Dairy for Paranoid

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04.10.31 Sun.  Trick or Treat?              11.1 22:47
 ときどき、どうでもいいことにハッと気がついちゃったりする雑文堂です。こんばんは。
 本日のどうでもいいことは、「私、今年はマクドの月見バーガー食べてへん!」でした。毎年、9月半ばになれば1回は食していたのですよ。今年は事務所の所長からA3サイズ二つ折りの複合割引クーポンをもらい、「月見バーガー」関係のクーポンだけきれいに切り取って財布の中に標準装備していたというのに! が〜ん!!
 それも忘れたなら忘れたままでいりゃいいのに、なんの脈絡もなくトートツに思い出してしまったりするのだ。あ〜あ。

 買い替えたばかりの蛍光灯5本。点灯しても10分もすれば消えてしまうので、点灯誘導灯も買い替えました。5個で310円也。で、無事に5本とも皓々と点っているのですが。
 もうひとつ、リビング方面を照らす、やはり蛍光灯5本使っている照明が点灯しなくなりました。昨日までちゃんと点っていたのに。「なぁぜぇ〜」。『NAR○TO』の祟りか? やっぱりそうなのか!? わかった。今度は私がどんなにカ○シさんが好きか書いてやるから、それで許しとけ。
 とりあえず今日点かなくなった照明はそのまま放ってあります。デスクの上の照明さえ点っていればいいのだ。ははん。


 10月31日はハロウィーン。万聖節前夜祭。ケルト人の旧暦での大晦日。11月1日の清らかなる万聖節の前日に、祖先の霊たちが地上に戻ってくる、西洋版お盆の日。魔女や悪霊たちが、光の強い夏の終わりを祝う日。子どもたちが霊に引かれては困るので、かぶやかぼちゃのランタンで魔除けし、子どもたちには魔女の格好をさせて、獲物を探す悪霊たちの目を誤魔化す日。

 そんな日に、とあるイルカカサイトさんで、イ○カ先生の元に死んだカ○シさんが気配となって現れるというSSを読んでメロウになったりしました。
 私の周りだけは、今日も平和です。

04.10.30 Sat.  祟りですか?                10.31 0:03
 なんとなく寝そびれてしまったので、<お題>の『NAR○TO』を書き上げ、爽やかな気分で(書いた内容は全然爽やかじゃねえですが)可燃ゴミを出し、洗濯を始めました。
 爽やか気分がにわかに曇りだしたのは、洗濯機が「洗濯終わったぜ! 早く干しやがれ!!」とピーピー鳴りだしたあたりから。雨が降ってくるし! けっこうな降りっぷりだし! 一日止まないし!

 FAXを送ろうとしたら、電話番号押し間違えて、慌ててストップボタンを押しました。うちのFAXはストップボタンを押すと、送ろうとした書類を一度排出するんです。それを再びFAXにセットしようと持ち上げてみたら、茶色いシミが点々と……。
 「え〜、なんで〜!?」とFAXあたりを見たら、なんかコーヒーがこぼれた跡がある! いつの間に!? ええ。うちのFAXは電話兼用で、デスクの上に鎮座しており、確かにその前によくコーヒーマグを置いてます。でも明らかに本日こぼしたものではないんですよね。微妙に乾きかけているので。う〜んと考えるうちに、「ああ、地震のせいか」と。新潟で地震が起こって以来、東京も微震動が続いていまして、ときどきガタガタくるくらいの揺れがあったのです。たまたまそのときにコーヒーが溢れたのを、なにせ整理の悪い机なので、気づかないまま放ってしまっていた。たぶん、これが真相。
 書類についたシミに呆然としたあと、デスクと、オブジェとしてちりばめてあるテープ起こし用単3乾電池8本(ウソ。使用後、放ったまま)やガムや修正用ホワイトテープやスティックノリや口内炎用塗り薬やらエトセトラ、細々したものを片っ端から拭きまくりました。コーヒーの芳しい香りがね、そこはかとなく漂うのがまた哀愁を誘うんですよ。はああ。

 雨の降る中をしぶしぶ集合ポストまで下りてみたら(マンションの廊下は鉄柵のみの吹きさらしなので、雨が強いと濡れるのです)、封書が入っていました。中身は区の保健所からの健康診断の受診券やらご案内やら。基本健康診査に胃がん、大腸がん、肺がん、C型(B型)肝炎ウイルス、血清ペプシノゲン……。ううううう。
 ご案内いただいて、面倒をみてくださるのはたいへんありがたいのですが、自分で病院探したり、葉書で申し込むのが面倒だ。まあ、近所の緊急病院や気管支炎でお世話になったクリニックでも検査してもらえるようなので(受託医療機関名簿に載っていた)、とりあえず11月30日までに行ってみましょう。血清ペプシノゲンで陽性が出たら、胃がん検診を受けるようになっているのですが、その胃がん検診の申し込み葉書の締切りが11月30日必着。平成17年3月末日までに検診すればいいと言いつつ、11月30日までに診てもらえということでは……ないのかな(苦笑)。

 昨日、買い替えたばかりの蛍光灯が5本とも、点灯するものの、10分くらいで消えてしまう。「なぁぜぇ〜」。

 と、なんだかすっきりしないことが立て続けに起こるのは、『NAR○TO』の祟りなのか、そうなのか?


 10月30日はニュースパニックデー。1938(昭和13)年、アメリカ・CBCラジオでオーソン・ウェルズ演出のSFドラマ『火星人来襲』が放送されました。放送中に、演出で「火星人が攻めてきた」という臨時ニュースを流したところ、リスナーが本物のニュースと勘違い。アメリカ全土で120万人以上が大パニックになったのだそう。このときのもようって、けっこう風刺マンガに描かれてませんでしたっけ。

 この一週間、日本は本物のニュースがパニック状態でした。台風の爪痕の報道にかぶさるように、新潟大地震のニュース、そしてイラクの邦人人質事件のショック。情報過多で視聴者が放心状態に陥っていくのに比べて、どの放送局のニュース番組もこぞってパニックを起こしているように見えました。
 ニュースパニックデーならぬ、パニックニュースウィークとでも名付けたいような1週間。
 現地の映像や情報を伝えることで、救援や寄付などのアクションを誘導していることに対し、報道の価値は認めます。ですが、ただ報道するだけでなく、放送局ごとに非常時に何かができる体制って取れないものでしょうかね。例えば、この局は災害地のここに支局があるからインフラおよびライフラインの情報を重点的に集めるとか。この局はヘリをすぐに出せるので、上空から被害状況を調べ、孤立地帯を災害対策本部や自衛隊に知らせるとか。小回りの効く局は、災害地の取材ついでに不足しているものや避難している人の人数を把握するとか。NHK教育のように安否情報を流すとか。
 「大変です」「大ごとです」とひたすら傍観者的な報道だけでなく、報道(プレス)の腕章で本来行けないところにも侵入が許されているのだから、機動力のある放送局ならではのプラスアルファの働きができるのじゃないかなぁ。そんなことを思いながら、ニュース番組を見ていました。

04.10.29 Fri.  お久しぶりでございますv          10.30 0:03
 「あ〜、10月も終わるなあ」というわけで、お久しぶりの「日記」でございます。こんばんは。いっそのこと「10月の日記はなし」でいいかと思ったのですが、ちょうど仕事のエアポケットに落ち込んだので、今のうちに。

 各所にていろいろとご心配をいただきました皆さま、ありがとうございました。9月から10月の間に2回ほど人生という道に迷ったりしましたが(人生全体では100回以上迷ってます。方向音痴なもので(笑))、今現在、変わらず東京におりますし、仕事も変わらずフリー体制です。
 台風だの、地震だので、日本列島のあちらこちらで命の危険にもさらされている方々がいらっしゃると申しますのに、私はひじょーに個人的なことで悩んでおりました。業の深いことです。

 で、今の悩みは「口内炎が痛い!」。もう4日目になるのに一向に引きません。どころか、どんどん白い部分が成長しています。やはり水曜、木曜の2連徹がまずかったか。木曜日に打ち合せで六本木ヒルズにある会社へ出かけたのですが、ゆ〜れ〜のような顔でした。目の下の隈、頬もこけて、能面の「深井」レベル。初対面の相手の方がビビラれなかったか、非常に心配です(笑)。

 「掲示板」に挙げてみました<お題>も、書けるものから「遡り日記」として書いていきますので、ご興味のあられます方は覗いてやってくださいませ。

04.10.28 Thu.  眠い、眠い。               10.30 23:35
 徹夜明けです。眠い。はっきりいって眠い。なんかとんでもないミスをやらかしそうなイヤな予感。でも今日は昼寝で睡眠不足のフォローができなかったり。うはあ。

 10:00から電話取材。お相手は企業のコンピュータシステムの開発や保守をなさっておられます方でした。うっかり作ってしまった口内炎が痛くて、きちんと口を開けて発音できないうえに、寝不足のせいか妙に息が苦しい。インタビュー中に「ゼーハー」いえるわけもなく、なにかがノドにつかえたような苦しそうな物言いになってしまいました。相手の方が不審に思われなかったか心配です。
 べ、別にコーフンしてハアハアしていたわけではないので……。がくり。

 13:00過ぎに事務所に入って、小説本のイラストを担当していただいてますイラストレーターさんに、一昨日に集めた資料などを送付。

 15:00に六本木ヒルズ内の企業に打ち合せに行きました。
 いろいろお話してきました。もしこれが決まれば、11月25日まではいっぱいいっぱいになりそうです。

 帰りに六本木ヒルズで開催中の東京国際映画祭を覗こうかなと思って、「本日のイベント・上映スケジュール」を見てみました。でも本日分は今ひとつピンと来なかったので、そのまま広場で行なわれている大道芸を見物。ヒルズの中をうろついたり、けやき通りを歩いたり、「食べるスープの店」でアイリッシュ・スープを食べたりして、ひとしきり遊んでから帰宅。
 ……ちょっと脚が痛くなりました。好奇心と脚力が比例してくれればなあ。とほ〜。

04.10.14 Thu.  飛行の快感! 『戦闘妖精雪風』      10.31 5:20
 近所の書店と併設のレンタルビデオ店は、木曜日が「199円デー」なのです。この日ばかりは、いつもはわりと閑散としているレンタルコーナーも老若男女で混んでいます。だから帰宅途中、22:00とか23:00とかに寄れば、借りたいもの、借りたいもの、片っ端からレンタル中、レンタル中。だったら、木曜日以外の日に借りればいいじゃんという話ですが、同じ7泊8日なら310円より199円で借りたいのが人情。それに「今すぐ観ないと辛抱たまらん」って作品はそんなにないですしね。

 そこに『戦闘妖精雪風』のDVD1〜3巻があることは知っていました。でも木曜日に行く度にレンタル中だったのです。私の住まいの付近には、毎週木曜ごとにDVDを借りていくくらい大勢の『雪風』ファン、あるいは神林ファンが棲息しているのかとナゾです。あるいは毎週借りたいくらい、ディープなファンなのか?

 この日は午後に事務所に行くつもりで、ちょっと早めに家を出ました。「今日は木曜日」と思ったとたん、レンタルビデオ店に寄る気になったのです。午前中の今ならば、まだ『雪風』はあるかもしれない……。その思惑は大当たりで、3巻とも揃っていました。早速レンタルしましたv


 私は飛行機が大好きです。あちらこちらに旅行したがるのは、もしかして飛行機に乗りたいだけと違うんかと自分でも思うくらい。特に離陸のときの感覚が好きなんですねv
 『戦闘妖精雪風』でポイントになるのは、「飛行機が飛行機らしく描かれているか」の一点に尽きるだろうなあと思っていました。
 いや〜、参りました! すばらしいですよ!!
 さすが『ラストエグザイル』を制作したGONZOだけのことはある! もちろん、『戦闘妖精雪風』の制作のほうが『ラストエグザイル』より早かったので、『雪風』のノウハウが『ラスエグ』に応用されたと言ったほうがいいのですが。とにかく空を飛ぶものは全部、GONZOにまかせとけ!って感じです(笑)。
 本来、アニメーションでは、人体のように細かなパーツで動きを表せるもののほうが、アニメートしやすいのですね。車とか飛行機といった、動いていてもそのものの形態が変わらないものは、背景を動かすことで「動いている」ことを表現するしかありません。『AKIRA』が絶賛されるのも、ひとつはバイクの「速さ」をアニメで描いてみせたということがあると思います。

 『雪風』のアニメーションは航空自衛隊の協力を得て制作されたそうですが、その成果は存分に画面に活きていました。
 飛行機って地上を動くときはガタガタと音を立てて、なにか不器用に歩くブリキの人形のようなんですよね。格納庫から出て滑走路へ行くまで、翼は上下にガクガクと揺れるし、フラップもユラユラフラフラしてるし。非常に壊れやすいような、とても地球の重力に対抗して空中に飛び上がるなんてできないような、華奢な感じさえします。
 滑走路に入ってどんどん加速するときはガタガタバタバタ機体自体が大揺れです。もっと速度を上げると揺れが無くなり、ある一瞬、無音のというか、ぽーんと重力から放たれたような感じになります。それが離陸したとき。そのあとエンジンをさらに燃やして一気に高度を上げていきます。
 そういう飛行機の動きがきちんと描かれていて、特に第2巻(OPERATION 2)の雪風・メイヴが飛行実験に向かう際のランプから離陸、上昇までの一連の動きや、無人機との模擬戦闘に出てジャムに出くわしたときの帰還、着陸のようすは、お見事というしか言葉がございません。
 また戦闘の際の滑空の様子や、急速転換、急速落下に入る前に一瞬機体が失速するようなさまもしっかり描かれていて、「ああ、ここは空中なんだ」というのが伝わってきました。あるいは墜落していくときの、重力に捕われ、地表に吸い込まれるような速さもいっそ心地よいほど。飛行機と飛行機のすれ違いや、飛び交う際の空の奥行きも、2次元でありながら3次元的で、CGが使われているにせよ、非常に高度なアニメ技術だと思います。

 もう雪風や飛行機たちの非常に美しい動きに目が奪われてしまって、正直、人間のほうはどうでもいいという有り様なのですが(笑)。
 キャラクターデザインが多田由実と聞いたときに、あのアンニュイ感漂う人形のように整った容姿のキャラクターをどうアニメに起こして、動かすのだろうと思いました。それは、ほとんど不可能だという思いで。ところが、しっかり多田氏のキャラクターの特徴を押さえてアニメ化されていたので、びっくりしました。
 原作ファンの方から見れば、「これは違う」と思われるところも多々あるかもしれませんが、私のように原作を知らない者から見れば、非常にわかりやすい話になっていましたし、ひとつのSFアニメとして楽しみな作品と言えます。
 第4巻(OPERATION 4)をまだ見ていませんし、完結もしていないので「期待してます」としか言えないのですが。

 これを書いています10月31日現在、とりあえず第1巻は手に入れました。雪風・スーパーシルフが「死神」と言われながら帰投するシーン。雪風がデータをレイフ(だっけ?)に移して零を座席ごと放出、「GOOD LUCK」と言うところ。もう萌え萌えしながら何度も見ていますv 機体としてはスーパーシルフのほうが好きなんですけど。かっこいい飛行シーンは第2巻のメイヴになってからのほうが多いんだよなあ(ジレンマ)。
 第2巻も絶対GETだ! ……とりあえずお金を溜めてから(苦笑)。

04.10.12 Tue.  なんとなくウズマキな感想2        10.30 4:06
 「1」で書ききれなかったことをつらつらと。これも不快に思われる方がいらっしゃるかもしれませんので隠します。読みたい方だけどうぞ。

 ★ 「誰かに認めてほしい」というのは誰もがもつ欲求で、『NARUTO』はそのあたりをよくストレートに描いているなあと感心します。たいていは照れが出てしまって、あそこまで「認めろ」という欲求を露には描けないと思うのですね。

 「勝負に勝ちたい」とか、「スポーツでチャンピオンになりたい」とか、「世界の王になりたい」とか、少年マンガで描かれる主人公の欲求はさまざまです。それは結局は「自分を認めてほしい」という欲求から来るものだと思いますが、そこまで描いているものは少ないと思います。

 ナルトは違います。彼は「自分を認めさせるため」に「火影になりたい」と公言してはばかりません。それがナルトの幼さだし、また「認められたい」という欲求がそれだけ強いということの現れなのだと思います。
 そして早速に出てきた白。彼はその血継限界のせいで、母に絶望され、父に殺されかけました。だから、自分を認めてくれた再不斬に自分のすべてを賭けてしまいます。白は再不斬に「生きていていい存在」と認められたことで依存し、同時に再不斬もまた白に「自分がしていること」を認められたことで癒されました。なんというか、非常に閉ざされた相互存在依存の話だったわけですが。

 この「他人から認められたい」という欲求は、下手に突き詰めると「認めてくれる人がいるから、今のままの自分でいいんだ」と甘えてしまう、自己停滞に陥りかねないんだなあと、白の話を見ていて思いました。
 「認められる」というのは、「勝ちたい」とか、「偉くなりたい」とかよりも抽象的で、対象が無限で、次元もさまざまな欲求だと思います。すでにナルトの「認めてほしい」と、白の「認めてほしい」は同じようでいて、違う欲求ですから。さまざまな色形をもつ「認められる」という状態をどう描ききるのかなあというところに興味があります。

 まだナルトは他人に自分を認めさせたい一心で努力していますが。ただ自分だけの技量を強めればいいというだけでなく、自分を抑えて他人のフォローもできるようになってこそ、一人前と認められるのだというところまで、マンガは書いてくれるのでしょうか。
 あるいは自分が自分を認めたときに、「認めてほしい」という欲求は消えるのだ、と。
 「自分を見ろ」「自分を認めろ」というのは子どもらしい欲求で微笑ましいですが、自分が勝ち続けることが認められることという路線を突っ走るなら、イヤだなあと思います。ナルトが「認めさせてやる」と言わなくなったときが、ひとつの到達点であってほしいなあと思います。

 そして、未だに「認めてほしい」という欲求から解脱できていない私には、なかなかナルトの気持ちはイタかったりします。「ナルト、うるせ〜よ!」とか思ってしまう時点でいろいろダメダメ。
 ナルト、サスケ、白、我愛羅、ロック・リーなどなど、どうにも愛に飢えたというか、「オレの存在を見ろ!」系の暑っ苦しい子どもが多い中で、子どもながらに受け流すことを知っているシカマルの存在は、「実際にいたらかわいくないだろう」と思いながらも、私には清涼剤ですv


 ま、数多あるマンガの中でこの作品に出会ったからには、「カカシさん、ラブ〜v」でいこうかなと思っています(結局、好きなんかい! ……うん、まあねv)


04.10.11 Mon.  なんとなくウズマキな感想1        10.30 3:10
 『NARUTO』岸本斉史(ジャンプコミックス/集英社)について、コミックス1〜5巻と16巻、20巻、『秘伝・臨の書』、『秘伝・兵の書』、『UZUMAKI 岸本斉史画集』を購入、あとはレンタル(ただし飛び飛びで7巻分ほど)とオンタイムで見たアニメの知識しかないのに、「何を書くんや」という感じですが。
 とりあえず言い訳など、書いてみようかな、と(何の言い訳?)。
 ファンの方は不快に思われるかもしれませんので、読みたい方だけどうぞ。

 ★ 『NARUTO』は子ども向きの作品で、焦点はナルトとサスケのライバル同士の闘いと友情、成長であるということは承知のうえで。あえて大人(いい歳のおばさん)が読んでしまった場合の感想でございます。

 まず「これは感情移入が難しいな」と思ったのは、個人的に「ここまではきっちり描いておいてほしい」と思うところまで、キャラクターが描かれて(いや、むしろ作られて)いないところ。
 これをまず最初に感じたのはカカシというキャラクターに対してでした。彼は上忍で他国に名を馳せるくらいに強いというのですが、コミックスを見ているかぎりでは、私にはさっぱり納得できません(苦笑)。それは、彼の強さがすべて、再不斬やガイといった「誰かのセリフ」でしか語られていないからです。

 アカデミーをようやく卒業できたナルトが、「忍者」の怖さや強さを初めて目の当たりにするはずだった「波の国」での経験。だから、初めて出会った上忍であるカカシにはもっと存在感を与えるべきだったと思うのです。
 例えば、鬼兄弟のあと、再不斬が出てくるまでにもう一戦ほしかった! そこで圧倒的なカカシの強さを証明したあと、再不斬の水牢につかまったなら、「強いカカシを捕らえるほどに、再不斬は強い」ということが自然に納得できたし、そんなに強い再不斬の水牢を連係プレーで解いたナルトとサスケについて、「二人揃えばすごいじゃん」と素直に思えたと思うのです。

 ところが、カカシの実力がただ再不斬のセリフだけで形成されるので、あっさり水牢に捕まったカカシの画面を見ている私には「百戦錬磨の上忍というわりには隙だらけだし〜」「水牢破れないなんて、今までよく生き延びてこられたな〜」と思えるばかり。そのうえ、「まだ下忍になりたての子どもに助けられやがりましたか」(苦笑)。ということで、まずカカシってキャラクターはどういう存在なのか、さっぱりわかりませんでした。

 なんていうのかな。ナルトたちだけでなく、読者である私にとっても、「本当の忍び」に出会うのはカカシが初めてなわけです。つまり、以降に出てくる忍者キャラについては、カカシを基準に「彼より強い」「彼より弱い」という感じで判断しちゃうんですよね。その基準の彼の「強さ」がどうも読めない。
 結果として『臨の書』『兵の書』といった副読本の存在がないとキャラクターの強さがわからない。画面でキャラクターを表現しきれていない「戦いのマンガ」は萎えます。セリフで誉め讃えるだけでなく、キャラクターの強さとか、存在意義とかは、実際にそのキャラの行動を描くことで表現してほしいと思うのです。

 作者にお聞きしたわけでもないので、『NARUTO』という作品の中で、というよりナルトの成長の中で「第7班」というのがどれほどの意味を持つようにしたかったのかわかりませんが。
 少なくとも師弟関係とか、スリーマンセルというのは、あの世界観の中で大きな位置を占めているように思います。
 ならば、カカシはナルトとサスケ、サクラの「師」として描かれるべきだったと思うのですよ。監視人という裏設定があるにしても、仮にも「第7班」を形成しているわけですから。まず「強さ」、それから「外見から強さを見せない」こと、そして「チームワークを重んじる」こと。カカシの教えが弟子たちのどこに受け継がれたかといえば、サスケの千鳥くらいなもの。どう見てもカカシは単なるお守役で、彼を放っておいて、ナルトもサスケもサクラも自分勝手に成長していっている感じが抜けません。
 今に至って、結局ナルトたちにとってカカシという存在は何だったんだと思えば、「自分たちを下忍にして、中忍試験を受けさせてくれた、変な人」なんではないか、と。ま、カカシ先生は弟子どもにそう思われたほうがいいのかもしれませんけどね!

 私がカカシというキャラクターを「いいな」と思ったのは、ナルトが自己紹介をするのを聞いて、「おもしろい成長をしたな」と心中で思った、その一事でした。
 ナルトは身の内に封じられたもののせいで、村人たちから冷たく扱われてきました。だから「自分を見ろ」「自分を認めろ」とうるさい。それを、自分の過去と合わせて認めてしまったのがイルカ。三代目火影は事情をよく知るだけに、「しょうがない奴」と思いながら諌めることができない。カカシは、ナルトに関わる大人の中でようやく出てきた、ナルトの「認めろ」攻撃を軽くいなして、自分自身を抑えてもチームを助ける気持ちなどを教えられる「先生」という気がしたのです。

 でも結局、「第7班」というものが3人の子どもたちにどう根付いたものかわからないままに、ナルトは自来也から技を教わり、サスケは出奔し、サクラはどうやら綱手姫の弟子になるもよう?
 えらい中途半端で、じゃあ、そもそも「スリーマンセル+上忍師」なんて制度、いらんやろと思いました。

 そもそも「スリーマンセル+上忍師」の体制内にいる下忍を預かって、自分で勝手に教育するというのもまったく理解できないことで、私の中では「自来也って何様?」「ああ、伝説の三忍様か〜」って感じです(笑)。彼は三代目火影からいったい何を教わりやがりましたかと思いましたさ。勝手にもほどがある。「スリーマンセル+上忍師」という体制も里の掟のひとつと違うんかい。三忍は別なのかもしれないけど、そんなに簡単に例外を作ってもいい掟なら、なんの強制力も持たないだろう、と。

 どうも世界観の縛りが甘く感じるのですね。むしろ作者が「あのキャラいいな」と思ったら、それを表にもってこれるように、作ったはずの「枠」を歪めている感じがして、どうもクネクネと形を変えるアメーバを相手にしているように思います。
 『臨の書』『兵の書』で「師弟の絆」とか書かれていると、うす〜く笑ってしまうくらいには、いろいろ納得いってません。


 これは少年マンガで、とにかく主人公が強くなっていくさまを見せるんだ、という観点からは、間違ったストーリー展開だとは思いません。
 ただまあ、せっかく「師弟関係」というものを出したなら、ナルトというまだ12歳の子どもが、イルカに出会って「わかってくれる人」(親的存在)のいる心地よさとありがたさを知り、サスケと出会うことでライバル意識と友情を知り、サクラと出会うことで人を恋うる気持ちと「それでもどうにもならないこと」(他人の感情)を知り、カカシと出会うことで大人に対する「かなわない」という気持ちや技を極めた人に対する尊敬を知る。というふうに、感情の成長を描くことも可能なマンガだっただけに、残念だなあと思うわけですよ。

 単独で見ていくと、どのキャラクターも魅力的なだけに、同人界で人気があるのはとてもよく納得できます。ある方が言いました。「『NARUTO』は同人誌を読めばいい」。
 ……それもどうよ、と思いつつ。でも原作はせっかく生み出したキャラクターを活かしきれてないからなあ、と納得もしつつ。これからどう展開するかわからないからなあ、と今後のストーリーに期待もしています。



Made with Stone Diary



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