Dairy for Paranoid

APRIL 2004

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JANUARY  FEBRUARY  MARCH


04.4.28 Wed.  つやつや物語3 インタビュー       7.26 7:20
 『艶』には、『逮捕しちゃうぞ』と『GetBackers -奪還屋-』のイラストを中心に収録するというのは、企画を出した段階から考えていたことでした。
 両作品とも版権元は講談社。そして両作品のキャラクターデザインを務めた中嶋敦子さんの画集。となれば、もうやるしかないでしょう。夏実と美幸、蛮と銀次の共演を! 舞台もちょうど墨東署と裏新宿で、一応東京23区内。例えば蛮と銀次が奪還の仕事で墨東署管区に出張ってきて、夏実&美幸のミニパトに駐禁とられちゃうというシチュエーションは、両作品を知る誰もが一度は考えることだと思います。でも、実際にオフィシャルでそれを絵にできる機会といえば、今回を逃して「次」はおそらくありません。そして実現できれば、まさに「『艶』ならではの描き下し」として大きな付加価値になること、必至です。

 最初の顔合わせ兼打ち合せの際に、まず「表紙と口絵はぜひ『逮捕』と『奪還屋』の4人で」とお願いしました。幸い、中嶋さんにもスタジオディーンのNプロデューサーにも「そういえば、どちらの作品も東京ですね」と乗っていただけて、第一の関門は通りました。
 企画の段階では、中嶋さんの描き下しは表紙と口絵のみで、「駐禁ネタのドタバタ」は口絵でお願いする予定でした。その後、『逮捕』『奪還屋』のそれぞれの章扉と『らんま1/2』を追加で描き下していただけることになった時点で、「駐禁ネタ」は『逮捕』と『奪還屋』の章扉のリンクテーマに移行しました。

 表紙イラストの構図も当初からいろいろ話し合っていました。夏実、美幸、蛮、銀次の入れ込みが前提だったのですが、表紙部分に4人並ぶのはさすがに窮屈。構図としては3人がバランスがいいけれど、だからって銀次を「たれ」にするのも変だし(たぶんファンが許してくれないだろうし(笑))。「じゃあ、いっそ表から裏表紙への回り込みにしましょうか」「そうなると、夏実&美幸は女性としていくらでもハデに着飾らせることができるのでいいとして、蛮が色彩的に地味になっちゃうんですよね」「色数からいうと銀次のほうがハデで人目を引くけれど、だからって銀次が表紙、蛮が裏表紙というのも違和感がありますよね」と、まあ、それなりに知恵を絞ったわけです。
 最終的には描き手である中嶋さんにおまかせする形になりましたが、おそらく打ち合せの際に出た「不安部分」を考慮してくださった結果が、4人の正装という形になったのだと思います。色彩的には地味な蛮が、凄まじい色気で他の3人を食ってしまったのは、まさに「中嶋マジック」のなせる技ですね!

 4人でという条件以外、シチュエーションを含めてすべて中嶋さんにおまかせした口絵、そして表紙と、『逮捕』『奪還屋』の章扉の描き下しのラフ画を受け取ったこの日、スタジオの会議室の前を通った方は、私と版元編集さんの黄色い声を聞いて、何ごとかと思われたことでしょう(笑)。
 表紙もそうですが、特に口絵が、はっきり夏実と美幸、蛮と銀次の組み合せで分かれているのは、中嶋さんが「違う作品のキャラクターなのに、4人ともが1作品のキャラクターと誤解されるといけない」とご考慮くださったからです。だからって、なぜ蛮と銀次のシチュエーションがああなったのかは、天と中嶋さんのみぞ知るヒミツでございます(笑)。

 これらのラフ画を講談社の版権管理関係各部署に送り、掲載許可を得るのが第二の関門。ラフ画にノックダウンされて、「『艶』の表紙絵および描き下しイラストはこれら以外にありえない」と瞬時に思いつめました。おかげで、版権元の許諾が下りるのを、もう神仏に祈るかの気持ちで待つことに……。


 さて本日のお仕事は、描き下しのラフ画を受け取るだけではなく、18:00からのインタビューがメインイベントです。
 『艶』について、私が個人的に「こういう本になってくれ」と願ったことがあります。それは、「『逮捕』や『奪還屋』といった人気作品の萌えの絵が見られるという理由で買っていただければ、まず幸い。表紙や口絵、章扉の描き下しに悩殺されていただければ、『艶』の本懐は果たしたも同然! けれど、年月が経ってからふと『こんな本も買っていたんだな』と見返していただいたときに、すでに作品に対する熱は冷めていても、今度は中嶋敦子というアニメーターさんの、絵に対する思いや絵の描き方、仕事の捉え方、引いては生き方の『スタイル』に『感じて』もらいたい」ということでした。
 作品やキャラクターへの萌えが去った瞬間に新古書店に売られてしまうような造りではなく、今度は「中嶋敦子スタイル」に共感し、ときどき取り出して見ていただけるような、いつまでも本棚に置いておいていただける本にしたかったのです。

 それは、最初の企画書どおり、『逮捕』と『奪還屋』のイラストのみの掲載では不可能だったかもしれません。でも『らんま1/2』や『超機動伝説ダイナギガ』『六門天外モンコレナイト』『PEACE MAKER 鐵』『るろうに剣心』『王ドロボウJING』のタイトルが揃ったからには、そこから、作品のテイストや描かれた時期によっていろいろに変化しつつも、一貫している中嶋さんならではの「スタイル」を読み取ってもらえるのではないか。ならば、インタビューはその「スタイル」を文章で補完できるようなものにしよう。

 と、いうようなことをつらつら考えながら質問項目を考えて臨んだのが、『艶』の1色部分のインタビューです。時間にして3時間あまり。おそらく不躾な質問もしてしまったと思うのですが、中嶋さんはとても真摯に、ときに冗談も交えながら、長時間の取材に答えてくださいました。
 今から思えば、わりとそのあたり真面目に質問していたのは『逮捕』までで、『奪還屋』の話になったとたん、インタビュアー・雑文堂、ミーハーと化しておりましたが(苦笑)。ついつい「不動のこと」とか、「銀ちゃんが幸せそう」とか、ぽろぽろっとファン心理が、はげたメッキから顔を覗かせたりしております。まあ、そのあたりはご愛嬌と受け取っていただければありがたいのですが。仕事人としてはどうかと申しますと……モゴモゴモゴ。

04.4.20 Tue.  ナゾなこと                7.7 14:20
 最近、3人の方から立て続けに「雑文堂さんはマンガ家になるんですか?」「マンガ編集になるのですか?」と聞かれました。私のほうが聞きたい。「なぜ?」
 どこからそんな話が呼ばれて飛び出たのか知りませんが、マンガ家もマンガ編集もなる予定はございませんので、悪しからずご了承くださいませ(苦笑)。

 マンガ家はその昔、なりたい職業のひとつではありました。編集、雑誌記者、小説家、マンガ家、挿絵家、学芸員、司書は憧れの職業だったのです(気が多いったら)。
 絵については大学時代に美術の教授からそれなりの評価はもらいましたが、「売れる絵」を描く自信はまったくなかったので、マンガ家、挿絵家はわりと早くに断念しました。商業誌で勝負するのでさえなければ、描く気になればいつでも描けますしね。……だからって、商業誌で自信のないものが、同人誌で売れるとは思えないので、描きたいマンガはたぶん一生お蔵入りです(笑)。

 マンガ家以上にありえないのがマンガ編集。昔は「ニュー○イプ」の別冊付録で「コミックGENKi」とかありましたし、本誌でもいろいろな意味で天下御免の『F.S.S』(笑)や『マリオネット・ジェネレーション』の連載がありましたので、「ニュー○イプ」本誌の編集をやりながら、マンガ編集の真似事みたいなことはしました。

 でもね、マンガ編集専業にはなれません。それは「自分自身」が誌面に反映できる雑誌編集でいたいという理由と同じなのですが、もうひとつ、ものごっついハードルがあります。私は絵に対する好き嫌いがものすごく偏向してるんです。たとえ10人中9人までが「いい絵」だと言おうと、単行本売り上げ1位だろうと、嫌いなものは嫌い。そして、私の嫌いな絵とは、構図がとれていないことと、絵の表現に余裕がないことです。
 「絵のプロ」を名乗るなら、カメラアングルが一定の絵を描くなやと思いますし、いろいろなパターンの絵面を考えた末に「この絵」になったという余裕がほしいと思います。「この絵」しか描けませんという、力量不足の切羽詰まった感じのある絵は、なんだか「とほほ」な感じで冷めてしまうんですね。
 もちろん、絵は今ひとつだけど物語はおもしろい作品とか、構図がないところがユニークという作品とかがあるのは承知です。でも、やはり自分の好みの絵かどうかにアンテナを支配されているうちは、マンガ編集にはなれないやろうなあと思います。

 そんなわけで、どこから冒頭のような話が出てきたのか、未だに不思議なのでした。

04.4.9 Fri.  つやつや物語2 タイトル決定       7.24 20:20
 そもそも『艶-TSUYA- 中嶋敦子STYLE』の企画を考えたのは、『GetBackers -奪還屋-』の、とあるファンサイトに行き会ったことがきっかけでした。そのサイトの管理人さんが中嶋敦子のファンでいらっしゃるらしく、「月刊アニメージュ」に中嶋さんの描き下しイラストが掲載されると、サイトで告知されたり、中嶋さんに関するキャンペーンを展開されたりしていらしたのです。
 当時、私は『奪還屋』の1ファンとしてファンサイトをサーフして楽しんでいました。でもそのサイトを知って、「中嶋さんが描かれた『奪還屋』のイラストを集めた画集ってイケるのでは」と思いつきました。ちょうど事務所から、出版社に持ち込むための企画案を出してくれと言われていたので、これ幸いと『WOLF'S RAIN 川元利浩画集』の企画書と一緒に提出したのでした。

 出版社のほうで企画が通り、アニメスタジオや関係各所との企画内容やロイヤリティについての打ち合せを経て、ようやく本日、画集自体の具体的な打ち合せです。
 20:00にスタジオに集合。中嶋さんとNプロデューサーと出版社の担当さんと私の4人で、まずは「画集のタイトル、どうしましょう?」という話になりました。
 「香港のイベントに行ったとき、漢字っていいなと思ったんですよ。漢字1字のタイトルはどうでしょう」という中嶋さんの提案を受けて、「彩」「色」「美」など思いつくまま挙げていたところ、誰が言い出したものか、「艶」という言葉が挙がりました。色っぽさを表現する言葉でもありますし、「艶やか」は「つややか」とも「あでやか」とも読めます。中嶋さんの絵を表現するのに、これほどぴったりの漢字もないでしょう。
 「EN」ではなく「TSUYA」と読ませたい、という私の主張で、漢字にローマ字を添えることに決定。あと、「艶」だけでは「誰の」「どういった本」かわかりませんので、サブタイトルに「中嶋敦子ワークス」あるいは「中嶋敦子スタイル」と入れましょう。「ワークス」はありがちなので、「スタイル」にしましょうかと、とんとん拍子に進みました。
 この「スタイル」という言葉が、後々、インタビューに影響してきます。

 スタジオディーンから「中嶋さんの描き下しイラスト」の原画がデジカメで撮影された「素材目録」をいただき、その中でも中嶋さんが絶対に掲載したいと思われる作品をピックアップしていただきました。全部掲載するとなると、200ページ以上の本になってしまうからです。
 『奪還屋』のDVDジャケットは、描き下しにはないキャラクターも描かれているうえに、動きがあるイラストなので、すべて掲載する予定でした。しかし同じ1ページ大のサイズにすると、それだけで17ページ取ってしまいます。そこで、大きくしたいイラスト、小さくてもいいイラストも決めていただきました。
 ここから現実的なページ構成(ページネーション)の作業に入ります。

04.4.4 Sun.  常に不安はあるけれど……         4.5 0:13
 16:00から企画会議および請け負い仕事の役割分担などを打ち合わせました。

 いよいよ本格的にイロイロ動き出すようです。いや、ほんとは3月にもっと動いていなくちゃならなかったんですけどね。ふふふ。まあ、そのシワヨセ込みなので、まずは3週間以内に1冊作るらしいです(マジですか!?)。
 それが終わり次第、もう1冊やっちゃいます! これは自分で作りたくて、作りたくてvの本なので、萌えてますよ〜!! 同時にもう1冊。そのあとでもう1冊。このあたりすべてイラスト集およびムック本ですね。4月下旬のタイミングでなにか別件が入ってくるらしいし、もうすでに先月から萌え萌えしているノベルズの件もあるし。
 ……うん、忙しいのはイイことだね。でも、ほどほどに頼むね。

 ちょっと馬力かけていきますので、またサイトが放りっぱなしになるかもですが。見捨てられないといいなあ。

04.4.3 Sat.  あれから150年後のひとつの姿       4.4 23:24          
 昨日、二人目の甥が誕生したそうです。ちょっと心配していたので、無事に生まれてよかったよかった。春爛漫の季節に誕生だねえ。そのうえ学校入ったら、キミ、一番年長さんだよ(学校の学年分けは4月2日から翌年4月1日生まれまでって聞いたけど、正しいのかな?)。
 ちなみに弟からは何の連絡も入ってませんよ>親父さま。本日もらった、あなたからのメールが第1報です。

 しかし、なぜそんなに左右対象の漢字がいいのかね。上の子も下の子も名前も名字も左右対称だから、うっとおしいくらいの完全主義者になってしまわないか、伯母さんは心配です。そのうえ「一」「二」だし。下の子は、私が(実はアッシュより)大好きな『Banana Fish』の彼と同じ名前だし。
 ……子どもで遊んでないか、キミたち(苦笑)。
 次に帰省するときには、お祝い持って、顔を見に行きますよ。


 1853(嘉永6)年6月、軍艦4隻を率いて浦賀に入港したアメリカ海軍准将ペリーは、日本に開国を要求しました。黒船の来航です。翌1854年の正月早々、ペリーは再び7隻の軍艦を率いてやって来ました。幕府はこの圧力に屈し、日米親和条約(神奈川条約)を結びました。
 2004年は、日米の国交が始まって150周年。長いようで短いものですね。
 その記念番組『ニッポン・アメリカ海を越える人々』を見ました。うろ覚えなのですが、番組の調べでは、米国人を信用できると答えた日本人は75.8%、日本人を信用できると答えた米国人は、有識者で約90%、一般人でも70%は越えていたと思います。
 開国から黄色人種蔑視や第2次世界大戦を経て、少しずつ信頼関係を築いてきたのだなあと思います。そのわりには貿易やら食糧検疫やらでよくもめますけどな。

 番組の中で、ニューヨークの地下鉄の設計をした日本人デザイナーを紹介していました。工業デザイナー・宇田川信学(まさみち)、39歳。
 ニューヨークで工業デザインを学んで、まず手がけたのが、ニューヨーク地下鉄の券売機だったとか。券売機をデザインする際、ニューヨーク市民の生活、特に物を買うときの意識を調査したそうです。その結果、ニューヨークの町には驚くほど自動販売機がなく、店鋪や街路のケータリングカーでの売買がほとんど。そして、品物を選んで、金額を確かめてからでないと、お金を財布から出さないという行動パターンが見えたのでした。
 そこで、日本式の先にお金を入れて品物を選ぶ方式の券売機と、買うものを選んでから金額を確定したのち、お金を入れる方式の券売機を実験的に設置したところ、圧倒的に後者に軍配が上がりました。

 2000年の年末にニューヨークに行ったとき、トークンではなく、メトロカードを買いました。そのとき、自動券売機を使ったのですが、まず「何語を選ぶか」、次に「買うものの種類」、次に「メトロカードの券種」、次に「メトロカードの3種類の値段」、そこで「10$」とか押すと、初めて「10$を払ってください」という表示が出ました。
 すべて銀行のATMに似た画面操作式で、日本の券売機に比べて丁寧で、驚いた記憶があります。ロンドンの地下鉄の券売機はずらっと券種が並んだボタン式でしたし、たしかミラノもそう。パリでは窓口しか使わなかったので、パリ地下鉄の券売機はどういったものかわかりません。
 ただ言えるのは、ニューヨーク地下鉄の券売機はたいへん親切な設計だったということです。

 券売機の成功をきっかけに、ニューヨーク地下鉄は宇田川氏に新しい車両のデザインを依頼しました。2000年から走っている車両は宇田川氏デザインのものです。
 「ニューヨークの地下鉄は怖い」と聞いていた私は、ニューヨーク在住の友人が「全然怖くないよ」と言うのを半信半疑で乗ってみました。すると、どうでしょう。かつて映画やニュースなどの画面で見た、あの落書きだらけで、何かすえたような臭いが漂っていそうな車両ではなく、落書きもなければ、詰め物がはみだした座席もない、清潔で広い車両に驚きました。車両の外側はステンレススチールの銀色。内側はつるつるとしたホーローに似た質感の内壁に、靴の滑り止めに引っかかるような(つまり滑りにくい)黒っぽい床。席はすべてプラスチックのベンチ。何よりも、その明るいこと!

 番組内で説明されているのを聞けば、天井や床は落書きをされても塗料がしみ込まない材質、床はスチールダストを出さないもので作られているのだとか。照明はできるだけ明るく。そのうえ、手すりなどのスチールは曲線を多用することで、照明を反射してより明るく、また鏡面効果で車内を広く見せる効果も考えられているそうです。
 明るいところでは犯罪は起きにくい。車内にいる時間が快適なら悪いことを起こす気分を抑止できる。こうしたコンセプトを元に、現在のニューヨーク地下鉄の車両は誕生したのでした。

 アメリカの意外なところに、日本人の知恵が生きていることに驚きました。
 他にも、アメリカの地方都市のローカル新聞の記者としてがんばる日本人女性ジャーナリストや、日本の山村で戦前の生活を描いた老人の水彩画を本にまとめたアメリカ人フリーライターなど、人間単位の日米交流が紹介されていました。

 最近、「『言論の自由』が聞いてあきれるわ」と、日本のジャーナリズムの程度の低さに愕然としたところなので、なんだかこういうきちんと取材がされた番組を見ると心が洗われることですよ(苦笑)。


 国民年金保険料納付書が来ましたーっ! ああああ、次は国民健康保険で、その次は住民税ですか。万年金欠大魔神には頭の痛い季節になってまいりました。

04.4.2 Fri.  「遡り日記」書いてみました        4.3 5:03
 「胃が痛い」とかいっているわりに、すっかり夜更かししてしまいました。アニメの新番組『恋風』と『天上天下』のせいです。これ以上、テレビ朝日で放映される深夜アニメが増えるなら、ビデオを修理に出すべき? なぜ10chだけ、ビデオに電波が入らないのか不思議だ。

 2:00ごろからTVをつけて、ビデオのほうはテレビ入力、2:27〜3:27でタイマー録画をセット。
 ……はっと気づいたら、4:00でした。ひとり暗闇に向かってしゃべっていらっしゃるTVを消したものの、目が冴えてしまったので、「日記」なんか書いてみたりして。
 3月24日以降の「日記」をちょこちょこ追加しましたので、よろしければご覧になってくださいませ。3月はこれ以後、「遡り日記」は発生しない予定です。

04.4.1 Thu.  嘘の嘘は嘘                4.2 23:05
 浮上どころか激しく浮き上がりまくっていたテンションが、通常モードに戻ってきました。ちょっと、自分がMAX上機嫌だとどこまでテンション上がるのか楽しみにしていたのですが。月が変わったと同時に落ち着いたようです。
 そう。舞い上がっているどころではなく、問題山積なんですよね。今まで見ないようにしてきたけど、進むべきなのに進んでいない仕事の案件を3件も抱えてるんですよ、実は。そのうえ「交渉次第」の件もあるし。ふふふ。年度始めから、頭の痛いことだぜ。

 いよいよ「進みません」ではすまないスケジュール状態になって、「気合い入れなおし!」と思ってはみたものの。なんだか舞い上がった分が疲れに転化されたようで、胃が痛い。って、イカロスか、オレは!? 飛び上がった分だけ、落ちてくる。ドボン!
 久しぶりにキました、さしこむような痛みが! 事務所でキーボード叩きながら、びっしり脂汗をかいてしまいましたよ。早々に引き上げて、家に帰って、電気ストーブにあたりながら、即席卵がゆをもそもそ食べました。『世界危険映像まる見え 恐怖の怪奇事件大捜査スペシャル』を見ながら。……元気やん。
 この、5月の気温といいながら、微妙に底冷えしている気候のせいだと思うのですけどね。

 まあ、そろそろ落ち着くがよい>雑文堂さん。あなた、テンション高いとあちらこちらに迷惑かけまくるから(苦笑)。
 そんなわけで、通常モードに戻ったようです。……今日、エイプリル・フールだけどね。


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