Dairy for Paranoid

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03.12.30 Sun.  遠い後悔               2004.1.23 2:08
 母の従兄が亡くなったと連絡があり、横浜での御葬式に参列するため、朝早く父が出かけました。私が東京から横浜へ寄って、名代として参列してもよかったのですが、故あって、私の実家がその方にとっても実家という感じだったので、やはり当主が行くべきだろうという話になったらしいです。

 12月30日といえば、お墓参り。車で7分ほどのところにある先祖代々の墓は、毎年、父が車で参っているのですが。今年はさすがに父は無理です。なので、私が歩いて行くことになりました。6束の花束とバケツとひしゃくと線香などを持って、おっちらおっちら神戸方面に歩きます。徒歩だと30分は優にかかちゃうんですね。
 お墓までの道のりは、昔は田畑の中の畦道でした。むっとするようなキャベツやダイコンの葉の匂い。さやさやと揺れる稲の穂。水路がいくつも通っていて、夏にはホタル狩りなどしたものです。
 今では広いアスファルトのバス道を中心にマンションや住宅、喫茶店、ビデオショプ、スーパー、クリニックなどが並ぶ、どこにでもある郊外の住宅地になってしまいました。それでも、家の屋根の向こうに鎮守の森がこんもり見えたりして、変わらないものもあると知らしめてくれます。
 2時間ほど先祖代々のお墓3基と戯れたあと、昼食をとって、今度は遠縁と祖母の実家の墓参りに人丸山へ。こちらはここ近年の私のノルマですので、慣れたもの。と、思いきや、遠縁の方のお墓の水入れがぱっくり割れているではありませんか! えらいこっちゃと徒歩15分の道のりを引き返し、家から当座の代用にガラスのコップをもって、またお墓に戻りました。……いや、仏さま関係で何が怖いって、「水がない」ことなので。
 夕方になる前に墓参り関係は終了。日が落ちてから墓に参るのは御法度なのです。墓石を磨いたり、雑草を抜いたり、水も使って冷えきって、なかなかハードな1日でございました。


 亡くなった母の従兄は、岡田弘といいます。よく「ひろし」と読まれますが、正しくは「ひろむ」です。日本映画新社に所属し、映画館で映画本編の前に上映されたニュース映画のカメラマンでした。もちろん、時代が時代ですから、大平洋戦争の戦況のニュース映画も撮っていました。

 ドイツのUボートに並ぶ名潜水艦と謳われた「伊号」がドイツとの作戦のために航行した際、乗船。インド洋で爆撃され、潜水可能域を越えて潜水したりもしながら、ようようフランスのロリアンに到着。そこで下船し、復路は飛行機を使ったそうです。「伊号」(伊30?)自体は日本に帰還途中、触雷し沈没しました。
 兵役は満州で、工兵として砲台を扱ったそう。カメラマンとしてはラバウル、レイテなどに従軍したと聞いています(このあたりは記憶を辿って書いてますので、もしかしたらガダルカナルだったかも。実は随分昔に資料をいただいたのですが、トランクルームに……)。

 『大平洋戦記』(1958)の構成・編集、『巨人軍物語』(1958)のスクリプター、『ニイタカヤマノボレ 日本帝国の崩壊』(1968)の脚本・構成・編集などに名前があります。特に『大平洋戦記』で、 芥川比呂志 がスクリプター、芥川也寸志が音楽を担当してくださったのは「岡田が撮ったものだったから」とか。黒澤明とも懇意で、黒澤監督の死の前日も一緒に飲んでいたとか。戦後すぐに、戦況を撮った彼のフィルムがかなり私の実家に置かれていたとか(何のためだかわかりますよね)。
 母の思い出話の中の岡田氏は、写真を撮るとき、「目線はいらない。自然に動いていて」が口癖だったようです。常に画像の構成を考えながら、風景を見ているようだったとか。実際、母を撮った連続写真は、そのまま映画フィルムにすれば、ひとつの小話ができそうなものだったそう。ついでに書くことが苦にならない人で、撮影する前に、どのシーンを撮ってどう構成するという、いわゆるコンテを常に切っていたとか。

 抜擢されて、Mobile社の社員教育用に撮った「日本を紹介するフィルム」が、ヨーロッパの広告映像の賞で銀賞を取ったとか。海外に拠点を構えるMobile社では、社員に各国の文化などを理解させるためのフィルムをそれぞれの国の映像作家に依頼していたそう。その「日本」のフィルム作成を依頼された岡田氏は、いろいろな国から集められた社員が見るのだから、いろいろな言語に翻訳されるだろう。翻訳によってニュアンスが変わってしまうくらいなら、いっそナレーションもセリフもなしで、ただ音楽を流すだけの作品を構想。短い尺の中で、日本のさまざまな伝統工芸の職人技を撮ったのでした。言葉が主体だった当時の映像としては、画期的だったようです。

 このMobile社のフィルムを探しています。どなたかお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませ。よろしくお願い申し上げます。


 さて、なぜここで「弘おじさん」(と、私や弟は呼んでいました)のことを書いたかというと、私に心残りがあるからです。従軍カメラマンとして激戦地を転々としたおじさんは、戦争反対派でした。たぶん私が中学生になったころだったと思います。1通の分厚い封書が届きました。それはおじさんからで、中には戦争の資料が束で入っていました。便箋には「戦争の事実を知り、二度と戦争を起こさずにすむよう学んでほしい」とありました。
 ところが、当時の私はほとほと「戦後教育」に嫌気がさしていたのです。私たちはたぶん、日本中が戦争反対の教育に燃えていたころ、学校に通った世代だと思います。修学旅行は広島か長崎。原爆ドーム、原爆資料館、平和の像のうち、どれかは必ず目にしており、「原爆のうた」をソラで歌える世代です。
 当時はアメリカとソ連の「冷戦」の時代でした。だからおじさんへの返信に、私はこう書いたのです。「すでに、いつ核のボタンが押されるかの時代です。人間対人間の戦いであった過去の戦争に何を学ぶことがあるでしょう。戦争反対を唱える間に、一瞬にして灰になる、このような時代に守るべき本当の平和などありません」。
 いやもうすげえイヤな子どもでしたね。これっきり、おじさんと私の間では戦争の話は出なくなったのです。

 今の日本を含む世界情勢を見れば、「ボタンひとつに脅える」というのもSFみたいな話で。やはり人間対人間の戦いなのだと、過去に学ぶことは多いとしみじみ実感しています。特にNHKで放映されていた『映像の世紀』を見るとですね。
 そして、『映像の世紀』の中にも弘おじさんが命がけで追い続けた映像があったやもと思い。それが実家の祖母や母の元に隠しおかれていたものかもしれないと思い。
 またひとつ、生涯溶けることのない後悔を抱えることになったのでした。

03.12.29 Mon.  仕事納めとコミケと泥棒と        2004.1.22 2:05
 本日、校正が戻ってくるはずのページ。電話をかけてみたら、担当の方は15時から16時に出社されるとのこと(一般企業はもう年末年始の休みに入ってますからね)。
 ただ今、12時。本日の私の仕事はこれだけ。これだけ片づけたら、実家へ帰る予定でした。思わぬことで3〜4時間ほど、空きの時間ができてしまいました。そこで思いついたのは、東京ビッグサイト。本日は「コミックマーケット65」、通称「冬コミ」の2日目で、知り合いの方が何人か参加されているはず。

 これが以前出かけた夏コミのように、行くだけで2時間かかるとかだったら、考えもしなかったでしょうが。なんと下北沢から渋谷経由で国際展示場までは33分で行けるのですよ! うひょう! そんなわけで出かけることにしました。いや、サボリなんだけど。ほら、仕事のための取材だったり。市場調査だったり。ねっ。ねっ。決して、あるサークルさんとあるサークルさんとあるサークルさんにお会いしたかったからとか、某漫画家さんの同人新刊がほしかったからとか、某『GetBackers』でちょいとほしい本があったからとか、そんな身勝手な理由だけじゃないから。うん(笑)。
(仕事抜け出してコミケ行ったの、もうあちこちにバレてるので、すっきり公開(笑))。


 相変わらずバカでかい東京ビッグサイトで、CD-ROMから打ち出した今いち不鮮明なマップを片手に、ウロウロしてみました。まずは東館のA番サークル(すなわち壁サークル)をチェック。15年ほども前に知り合ったサークルさんが今も健在で活動されているのを見て感心したり(ジャンルは変わってましたが)。気になったサークルさんでは、並んで同人誌も購入しました。マンガと小説(2段組)でA4判250ページ近いもの2010円也とか。読みごたえ十分です。

 それから『GetBackers』があるはずのマガジン島に行ったのですが。その辺に行って見ればわかるだろうと、きちんとマップを作ってなかったもので(なにせ思いつきの行動ですから)、買いたいと思っていたサークルさんになかなか行き当たりませんのことよ。
 そんなとき、サークル名とスペースNo、委託も含めた販売物リストを自スペースに掲げてくださっているサークルさんはありがたい存在でした。目的の本があるとわかれば立ち寄りやすいですし、自分が今いるのがどこだというのもよくわかりましたし。
 ちょろちょろと覗いては、「たしかココなんだけど?」と机上にウロウロ視線を走らせていた、黒コート、黒帽子の不審なおばさんは私でございます(笑)。いくつか目に止まったものを購入させていただきながら、ようやく到達した目標サークルさん。お友達がいらしていたらしく、楽しくおしゃべりされているのを邪魔するのもなと、後方で並んで待ってみました。おしゃべりしながら、その方が購入されたのはなんと2冊しか残ってなかった新刊の2冊とも! うぎゃああああ〜! 新刊もう1種はまだ積んであったので「よし」だったのですが、なくなったほうの本が目当てだったのです。ここまで来てなんとも悔しい! なぜもうちょっと早く辿りつけなかったんだ、自分! おや、そこに見本用にビニールがかけられ、値札が書かれた1冊が残っておりますよ。すかさず「この見本誌、買わせていただいていいですか?」と尋ねたら、快くビニールや値札をはずして売ってくださいました。よ、よかった〜。
 とりあえず、午前中に完売したらしいコピー本2種とうっかり忘れた1冊(バカだ)以外、「ほしいな」と思っていた6冊はGET! つか、なんか冬コミを個人的にひじょーに楽しんでませんか?>自分(苦笑)。

 そのあと、知り合いの方の新刊を買いに小説島へ。「委託」とお聞きしていたので、まさかご本人がいらっしゃっているとは知らず、お姿を拝見してびっくり。お忙しい中、ちょっぴりお話できたのがうれしかったです。「パワー補給に」とチョコレートをいただいたり。またイベントで食べておりますよ、雑文堂。

 お次は同じ東館の向いの展示場へ。『Twin Signal』サークルさんを目指して、ガンガン・Gファンタジーの島まで来たら、なにやら人の列がウネウネと島と島の間を埋め尽くしています。コミケスタッフが叫んでいるのを聞くと、「鋼の錬金術師サークル、現在一方通行となっております。こちらからは入れません」とか何とか。
 けっこう前からコミックのファンが多かったうえに、10月からのアニメ化で大ブレイクしているのは知っていましたけど、いやはやこれほどとは。先に回ったサンデー、マガジン関係の島のサークルさんでも『鋼の錬金術師』本が販売されていましたから、全体を見渡したら、『ハガレン』はごっつう人気ということですね。

 しかし、もう14時近いこともあって、午前中に比べれば人波はマシなんだそうです。TSサークルで無事にお会いできたNさま、Eさまから、午前中の凄まじさをお聞きして戦慄しました。そうでなくても人混みが苦手なのに、そんなのに巻き込まれてたら間違いなく果ててます。Bさま、Kさまにもお会いできて満足。またいただきものもしてしまって、嬉しくも申し訳ない感じが……。御本は読ませていただいて、幸せ供給。卓上カレンダーは、まだカレンダーを購入していない自宅の唯一のカレンダーとなること必至です。ありがとうございました m-_-m。そしてFさまに行き違ってしまったのが残念でした〜。今回の冬コミの一番の心残りです。

 最後は企業展示場。そこへ行くまでにコスプレ広場を通らなければならないのですが。こちらも黒服に赤コート、金髪のおちびちゃん(笑)に青い軍服の方がいっぱい。全部集合させたら、一個大隊くらいつくれそうです。きちんと鎧アルくんがいるチームもあって、すごいなあ。それにしても、あの青い軍服は案外目立つんだなと「へええ〜」と思いました。はい、こちらも『鋼の錬金術師』大旋風です。
 ちなみに、この現象を「鉄鋼バブル」と形容された方がいらしたのですが。「鋼」はわかるとして、「鉄」って?と、現在(1月21日)に至るまで悩んでいたのですが、もしかして『PEACE MAKER 鐵』のことだったりします? 穿ち過ぎかしら。
 そしてようようたどりついた企業展示場は、以前に行った夏コミに比べると、活気もおもしろさも今ひとつでした。もう引き上げてしまったブースもあって、なんだか寂しい感じ。並んでいる商品を見ると、企業がカスタマーに見込んでいるのは「大きいお友だち」みたいだから、女の子が多い冬コミ2日目は息抜き日だったのかもですね。


 ビッグサイトを抜け出し、事務所に着いたのが16時。前述のプロダクションに電話して校正をもらい、これにて私の本年の業務は終了。17時30分には東京駅にいました。ただ、指定席が取れるのぞみが18時20分ごろ発ということで、お土産をみたり、夕食を買ったりして時間つぶし。
 ……その指定席ですが、残ってたのが喫煙車両の3列席の真ん中でした。いやまあ、帰省ラッシュの真只中ではあるので仕方なかったんですけどね。動くこともままならず、新大阪までひたすら眠ってました。


 仮住まい中の実家に着いたのは22時過ぎ。お茶をすすりながらの母とのよもやまの話の中で聞かされたのが泥棒の話。壊した実家の敷地から、12月21日に雪見灯籠が盗まれたとか。その前、実家を解体してすぐに、「あんたのとこのお祖母さんと知り合いやったんやけど。あんたのとこの庭にある灯籠、いらんねやったらもろたるけど」という電話があったそう。父が出て、その超失礼な言い種に「いります!」と一蹴したらしいのですが、「盗まれるかも」と話していたところで案の定ヤラれた次第。
 ドあつかましい人はどこにでもおるもんやけど。人ん家の灯籠ほしがった挙げ句に、盗っていくってなんやねん。脚、火入れ部分、傘部分と3分割できる雪見灯籠は、ひとつの部品でも大人の男一人では持てん重さ。21日の深夜は大雨。おそらく複数人数が車で来て持っていったんやろうと。

 あんなあ。その灯籠、ちょっと「いわくつき」なんやけど。うちのお祖母ちゃんが某ご近所さんに対する恨みを込めて購入したもんで、めっちゃそのへん怨念こもっとるねん。阪神・淡路大震災のときに壊れた部分を接いだり、作りなおした「ちぐはぐさ」もポイントや。うちの実家以外のとこに置いたら、間違いなく不幸を呼ぶと思うねんけどな。軽うく、家没落させるくらいの威力はあるかもよ。なにせ持ち主がうちのお祖母ちゃんやからね。
 まさか、ここを見とるとは思わんけど。傘部分に接ぎ跡があって、緑苔がいい感じについてて、火入れ部分が新しい、本石製の雪見灯籠。今どき本石製は珍しいやろけど、特別な価値はあまりないねん。うちらにとっては、お祖母ちゃんの形見いうので価値絶大やけどな。心当たりある人、早う返したってや。たのむで。


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