

 リザは1894年、ドイツ東部ザクセンのツィトウという町の裕福な医者の家に生まれました。しかし11歳の時、重い病気にかかり、足に障害が残りました。
 家族の反対を押し切る形でベルリンに行き、講座でスピーチや発声の方法を学んだ彼女は、やがてドイツの村々の子どもたちに民話やグリム童話を語り伝える活動を始めます。

 1919年、リザ25歳。まさにそれは“運命の出会い”。いつものように村で子どもたちに語り聞かせをしていた彼女の前に、彼は現れました。
 クルト・ヘルト、本名クルト・クレーバー。1897年、ドイツ東部の工業都市イエーナ生まれ。中学校を中退し、父のあとを継いで機械工になります。第1次世界大戦に従軍しますが、病を得て帰国。その後は、労働者の境遇や地位の向上のため、学校をつくったり、本を出版したりする活動に加わります。社会の矛盾、不正と闘い、ドイツからヨーロッパ、アメリカまで活動の足場は広がっていました。

 出会うべくして出会った二人は、共に「語りべ」の旅を始めました。リザは足の状態を悪化させてしまいましたが、そうした事態も乗り越えて、1924年、彼らは結婚します。

 1933年、ドイツにナチス政権発足。
当時、クルトは労働者運動の先頭に立って、政治や社会を批判する立場にありました。
39歳のリザは、ベルリンの放送局で、ラジオを通じて子どもたちに物語を聞かせる仕事をしていました。
クルトはナチスに逮捕されますが、リザの尽力で釈放されます。二人はすぐに南スイスのカローナへ亡命しました。結果、彼らの財産は没収、市民権剥奪、著作出版禁止が言い渡されました。
この頃、二人の友人でもあった、ノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンも亡命を余儀なくされています。
 1939年、第2次世界大戦勃発。1945年に大戦の終焉を迎えるまで、ドイツはナチスの支配下にありました。

小ポイント

 ルガーノ近郊の村カローナでの二人の亡命生活は、その日の暮らしにも事欠く有り様でした。
しかし、彼らは次々に子ども向けの本を書きます。戦争や圧政の時代に、一番影響を受け、そしてつらく悲しい思いをするのは子どもたちだからです。
 親を失った子、街路で生活する子、飢え、凍え、病に倒れる子…。
現実の苦しみにあえぐ子どもたちに、少しでも希望と慰めを。二人はひたすら“励ましの言葉”を物語に込めて書き続けました。
 そうして生まれたのが、スイスで1941年出版された『黒い兄弟』Die schwarzen Brüderであり、1944年に「エルウィン、スウェーデンに行く」から始まった(?)『67番館の子どもたち』Die Kinder aus Nr.67シリーズです。クルトもまた1941年、代表作となる『赤毛のゾラ』Die rote Zoraを発表しています。

 戦後も彼らは故国に戻ることなく、スイスの住民として暮らしました。
 リザは『湖畔の人々』、『私が美しかったころ』の著作の他、童話口述家として埋もれた民話を掘り起こし、『365日と1日のための世界童話集』Die schönsten Märchen der Welt für 365 und einen Tagや『民話集』も出版しました。

 1959年、クルト死亡。そして1963年、ヘルマン・ヘッセが“現代最高のメルヘンの語り手”と讃えたリザ・テツナーは、69歳で生涯を閉じました。
 死後、随分経ってから、ミュンヘンで記念展示会などが行われたようです。


小ポイント

作品紹介

『黒い兄弟』

 作者の前書きによると、スイス国立図書館にあった古い記録『小さなスイスの奴隷たち』から着想したとか。
 1830年頃、スイス・ティチーノ地方の山奥に住む貧しい農夫たちは過酷な生活から、子どもをミラノの煙突掃除に売りました。
 産業革命が進み、労働基準法が唱えられはじめた頃で、法律の枠外にいる子どもが労働力として求められた時代でした。8歳から15歳の、煙突の中に入ることのできる体型の子どもが、毎年のように売られていきました。
 ミラノでの彼らはボロをまとい、靴もなく、もし靴をはいていても、それは粗末で靴下などもっていませんでした。イタリアは南国とはいえ、北部のミラノなどは冬は冷え込みます。寒さにふるえ、食べ物もろくにもらえず、一日中「スパッツァカミーノ(煙突掃除)!スパッツァカミーノ!」と叫びながら路地から路地を歩くしかありませんでした。
 詰まった煙突は危険で、煙突内で窒息したり、火傷したり、身体が詰まって出られなくなることもあります。ひどい話では、仕事を急がせるため、暖炉で火を燃やし、煙突内の子どもを追い上げることもあったようです。また石炭や煤が気管支や肺を傷めるため、気管支炎や喘息そして肺病にかかりやすくなりました。特に“人間を食らいつくす病”と呼ばれた結核は、19世紀の医療では手の施しようがなく、煙突掃除夫に限らず炭鉱夫、工場労働者などが年若くして死んでいきました。

小ポイント

 リザ・テツナーが見つけた記録には、「売られた子どもたちは動物のように小船に詰められ、ロカルノからマジョーレ湖対岸のアロンへ運ばれた。そのうちの一隻が湖で転覆し、16人の子どもたちが溺死した」とありました。
 彼女は、ティチーノ地方アルプスの山奥ソノーニョ村に暮らす少年ジョルジョを中心に、ミラノへ売られた子どもたちの“現実”を描きました。
村で守られて育ってきた少年ジョルジョが、過酷な状況に投げ込まれたとき、戸惑い、泣き、絶望し、最後には“大人の都合”を打破する逞しさを身につけるさまを活写しました。
財産横領を狙う親族に殺されそうになり、妹を守るために煙突掃除夫に自らを売ったアルフレドに、大人の身勝手さに翻弄される子どもを浮き彫りにしました。また、「黒い兄弟」のリーダーであった彼に死の運命を与えたのも、未来ある子どもが無為に失われてしまう、その憤りをより強く印象づけたかったからでしょう。
ミラノにやってきた新参者を虐めるワルガキ団の存在と、それに対抗する「黒い兄弟」で、子どもが決して無邪気なだけの存在ではないことを書きました。ひとりひとりは弱くとも、団結すれば強くなる。弱い存在である子どもへ与える、生き抜く知恵でもあったでしょうか。
最後のシーンは、労働者に教育の必要を訴え、学校つくりに奔走した夫クルトを彷佛とさせます。

 「語りべ」であった彼女の作品の特徴でしょうか、シーンの繋がりや、事の起こる順序などが曖昧です。ストーリーの展開が、例えば“起承転結”のようには、はっきりしません。けれど、畳みかけるように起こる事件や逃避行はドキドキハラハラの迫力です。手に汗握る、敵に追われながらの長距離の逃避行は、子どもを飽きさせない常套手段なんだな、と納得できます。なにせ、アルフレドの逃避行と、ジョルジョの逃避行、2回も出てきますから。

小ポイント

 『黒い兄弟』は、日本アニメーション制作のTVアニメ『ロミオの青い空』として1995年1月15日〜12月17日まで全33話放映されました。話の展開を“起承転結”に整理した分、大変ドラマチックにロマンチックに脚色されています。特にロミオがアルフレドから本を読むこと、“世界”を知ることの楽しさを学び、やがて子ども達を教える仕事を望む過程は、原作以上に納得できました。
 私は、“受け継がれていく思い”に弱いです。『ロミオの青い空』はその典型で、偶然の出会いがロミオの運命を変え、失ってはならないものを失った哀しみが彼の進む道を決めました。自分の人生を賭けられるほどの出会い、他人がもつ意思への敬いと信頼。ほとんどの人が恐らくは知らないまま一生を終えるであろう、人間ならではの究極の幸せを得られたロミオを羨ましいと思います。アニメはそのあたり、なかなかツボに描かれていました。
 過酷なはずの煙突掃除夫が、そんなにしょっちゅう集まったり、作戦立ててたり、本読んでていいのか?という疑問は、ご愛嬌ですね。


表紙
Die Kinder aus Nr.67 Band 1 und 2 Lisa Tetzner Deutscher Taschenbuch Verlag

『67番館の子どもたち』

 それぞれ独立していますが、全部で一つの物語になっている9巻のシリーズで、『黒い兄弟』と同じくジュブナイルに属します。ただし、ナチス台頭からの時代を描いたもので、あまりに政治色をあらわにしているため、当時、子どもの本としては敬遠されたようです。
 ベルリンの67番館という共同住宅で、それぞれ家族と暮らすパウルとエルウィンという二人の少年の物語です。

小ポイント

 1-2巻の内容は、もっているのがドイツ語なので読めません(じゃなぜもっているというツッコミ可)。
 この1-2巻は1979/80年に、ドイツ連邦共和国で映画化されました。タイトルは"Die Kinder aus Nr.67 oder: Heil Hitler, ich hätt'gern'n paar Pferdeäpfel…"です。この映画のあらすじを辿ってみます。
 67番館の日当たりの悪い裏庭で、幼い頃から一緒に育ったパウルとエルウィン。二人は共に13歳のサッカー大好き少年です。二人はサッカーボールをひとつ買うことを目標に、臨時雇いのバイトをしてお金をためていました。しかしパウルは飢えをしのぐため、二人で稼いだ金の一部をパンとラードを買うのに使ってしまいます。
 それまでにもパウルの親の財政状態は問題になっており、ついには執行官が家に踏み込んだことも。
 パウルとエルウィンの友情に、67番館の住人は立ち上がり、バザーで何とかお金を集めました。
 それから半年後、二人の仲は壊れます。1933年、ナチス・ドイツが台頭してきたからです。
 パウルの父親はナチスに迎合し職を得ました。パウルもまたヒトラーユーゲントに入隊します。
 一方、エルウィンの父は反ナチス体制派でした。エルウィンのガールフレンドのミリアムはユダヤ人で、やがて伯母とドイツを去っていきました。

 監督兼脚本担当のUsch Barthelmeß-WellerとWarner Meyerの言葉を抜粋します。
「この架空の物語は、国家社会主義(ナチス)が浸透していく、その始まりを目の当たりにさせると同時に、ひび割れていった過去に対して教義的な答え以上のものを感じさせるでしょう。
 我々は、過去を克服しようと提唱するつもりも、活気をもたらそうというつもりもありません。あえて言うなら、過去の経験と現在は結びついているという、それを問題として投げかけたかったのです。
 あの過去に身を置いていたことは、子どもたちにとって、あたかも見知らぬ家に来たような、ひとつの異なった環境にいたような状態でした。子どもたちは見知らぬものに対して好奇心が強く、近付いて、何かを見い出したがるものなのです。そして、ひとりひとりがそういう同じ経験をしたという点で、彼らは類似の存在になっていったのです。
 パウルとエルウィンは、出来事を共に感じるだけでなく、経験することにより、お互い似通った存在になっていきました」(原文はドイツ語。訳文に自信がありません。正確に知りたい方は掲示板かメールにてコンタクトして下さい)

小ポイント

 3-4巻は、先に出版された「エルウィン、スウェーデンへいく」Erwin kommt nach Schweden.です。『自由への長い旅』(絶版)のタイトルで邦訳も出ています。
 なぜ3-4巻のみ邦訳されているのか。やはり他の巻は戦争・政治の話が濃いからでしょうか。日本人には受けないから? 確かに『スウェーデン』は、比較的冒険色が強い話だと思います。ベルリン脱出の話はドキドキものですし、ラプランドではトナカイの話とか遭難の話とか盛り上がりがあります。

 以下、『自由への長い旅』からです。ちょっとウロ覚えになっています。是非、国会図書館か児童図書館で読んでみて下さい。

 67番館はすっかり変わりました。ナチスの台頭後、67番館の鼻つまみ者だったパウルの父親は仕事にありつき、新政府派として街区全体のブロック長になりました。ちびで弱かったパウルも父親の権威を借りて、少年団の副リーダーになっていました。
 一方、労働党のメンバーで反ナチス運動にかかわったエルウィンの父は収容所送りに。仲間の手引きによって収容所を脱走した父は、妻ユンヒェンや子どもたちをベルリンに残し、長男のエルウィン一人を連れて、パリヘ脱出を図ります。子ども連れの方が怪しまれないからです。
 エルウィン・ブラックマンのパスポートの名前は「フリッツ・クンツ」。写真は暗い色の目に、暗色の髪。エルウィン自身は、青い目に赤毛で、「星座」とあだ名がつくほどのそばかすのある顔。道中、この違いで結構危ない思いをします。
 かろうじてパリに到着した二人は、ユダヤ系ポーランド人のミリアムと再会しました。
 パリに着いても仕事がない父は、暗い気分から解放してやろう(というより邪魔になって?)と、エルウィンをスウェーデン人の知り合いに預けます。
 ラプランドのユルドで、ミコライ少年とユルサという犬と仲良くなったエルウィンは、発見また発見の北の生活を楽しみます。ところが、トナカイの群れを追って部族が移動する途中、ソリから落ちたエルウィンは、雪嵐の中に取り残されてしまいます。エルウィンの不在に気づいたミコライ達が探しに来るまで、ひと晩。皆が絶望視した彼の命を救ったのは、ひと足早くエルウィンを探しにきたユルサの体温でした。
 肺炎を起こし危篤状態に陥ったエルウィンは、ヘリコプターで都市まで運ばれます。病院には父が待っていました。病床でただ母の名を呼ぶエルウィンを見て、父は大人の勝手で我が子をふりまわしたことに気づき、悔やみます。
 やがて長い眠りから覚めたエルウィンを迎えたのは、懐かしい母ユンヒェンの姿でした。
というような話だったと思います。

 さて、これ以降は不明なのです。ドイツ語訳の間違いを含めて、情報をお待ちしています。

小ポイント

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ぜひご協力ください!

絶版本を投票で復刊!


『メルヒェン12ヶ月 世界でもっとも美しい365日と1日のためのメルヒェン』

 間違いなく365日、1日1日に昔話や童話が1話ずつ付されています。物語の出典国も実に広範囲に及んでいます。抜粋してみましょうか。
12月1日  いつでも正しいのは自分だといい張った女房のこと(ユーゴスラヴィア)
12月2日  牧師夫人は魔女(ノルウェー)
12月5日  猿女房(インディアン)
12月7日  青いバラ(中国)
12月8日  こぶと小人(日本)→内容は「こぶとり爺さん」です
12月9日  スッパーラカ(インド)
12月12日  雪男(アラスカ)
12月15日  かさぶた頭(トルコ)
12月19日  利口なおじいさんのこと(リトアニア)
12月22日  貧しい男の賢い娘(ギリシャ)
12月25日  妖精の女王ヒルドゥル(アイスランド)
12月28日  チュイニス(ラトヴィア)
12月30日  地球一周の旅(エスキモー)
12月31日  十二の月(チェコスロヴァキア)→内容は『森は生きている』です

といった具合。もちろんドイツ、イギリス、デンマークなどは定番です。
そして最後に「口つぐめ」というドイツの物語がついているところが憎いですね。これで「365日と1日」というわけです。
 童話口述家であったリザ・テツナーの集大成ともいえる作品です。人が子どもに善悪や村の掟を教えるため、あるいは団欒の時の和みのお話として、おやすみの物語として伝えてきた、土の香りのする民話・童話たち。リザがこうしたお話たちに興味をもったのもわかる気がします。
 集められた物語はそれぞれの民族の心の味わいを伝え、1日1日ほのほのした気持ちになれます。クスッと笑えたり、時には「これでいいのか」と釈然としない気持ちになったり。でも短いお話のなかに、いつに間にか入り込んでいる自分に気づきます。
 文字で読むのではない、語り継がれてきた物語にこそ、人の営みの本当の面白さが隠されているのだな、と再認識できる、そんな物語集です。




 これまでに日本で出版されたテツナー名義の本は、以下のとおりです。ただし、どれも絶版か絶版に近い状態です。
『黒い兄弟』(上)(下)  リザ・テツナー著 酒寄進一訳 ベネッセコーポレーション
             1995年刊
『黒い兄弟〜ジョルジョの長い旅』 リザ・テツナー著 酒寄進一訳 福武書店
             1988年刊
『メルヒェン12ヵ月 世界でもっとも美しい365日と1日のためのメルヒェン』1月篇〜12月篇 全12巻
            L・テッツナー編 飯豊道男訳 未來社
             1987〜1988年刊
『シンデレラ・ガール』 L・テツナー著 塩谷太郎訳 金の星社 文学の扉 
             1984年刊
『自由への長い旅』   L・テツナー著 塩谷太郎訳 岩崎書店 岩崎少年文庫
             1972年刊
『チロルの夏休み』   テツナー著 山口四郎訳 あかね書房 あかね文庫
             1960年刊
すべて児童書に分類されています。

2002年9月、『黒い兄弟』が再版されました。

黒い兄弟1    黒い兄弟2

『黒い兄弟』(上)(下)  リザ・テツナー著 酒寄進一訳 あすなろ書房 A5判 各1800円(税抜)


参考書籍:『黒い兄弟』(上)(下)  リザ・テツナー 酒寄進一訳・解説 ベネッセコーポレーション
      『自由への長い旅』   L・テツナー 塩谷太郎訳・解説 岩崎書店
      『メルヒェン12ヵ月 12月篇』 L・テッツナー編 飯豊道男訳 未來社
      『赤毛のゾラ』 クルト・ヘルト 渡辺芳子訳・解説 福武書店
      Die Kinder aus Nr.67 Band 1 und 2 Lisa Tetzner Deutscher Taschenbuch Verlag
参考サイト:BJF-Clubfilmothek "Die Kinder aus Nr.67 oder: Heil Hitler, ich hätt'gern'n paar Pferdeäpfel…"

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Wrote 4 August 2001

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