Dairy for Paranoid

JANUARY 2004

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04.1.21 Wed.  缶?                  1.22 3:13
 なんとなく興味で『鋼の錬金術師』のDVD第2巻を予約しました。一応ビデオ録画しているのですが、第3話と第5話あたりを録り逃したので買ってみたのです。最近Amazonでモノを買うのがマイ・ブーム?なので、昨年12月にネット予約したのでした。

 昨日、事務所から帰宅したらペリカン便の不在連絡票がドアに挟まってました。「『鋼の錬金術師』DVD第2巻発送」のお知らせが来ていたので、ペリカンが来るのは知っていたのですが。「あれえ、いつもならDVD1枚だったら、メール便で来て、私が不在でもポストに入ってるのに……」と思いつつ、再配達の申し込みをしました。

 朝、ピンポ〜ンの音に出てみたら、宅急便のおじさんが3段書類ケースくらいある段ボールを手に立っています。「毎々、お世話おかけします」と受け取りながら、「これは何?」な疑問符がいっぱい。早速開けてみましたら、周りを緩衝紙に取り巻かれ、ビニールに包まれた銀色の缶カンが入っています。その大きさは昔、駄菓子屋にあった、センベイの入ってた缶くらい。タテ15×ヨコ20×奥行き17cmほどで、上蓋には「FULLMETAL ALCHEMIST」の刻印、側面にはエド・アルコンビのイラストが。開けてみれば、DVDが1枚、ぽつんと入っています。
 なぜ? いくら『鋼』っつったって、なにもわざわざ缶に入ってこなくてもいいやん。だいたいこのでかい缶はどうすればいいんだ?とよくよく説明書を読んだら、「初回限定 金属製オリジナル全巻収納BOX」の文字。
 そ、そうか、初回特典。なるほど。……ということは、私は『ハガレン』DVDを全巻揃える運命にあるのか。そうなのかーっ!? ……そもそも第1巻持ってないので、しょっぱなから全巻制覇はコケてますが!!

 まあ予約購入する以上、何につけほぼ初回版が来るでしょうね。Amazonの予約15%OFFを有効活用しているかぎり、初回特典は逃しなしか。それよりも予約時に説明書きをしっかり読んどかんかい、と、セルフツッコミが入ること、入ること。
 缶カンはなにかに使えそうなので、重宝することにしますv けっこうかっこいいし。

04.1.15 Thu. 棟上げ式(自分用の覚え書き)        1.27 3:27
 昨年11月に家屋を壊し、更地になった実家。新居に使うはずだった床柱を、解体業者に傷つけられて使えなくなったり。地鎮祭では、そこの氏子のはずの稲爪神社の宮司さんは七五三で忙しく、岩屋神社にお願いすることになったり(岩屋神社は明石城累代の氏神。歴史も古い。あうう)。12月に灯籠が盗まれたり。まあ、いろいろあったわけですが、ようやく棟上げまでこぎつけました。

 正月に帰省したときに、「人手が足りないから帰ってこれないか」と繰り言のように言うので、なんとか融通して14日の夜に帰る手はずにしたのに。「帰れるよ」と電話したら、「別にいいのに。でも、あんたが棟上げ式見たかったら、帰ってくれば」って何やねん! はっきり言って、わざわざ高い新幹線代払ってまで見たくないわい!と怒ってしまう一幕もありましたが。


 本日、棟上げ式です。

 昼に行なうと聞いて前夜に帰省したのですが、よくよく聞けば16時ごろだとう!? けれど、昼前には弟夫婦と義妹のお母さんが手伝い要員として来訪します。朝から準備で慌ただしく、お茶菓子やお昼の寿司折りを買いに、久しぶりに母と町へ下りました。
 文化博物館の前を通ると、枯れ葉の積もった中に、例の白と黒と茶色のネコと黒ネコがいました。黒ネコの風邪は治ったようですが、2匹とも四肢をお腹の下に敷き込んだポーズで、微妙に30センチほど離れて座っています。風邪の一件が2匹の仲をこじらせたのかなと、のほほんと眺めていた私に、「朝から喧嘩したのよ」と母。そうなんですか? なぜわかるんですか? というか、それ、あなた方ご夫婦のことなんじゃ?(朝から本日の段取りについて、言い合っていた)

 弟夫婦、甥、義妹のお母さん、それに新居の設計者である又従兄と次々到着し、狭い仮住まいは人でみっちりです。又従兄は、12月の「日記」に書きました弘おじさんの息子です。なので、弘おじさんの思い出話が繰り広げられました。

 14時30分に建築現場に移動。ちょうど、仕出し屋から棟上げ式で大工さんや関係者に出す料理や持ち帰りの折り詰め弁当が、酒屋からやはり持ち帰り用の2合酒が届いたところです。オードブル盛り合わせ3オケ、寿司2オケ、弁当・酒それぞれ27人分。駐車場を使わせてもらっている近所の店に、挨拶のビールを持って行ったりしている間に、新居はどんどん骨組みが組み上がっていきます。ものすごく大きなクレーンが、木材を屋根の木組みにいる大工さんのところに持ち上げ、それがどんどん屋根の形にはめこまれていきます。

 16時過ぎに棟上げ。まず、地鎮祭のときに岩屋神社から賜ったお札が細い棒に打ち付けられ、施主である父の名前と今日の日付けが書き込まれます。もう1本、扇子3枚を円形に止め、寿の紅白紙におたふくの面をつけた棒と一緒に、棟梁が東側の柱に東向きに打ち付けます。神様を祀る場所は、季節によって東西南北が変わるそうです。今は冬なので、東か南側で東向きなのだとか。

 今回、設計者である又従兄が横浜住まいのうえ、入札方式をとった(と言いつつ、又従兄の設計ということで集まってくださった懇意の方がほとんどみたいですが)とかで、基礎工事、棟梁、大工さん、内装の関係各位はほとんどが関東在住。基礎工事や内装関係の責任者は新幹線で往復。棟梁や大工さんは、明石の民宿で2週間泊まっての作業だそうです。ご苦労さまです。
 知り合いの気安さで現場がいい雰囲気な代わりに、地鎮祭や棟上げ式の式次第、祝いに出すお金の額などで関東と関西の違いがあったりして、両親はわたわたしたそうですが。まあ、ここまでこぎつけました。あとは完成、引き渡しまでイベントはない模様です。

 棟上げ式は棟梁主催です(料理や祝い金とかは施主が用意しますが)。棟梁の采配で、家の周囲にお酒をまいて、まだ床のない家の基礎に板を渡して机と席を作り、そこに料理とお酒を並べます。設計事務所、建設事務所、内外装のメーカー、親戚から贈られた日本酒やビールが、神様を上げた柱の下に並べられます。関係者20余名と身内6名で乾杯しました。お酒を勧めたり、料理の大盆を回したり、酒をこぼした人におしぼりを渡したり。
 ばたばたしているうちに、パラパラ雨が降ってきました。大工さんが屋根にするする上がり、ビニールシートをかけてくれます。さすがの早業です。まもなく止みましたが、棟上げしたあとに通り雨が降るのは吉兆なのだとか。そうあってほしいものです。

 甥は基礎と骨組みだけの家がすっかり気に入ったらしく、まだ床板を張っていない、コンクリートの基礎と木組みをよじ登っては下り、よじ登っては下り、どんどん家の中央に入っていきます。その高さは70センチほどあるので、足でも引っかけて木組みから落ちたら、下はコンクリで危険です。仕方がないので、傍について一緒に木組みをまたいでいました。すると、木に貼られたラベルに気づいて「いち、にい、ぜろ、ぶー、いち、にい、ぜろ、ぶー、ごお、てん、いち、ろく、はち」と言います。なんのことかと見れば「120×120×5.168」と木材の寸法が書かれていました。ほんまにこの子は数字が好きやなあと思いつつ、義妹に「ぶーって何?」と聞くと、「『かける』の形って『バツ』でしょう。クイズ番組で『バツ』だと『ブー』って鳴るじゃないですか。だから『かける』を『ブー』って言うんですよ」との答え。思わず「……なんでそないに回りくどい思考回路やねん」なんて溜息が出てしまいました。

 通常モードは我がまま暴君の甥ですが、今日はどうも様子が違うと察知したらしく、当社比50パーセントの大人しさ。まあ、家の周りをぐるぐる駆け回ってはおりましたが。大工さんに「たかい、たかい」をしてもらったり、「女の子かと思ったら男の子だって。女の子みたいな顔してるのに」などと注目も集めておりました。いつもこう大人しかったらモテモテ王子様になれるのに(笑)。

 冬は一気に暮れます。暮れなずみ、家の木組みが黒い影になるころ、お開き。結局、約1時間ほどの宴でした。残った料理やお酒は、大工さんたちが旅館に持って帰りました。今夜は大宴会でしょうか。

 弟夫婦と甥、義妹のお母さんが帰られたあとは、ほとんど何も食べず、ついでに数を合わせたはずの折り詰め弁当も足りなくなったため、夕食にあぶれた両親と私が残りました。3人でお好み焼きと明石焼きを食べに町に下りました。……なんだか疲れはてた1日でした。
 お好み焼き屋からの帰りに、例のネコたちが母ネコ?といるのを目撃! 母ネコは10キロ以上は確実にある、ふてぶてしいほどの大ネコでした!! 野良のはずなのに、何食べたら、そんなにバカでかくなれるんだろう!?
 疑問を抱きつつ、明日はまた8時に東京へ発ちます。

04.1.5 Mon. ありゃ                   1.6 4:23
 本日は朝7時に事務所から自宅へ帰りました。長かった1日の作業の成果は、他のスタッフの方が印刷所まで持って行ってくださいました。ありがたや、ありがたや。
 帰ってから軽く食べて、そのままベッドに転げ込み、13時過ぎまで寝ました。起きて、まず風呂。次に洗濯。17時に事務所へ行って、もろもろ連絡関係を片づけて。
 本日は出校なしとのことなので、20時には自宅に帰りました。あまり時間に縛られなくてすむのはフリーのいいところですね(笑)。

 で、『名探偵コ○ン』お年玉スペシャル「黒の組織と真っ向勝負! 満月の夜の二元ミステリー」を観ながら夕御飯。『月曜ミステリー劇場 浅見光彦シリーズ18 華の下にて』を観ながら、寒中お見舞いなどを書いてました。どうやら今年はきちんと出すつもりらしいですよ。私に住所を知られておりかつ、年賀状を出したとか、雑文堂と長いつき合いとか、昨年に雑文堂に親切にしてやったとか、身に覚えのある方はご覚悟めされい。何が写ってるんだか、さっぱりわからない写真入りハガキが近日届くでありましょうよ。
 ハガキの写真は「どこかに怪しい影が?」を探すミステリーフォトではないので、無駄な努力はなさらないでくださいませ。あれは、ニューヨークはセントラルパーク内、Imagineの碑のそばにある「ストロベリー・フィールズ」の碑なのです。「Imagine all the people living life in peace...」に続いて、世界の国名がアルファベット順に刻まれています。タイムリーなネタを振ったつもりが、下手な写真のせいで台無しです。ふふふふ。ちょっとイロイロ計算違いがあったり、あったり、あったり(苦笑)。
 サイトにいらした方だけにネタばらしということで。あ、もし「怪しい影」を見つけた方は、こそっと教えてください。その部分に○をつけて返送してくださってもよし。

 でも、まだ宛名を書いただけです。「一筆添える」ができてません。そして、まだ切手買ってません。さて、立春までに皆さまのお手元に届きますかどうか。ミステリーですね。ふふふ。

 寒中見舞いを途中で放って何をしていたかと申しますと、サイトのほぼ全ページにあるコピーライト表記を2004に変更してました。些末なことなのですが、fc2webがなんだか実験していたようなので(本年1月2日をもって終わったようですが)、データチェックも兼ねて。まあ、1年1度の大掃除のようなもので、これで来年まで既存ページは触らなくていいな、とか(笑)。
 で、終わって時計を見たら、午前3時過ぎてますよ! この「日記」をUPしたら寝ます。
 すごくありがたくうれしいメールをいただいているのですが。「掲示板」のレスともども今晩か明日に。

04.1.3 Sat. 『THE LAST SAMURAI』            1.26 1:14
 2泊3日以上の長期滞在?で実家に帰省したら、必ず1本は映画を観に行っている気がします。恒例にのっとって、今回は当サイトの「掲示板」で話題沸騰中だった『ラスト サムライ』を、同じく未見だった旧友と共に観て参りましたぁ。

 当初は10時に明石駅に集合、三ノ宮の国際松竹で12時55分からのチケット(全席指定)を取って、時間までランチする予定だったのですが! 行ってみたら、12時55分の回は満席。15時50分の回は残席少数でございましたよ! 明日の昼には東京に戻っていなければならない都合で、あまり帰宅が遅くなるのはNG。そんなわけで、前のほうで端のほうの、ちょっと画面にパースがつくかも〜(あるいは一方に寄り目になるかも〜)な席をGET。時間まで、適当に遊ぶことにします。
 友人の希望が「おいしいワインが飲みたい」だったので、北野のおいしいパスタ屋さん「ロミオ・エ・ジュリエッタ」に行ってみたら、まだ開いてませんでした。仕方なく、そのまま加納町の歩道橋を渡ってホテル・ピエナのレストランに向かいます。ホテルのレストランも11時30分からとのことで、とりあえず予約を入れて、時間つぶしにブラブラすることにします。
 新神戸駅のほうに向かうと、布引橋のところになにやらチャイナな建物が! 近づいてみると、生田川ふれあい広場に立つ、神戸市との姉妹都市記念に中国・天津から贈られた「連翼亭」です。ふたつの東屋が中央で一体化している、おもしろい建物です。そのそばの川岸の土手にはさまざまな格好の龍が彫られたレリーフ「百龍嬉水」が。神戸にはしょっちゅう来てましたし、今も帰れば一度は訪れてますが、新神戸駅周辺には滅多に来ないので、「こんなものがあったのね!」というびっくりな発見でした。

 さて、神戸の加納町交差点あたりといえば、昔はブティックホテルが集まるところでした。今でも名残りはあって、おもしろい名前で駐車場入口にビラビラしたものがついたホテルに、歩けば行き当たります。
 その中でも私たちにウケたのが、「英国式庭園 お部屋にハーブの香り ホテル・ラン○ルフ」の看板。お部屋にハーブの香りは嬉しいかも〜。でもラブホの庭が英国式庭園だろうとなかろうと、客にはあんまり関係ないんじゃ? 庭なんか見るか、ふつう? あ、もしかして部屋の中が英国式庭園? ついでに名前がオックスフォードにある老舗ホテルと同じじゃん? 道すがら実物を探してみましたが(前庭が英国式庭園だったら見たいじゃんねえ。部屋が英国式庭園なら、二人でお休憩しようかの勢い。女同士だけどな)、看板にある「徒歩5分」の距離にはなかったです。あれれ?

 新年早々から頭が湧いてますよ、な私たち。ホテル・ピエナのランチにもしっかり15分遅刻しました。まさか「ラブホ探してて遅れました」とは言えますまいて。席に案内された私たちは、しっかり淑女に変身しておりました(笑)。ワインリストから適当に選んだら(リストにはワイン名しか載ってなかったのです)、供されたのはなんとHaut Medocの2000年もの! うわお!!
 年末にも焼き鳥屋で適当なワインを頼んだら、Haut Medocの2000年ものが出てきました。赤ワインならボルドー地方Haut Medoc(オー・メドック)、品種はMerlot(メルロ)、年は2000年のものがマイ・ベストな私としましては、2000年ものが普通に出回るようになった今年は「当たり年」ということでしょうか! こいつは、春から縁起がいいね!!
 実際、とってもおいしかったです。映画館で寝たらまずいので、ハーフボトルにしたのが惜しまれます。もちろん、ランチコースもオードブルの「ホタテの3種仕立て」から、「かぶらのスープ」、メインの魚料理もおいしゅうございました。ただ問題はデザートで。モカ系の土台に空豆を裏ごししたクリームのケーキだったのですが。微妙にもったりと重みのある甘さで、これの半分のサイズでよかったなと。腹八分目予定が、ケーキの重みで満腹感満々に。すごいな、ケーキの威力! 去年の8月の湯河原温泉の「紫イモの寒天包み」以来、デザートにはついてない感じです。とほほ〜。

 まだ2時間ほど時間があったので、三ノ宮駅北側のカラオケボックスにGO! 二人で2時間、ビール飲みながら歌いまくりです。ポル○グラフィティの「メリッサ」熱唱!! 某アニメのオープニング曲でワンコーラスしか知らなかったのですが、歌えば歌えるものですね。アル○ィー三昧の連れに、「聞きたいから」と無理矢理SM○Pの「世界に一つだけの花」を歌わせたり。



 さて、いよいよ『ラスト サムライ』鑑賞です。あまりいい感想ではないかも。読みたい方だけどうぞ。
 ★ 「日本は剣から生まれた国」。いや、それ、違うから!と、まずツッコミ入りました。誤解があってはいけないと聞き耳を立てていたのですが、「Sword」に聞こえました。ストーリー上、「剣から国が生まれた」ということが、日本刀が日本人の魂と言われ、日本人が日本刀を大切に扱う理由づけにされていましたので、英語の聞き間違いではないと思います。
 ちょっと待って。「日本神話」における国生みは「剣」じゃなくて、「矛」が使われたのです。間違ったところに、ストーリーの根幹を持ってこられると困っちゃいます。まあ、外国人に、日本人が日本刀を大事にする理由をわかりやすく説明するには、いい手かもしれません。でも、神代から確かに神剣の信仰はあるけれど、そこには渡来文化と土着文化との軋轢があったと思えば、単純に言い換えられないと思うのですが。……まあ、いいや。

 日本の武士は鉄道を襲ったりしなかったと思うのだけど、どうよ。映画の舞台になった1870年代は、1872年に新橋-横浜の鉄道が開通、1874年に大阪-神戸の鉄道が開業、1877 年に京都-大阪が開業。逢坂山トンネルの完成を経て、新橋-神戸の東海道線が全通するのは1889年です。勝元が襲ったのは、どの路線よ?
 せめて大使館とか外国人の商館とかにしておけば、「西部劇じゃないんだから。ぷっ」なんてゆーツッコミはなかったと思います。……まあ、これもいいや。

 日本の風景に肝心なのは、笹です。林の中の下生えはクマザサが基本なのだ。どうもクマザサがないおかげで違和感ありまくり(しかたがない、ロケはニュージーランドだ)。シダだけでなくソテツまであるなら、いっそあの戦闘は九州で起こったことにしたほうがよかったんじゃ……。

 で、勝元たちの住む村はどこにあるの? 吉野での戦闘から勝元たちの村に至るまでの道程で、富士山を見てるんですが。そんな距離を馬で帰るうちに、あれだけの傷を負ったうえにアルコール中毒のオールグレンは死ぬと思うのですが、どうよ。せめて中央アルプスくらい。だったら、わざわざ富士山見なくても行けます、みたいな。いったいあの村はどこなんだ。ああ、そうか、高天原か〜。

 神社の鳥居が村の入口になっているのは変とか、村の真ん中に鍛冶場はないだろうとか、本当にツッコミどころ満載でしたが。まあ、冒頭の神話の解釈以外は別にどうでもいいことです。


 総論を言えば、この映画が作られてよかったと思いました。
 年末にNHKの『映像の世紀』を見ました。その中に太平洋戦争での「神風特攻隊」の出撃から体当たりまでの映像がありました。体当たりのシーンは、アメリカ側のカメラマンが撮ったと思われるのですが、映像と同時にそのカメラマンの声が収録されていまして、このようなことを言っていました。音声は英語でしたが、日本語字幕を要約しますと、「おそらくこのシーンを見た人は、日本人はクレージーだと思うだろう。追いつめられた恐怖に狂ったのだと。しかし、今、この光景を目の当たりにしている私は、彼らが狂っているとは思えない。これは彼らの信念なのだ。彼らはひじょうに冷静に国を守るために命を投げ出している。これが、我々が戦っている日本という国なのだ」。
 録画していなかったので、ウロ覚えですが、このような主旨だったと思います。「神風特攻隊」を理解していた外国人がいたということが驚きで、その映像と言葉が頭に残りました。
 『ラスト サムライ』を観ていて、この言葉が思い出されてなりませんでした。この映画を観て、あの「神風特攻隊」がただの狂気ではなかったことを、どれほどの思いをもって彼らが死んでいったのかを、もし一人でも多くの外国人がわかってくれるなら、「日本」に対する見方も変わってくるのではないか。そう思いました。
 外国に行けば、「日本人はお行儀がいい」と言われます。それは、外国人にとって扱いやすい人種、小心者の人種と思われている部分があるな、というのが、マイナスの目で見たときの私の印象です。そうではない。日本人の根源には「誇り」があるから、他者に対して大上段に出る必要がないのだということ、少なくとも第2次世界大戦終結までの日本人は、そういう誇りと余裕を持っていたのだということをわかってもらえたら。そんな過剰な期待をこの映画に寄せています。
 もうひとつ、明治維新をこういう形で描けるのも外国人ならではだと思います。銃と刀の圧倒的な力の差の残酷なまでの描写や、天皇の描き方などは、ちょっと日本人の監督や脚本では考えられなかったと思うので。

 そして、渡辺謙が上杉謙信役の、角川映画『天と地と』が観たかった、とつくづく惜しまれます。病気での途中降板だったので仕方がないのですが。渡辺謙主演のままだったら、あの『天と地と』は時代劇として名作の一本になっていたのでは、と思います。そう思わせるくらい、勝元は「カリスマ」と呼ばれるのが納得できるだけの存在感がありました。
 そして真田広之ファンの私には、彼の腰の入った立ち回りがv もう、たまらん感じでした。あの人はアクションがきれいに決まるのよねえvv
 たか(小雪)とオールグレンのラブストーリー。もしどこかでキスシーンだの、抱擁シーンだのがあったら、その場で「それ、ありえないから!」と幻滅したでしょう。あったらどうしよう、どうしようとびくびくしていましたが、なかったのでよかった、よかった。武士の未亡人が、ハリウッド式ハーレクインロマンスになったら、暴れているところでしたよ。はあああ〜。
 トム・クルーズは、いいタイミングで、いい映画を撮ったねという感じです。アメリカに「日本人って?」という、文化的、メディア的な興味が広がりだしたところで、この映画をプロデュースし、主役を張るというのは、けっこう戦略的な見方ができる人なのねと感心しました。映像上でも、あくまでも日本人社会に入り込んだ外国人という役柄から逸脱していなかったのがよかったです。だってトム・クルーズの演技より、渡辺や真田、小山田シンのキャラクターのほうが印象に残ってるって、すごいことだと思いますよ。それが、トムの戦術なんだとしたら、よけいに。
 The Silent Samurai 福本清三。いやあ、いいですねえ。今、ある方からお借りした『どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役 福本清三』(福本清三・小田豊二/集英社刊)を読んでいますが、実に興味深い方です。そして、映像の中ではオールグレンに「ボブ」とか呼ばれて、かわいかったですvv シーンによって、表情が怖くなったり、優しくなったり。その微細な演技が、さすが長年、セリフのないモブ役の中で「見られる演技」を努めてきた方ならではの味わいだなあと感心しました。

 ただ、今の日本人がこの映画を観て、「自分たちのDNAには、武士道が受け継がれている」などと思うなら、ちゃんちゃらおかしいのでやめてね。武士道はDNAではなく、そうなろうという心が持つもの。現代人にはそんなものございませんから、誤解して妙な自信を持たないでいただきたいものです(まあ、そんな気概もないか)。
 外国人が撮った「日本を描いた映画」として、私は良作と評価したい。そう思います。



 楽しく映画を観たそのあとは、手近なイタリア料理店へ。こんどは白ワインを。白ワインといえば、スイートなら「シュタインベルガー」(ドイツ)、ドライなら「ラ・クリマ・クリスティ」(イタリア)が、ワン・オブ・マイ・フェイバリット。「La'cryma Christi」の意味は「キリストの涙」。ポンペイの遺跡で有名なベスビオス火山の麓で作られるワインです。赤と白がありますが、私は赤のほうが好き。でも白もいけます。
 連れが「白ワイン♪」をご所望なので、「ラ・クリマ・クリスティ」の白で乾杯! 映画の感想やよもやま話に花を咲かせました。

 店を出て帰ろうかというときに思い出したのが、以前から行こうとして辿りつけない、バーでCDを売っているお店。友人にもつき合ってもらって、再度のリベンジといきます。また加納町交差点まで上がって、手帳に描いた地図をチェックしながらウロウロ。手描きの地図の文字が汚くて、「ローソン」と読み取ったら「7-11」で「セブン・イレブン」だったりして、連れに笑われながら、その地点を目指します。けっこう簡単にその住所に行き着きましたが、やはりそれらしいものはありません。今回は電話番号も調べていましたので、電話してみても「使われておりません」の案内メッセージが流れるだけ。
 つぶれたのか、移転したのかと思いつつ、またも黒星一つ追加の気分でハンター坂から加納町交差点に戻ってみれば。通りの向いの角の店に「Charlie's」の文字が! 「えええ〜!?」と信号を待つのももどかしく大通りを渡ってドアに張り付けば、「本日のライブ」の案内板に「ルパン3世」のタイトルが踊っています。そう、ここは、『ルパン3世』の楽曲の演奏で知られるチャーリー・コーセイのお店なのです。東京の知り合いに、この店でしか手に入らないCDを頼まれて以来、幾星霜。やっと、やっと見つけましたよ。移転したなら、そう言っておいてくれ〜!

 ビルの2階に上がったものの、お腹もいっぱい、お酒もいっぱい。もう食べられません、飲めません状態で、迎えてくれたスタッフの方に「すみません。こちらでCDを販売されていると聞いて、うかがいました。CDだけ売っていただけますでしょうか」と言えば、「わかりました。こちらでお待ちください」とカウンター席に案内してくれます。
 「サイン入れましょうか?」と言われて「はい!」。「ビニール開けることになりますが、いいですか?」「はい!」。しばらくして、CDとともに、チャーリー氏登場。「すみません。厨房が忙しくって。こちらで失礼しますが、どうもわざわざありがとうございました」とご丁寧な礼をいただいてしまいました。私たちも「今度は飲みにきます。ライブも聞かせていただきます」と言って、CD代をお払いして出ました。暖かい店内から寒風の吹く夜の神戸の街に出て、思わず雄叫び! やっとやっと手に入りましたあ!!

 そんな満足感も感じながら、長くて充実した1日を終えました。明日は朝8時に東京に向けて出発します。

04.1.2 Fri. 風邪は愛より強く              1.6 3:48
 さて、前日に「ホワイトとブラックとブラウン」のネコの話を聞いた私。母が言うには、「文化博物館の前あたりに、真っ黒のネコと白地に茶色と黒の斑があるネコがいて、2匹はいつも寄り添っている」そう。おお、寄り添うネコ。かわい〜。見てみた〜い。
 ということで、昼食を買いに町に下りる(実家も建て替え中の仮住まいも高台にあるので、常にこんな妙な表現に)ついでに、見てやろうと思いました。
 文化博物館は明石城公園の入口に隣接しています。お堀もあって、木が植わり、笹や下生えもうっそうとした感じで、ネコが隠れ棲むには絶好の「基地」です。そこここ眺めながら歩いていると、笹の葉陰、積もった落ち葉を丸くくぼませて、白と茶と黒のネコがすやすや寝ています。秋生まれでしょうか。子ネコから大人ネコに変わるあたりで、まだ毛並みがつややかで和毛です。どこが頭か尻尾かわからないくらい真ん丸になって、お腹が呼吸に合わせて上下しています。ネズ鳴きしてみせても、ピクリとも反応しません。爆睡です。
 それにしても、もう1匹はどこに行ったのでしょう? 私が見たいのは「寄り添って、ひとつの方向を見てじっとしている2匹のネコ」なのです。博物館から公園の入口まで歩いていくと、いました! 真っ黒なネコが。接近してくる私をじーっと見つめる目は緑がかった黄色。瞳孔は縦に細くなってます。年のころは相棒ネコと同じくらい。じーっとこっちを見ていたのが、突然身体を震わせると、「クシュン、クシュン、クシュン」とくしゃみ3連発。そのうえ、鼻水垂らしながら鼻をグズグズ鳴らす始末。なんとも情けなそうな顔で、こっちを見上げてきます。けれど、近づこうとすると、柵の下をもぐって堀端の植え込みの中に隠れてしまいました。四肢をお腹の下に敷き込んで、こちらに背中を向けて座ります。背筋には私に見られているという緊張感ありありで、でもクション、クシュンとくしゃみしています。

 察するに、あれですね。健康なときには、同じ枯れ葉の褥で2匹仲よくヌクヌクしていたものを、片方が風邪をひくや、片方が傍から追い出したのでしょう(笑)。黒ネコの情けなそうな、寒そうなうなだれ具合が、なんとも哀れをさそいます。早く治せよ。
 風邪は愛に克つ! ネコの世界に愛なるものの限界を知った新年2日目。幸先、いいなあ(笑)。

04.1.1 Thu. 年が明けました               1.6 3:13
 2004年の始まりです。サイトにお越しいただいています皆さま、また、オフでも雑文堂を構ってやってくださいます皆さま、どうぞ本年もよろしくおつき合いくださいませ。
 2004年の2月の誕生日をもって、雑文堂は2年続いた天中殺からようやく抜けるらしいです。だからって、いきなり「いいこと」が降って湧いてくるはずはないでしょうが! でも2004年は意地でも「いい年」にしたいと思いますので、皆々さまにもぜひご協力いただけましたら幸いでございます。ええ、私の幸せのために!!(笑)

 さて、正月元旦です。例年ならお屠蘇、お雑煮から始まるのですが、今年は父の兄の喪中の関係で、お正月につきもののイベント(?)はいっさいなしです。……それでも、訪ねてきた又従兄弟や甥には、もれなくお年玉が発生するのはどういうことでしょう。新札を用意するのも大変なんだぞ〜。

 その甥ですが! 文章になった日本語が話せるようになったばかりか、2ケタの計算ができるようになっておりましたよ!! げっ! 「7たす8は?」「15!」「8たす9は?」「17!」「じゃあ、11たす12は?」「23!」「12たす10は?」「22!」イヤなヤツです。まだ3歳半ですぜ。私なんか、小学3年生くらいで、物が増える減るの原理の納得を経て、ようやく+−の計算ができるようになったというのに。
 それでも「13たす13は?」と聞くと、照れ笑いを浮かべながら黙り込みます。「13たす13は26やな」と言えば、「26!」と返します。もう一度「13たす13は?」と聞けば、また上目づかいで黙り込みます。「26やろ」と言えば、「26」と返します。しつこくもう一度「13たす13は?」と聞くと、今度は「26!」と答えました。そしておもむろに、「13たす12は25!」「13たす11は24!」「13たす10は23!」とまくしたててくれました。どうやら「13たす13」が答えられなかったのが、いたくプライドに障ったようです(笑)。

 しかし、やっぱり子どもです。ヤツはトランプは「1から10まで」と信じて疑いません。「なんで? 11から13までは?」と聞けば、義妹曰く「Jが11とか、Qが12とか、絵札と数の関係がまだわからないようなんですよ」。しかし、どうやら自分がバカにされていると感じたらしい甥は「エース、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう」と4回唱え、「これのどこがおかしいんじゃ」と言わんばかりに睨みつけてきます。「いち」は「エース」ってわかるのに。難儀やな、あんた。

 食休みに、父(甥にとっては祖父)と近所の公園に出かけた甥。まもなく帰ってきた二人に「何してきたん?」と言えば、モロモロの中に「野良ネコを見た」というイベントが。
 「どんなネコがおったん?」と聞けば、「ブラック!」……また英語かよ!? 「そっか〜黒いネコさんがいたんやね」「それと、ブラウン!」「黒と茶色のネコが2匹いたん?」「違う! しましま」「そら、トラネコや」(思わずツッコミ)。母も混ざってきて「近所にホワイトにブラウンとブラックの毛のネコがおるんよ」「そら、ミケや!」(つーか、なぜあなたもカタカナ英語なんですか、おかーさま)。

 どうもこの一族の中で、私一人がツッコミ役をこなすしかなさそうな、ヤな予感渦巻く年頭の1日でした。


Made with Stone Diary



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