Wandering Wonder
A. I.
ARTIFICIAL INTELLIGENCE
2001アメリカ ワーナー・ブラザース映画 監督・製作・脚本 =スティーブン・アラン・スピルバーグ 製作・原案=スタンリー・キューブリック 原作=「スーパートイズ いつまでもつづく夏」 ブライアン・オールディス 音楽=ジョン・ウィリアムズ | デイビッド=ハーレイ・ジョエル・オスメント ジゴロ・ジョー=ジュード・ロウ モニカ=フランシス・オコーナー 他 |
CIRRUS PARTICLE DECIBEL SOCRATES DOLPHIN HURRICANE TULIP WARNING: Do not activate the seven word code if you have any doubts about your feelings. This code is permanent and irreversible. 警告: 決意を固めた者のみ7つのキーワードを入力すること 一度作動させたキーワードはリセット不可能 |
2時間20分ほどの長丁場、「こうなるだろう」という予想をいい意味で裏切り続けてくれる映画です。 スピルバーグの監督作品だから『ジュラシック・パーク』や『E.T』のような娯楽モノかな、と期待すると肩すかしを食らいます、多分。 映画館ではスケールの大きなSFX映像とストーリーにのって「ふん、ふん」と観ていられますが、後から思い返すと臓腑をえぐられるような気分がします。今、ちょうどそんな気分です(笑)。 ざっと思いつく見所は、SFXがすごい、ジュード・ロウはじめとする人間形態ロボットに扮した俳優の演技がすごい、ストーリーの展開がすごい、未来ものなのにレトロスペクティブ、ロボットの一途さに泣ける…などなど。チェックポイントは多いですね。 ではテーマはといいますと、『2001年宇宙の旅』並に難解で、いろんな解釈ができると思います。 今から書きます私の感想も一面しか捉えていません。 見た方それぞれ「面白い」「素晴らしい」「ひたむき」「えぐい」「退屈」「冗漫」など千差万別の感想をもたれるでしょう。 アメリカ公開でもboring(退屈な、うんざりする)って感じる人もいたようですから。キューブリック作品って、絶対素直に感動させてくれないんですよね(笑)。 手塚治虫のアトムなど、人間と近しく親しいロボットが出てくる作品に子供の頃から慣れている日本人の方が、この作品に入り込みやすいのではないかと思います。 さて、以下は私感です。 さすが『2001年宇宙の旅』のキューブリック監督の“遺作”。『2001年〜』がSpace Odysseyなら『A.I.』はMacrobian Odysseyですね。 ギリシア神話の「ピュグマリオン物語」から『ピノキオ』が生まれ、ロボットSFが隆盛したように、実に有史前から人間は「人造物に魂は宿るか」というテーマに重大な関心をもってきました。 『A.I.』もまた、このテーマに挑んだ一作として長く語られる作品となるでしょう。 『A.I.』のデイビッドは童話『ピノキオ』に登場する、導き手であるブルーフェアリーを求めます。彼の望みはピノキオと同じでした。 Please make me a real …real boy. 「なぜ、彼がこう願ったのか」が物語の大きなポイントであり、その終末は私には「怖い」ものでした。 ♠ フリーズすれば「あ、拗ねた」とか、システムエラーを起こせば「何が気に入らないわけ?」とか怒ってます。機械とわかっていても、なんか擬人化してしまってるわけです。 ソフィアにしてみれば、ユーザーが間違ったコマンドを押したから、CPUにトラブルが起きたから止まっているにすぎないんですが。 ではユーザーインターフェイスをよりスムーズにするために、「間違ったコマンドを押したよ」「メモリが足りないよ」とソフィアが話しだしたとしましょう。多分、私にとってソフィアは機械以上の“友人”になると思います。 会話プログラム「イライザ」そしてAIBOのように、機械はコマンドどおりに動いてるだけでも、人間は反応を返してくれる相手を、自分に好都合に“友人”扱いしてしまうわけです。それはまるで“生き物”であるかのように。 デイビッドは、この人間の識域の微妙な境に存在するロボットです。機械だけれど、行動も発言も“人間”に思えるのです。 目的に向かってフローされる機械信号の流れを「思考」と言い、中でも一番“ロマンチック”な方法で目的を達成した機体を、人間に近いとして「成功作」と呼ぶ。この人間の意識の容易な変換は何なのでしょう。 「人間になれ」と要求し、達成したならあくまで機械として「成功」という。人間とは誠に業の深い生き物だ、とつくづく滅入ります(笑)。 こんなにも自分勝手で不合理な主人に仕えるロボットに「ご苦労さま」といいたくなります。 私は「自殺する」ロボットは怖いです。命令を達成すれば「満足感」を得て機動停止するロボットも怖いです。 デイビッドにインプットされたコマンドが、特定の人物に「仕えよ」なら問題はなかったでしょう。けれど、彼にインプットされたコマンドは、ある人を「愛せよ」でした。 人間にとって「愛」とは何でしょう?究極「その人の幸せを願うこと」なのでしょうが、では「愛の証し」とは?ロボットは「何」をもって「命令(愛すること)を達成した」と解すればいいのでしょう。 キーワードは“I love you.”でしょうか。 『アンドリューNDR』のアンドリューも、『メトロポリス』のティナも、ジャック&エレナも…ロボットはこの言葉に弱いですね。あ、人間もですか。 A.I.、ローマ字読みすれば「あい」。Artficial Intelligence(人工知能)は「あい」の頭文字をもって生まれてくるのですね。 世紀を超え、愛する人が死に絶えても“愛”を求め続けたデイビッドの運命は、哀しい「幸せ」に終わったと思います。 人間が夢みた“永遠に変わらぬ愛”は、確かにロボットが伝えてくれました。 ♠ 『A.I.』では、ロボットは3K職に従事しているようです。だから、銃弾に撃たれた警官ロボットや壊れた溶接工ロボット、不要になった子守りロボットが、破棄され浮浪しています。 これらロボットにはサバイバル(自己修復)機能が組み込まれています。壊れて浮浪するロボットは、屑鉄置き場で、自分の規格に合う腕や目や足やらを探します。所有を解かれ、働く当てもないのに。 そうした浮浪ロボットをジャンク屋が狩りたてて、Flesh Fairに連れていきます。 そこはロボット処刑場。ロボットを「人間を惑わせるモノ」として、回転するプロペラにぶつけてバラバラに分解し、四肢を引き裂き、酸をかけて溶けていく様を見せ物にする祭りの会場です。 ステージではロックバンドが扇情的な音楽を流し、1体また1体とロボットが破壊され、観客が熱狂します。 檻から場内に出されるロボットたちは抵抗しません。ただ「この片腕を取り替えてくれたら、まだ働けるよ」と平淡な口調で、人間に語りかけるのみです。 昔は一般的だった犯罪者の公開処刑の情景に似ていますが、違うところはロボットは悪事は犯しておらず、人間に逆らわない点でしょうか。ついでに自己修復機能があるということは、「稼動する(生きる)こと」が最優先事項としてプログラムされてるということ。「稼動せよ」と命じられたまま、破壊されるわけですね。 人間に近付けてロボットを作る一方で、人間に似た姿で人間を惑わせ、人間の尊厳を冒すモノとして破壊する。未来、ありえそうな光景だと思えるところがまた堪りません…。 このシーンこそ、臓腑を抉ってくれた元凶です。 ♠ さて未来、我々はロボットとどういうつき合いをしていくのでしょうね。 この映画は、来るべき未来を考えさせてくれる映画です。思考の深みにはまってしまえば、どこまでもずぶずぶ沈んでいけます(笑)。 |
参考サイト:会話プログラム「イライザ」について 「HOTWIRED JAPAN」WIRED NEWS 「AOLユーザーをだます人工知能ソフト」 |
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Rewrote 16 July 2001
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