Dairy for Paranoid

DECEMBER 2004

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04.12.31 Fri.  大晦日                  2005.2.6 0:23
 朝から雪がえらい勢いで降っています。昨日はよく晴れていたのに。よりにもよって、いろいろ買い物をしなければならない大晦日に降ってんじゃねえよ!と毒づいてみても、一向に止む気配はありません。

 本日は母の買い物の荷物持ちをしたあと、仏壇掃除、トイレ掃除が待っています(いや、別に待っててくれなくても、勝手に掃除しといてくれてよかったんやけど)。しぶる母を「いくら待ってても、止めへんで」と連れ出し(どっちが主で、どっちが従や)、かつおぶしや醤油の入ってないダシやチーズやいちごや焼き鯛や明石たまご焼きとぶた焼き持ち帰り3人前(これは本日の昼食)を買いました。
 母が秋に購入していたボジョレ・ヌーヴォーを開けるというので、トマトとモッツァレーラチーズを買い物に追加。トマトを輪切りにして、その上にモッツアレーラチーズをやはり輪切りにしたものを置き、オリーブオイルをかけ、上からパセリのみじん切りを振り掛けると、ボジョレ・ヌーヴォーのように風味がライトなワインに合うつまみになります。

 買い物を終えて、昼御飯をすませたあとは、恒例の仏壇掃除。冬は日が暮れるのが早いので、トイレ掃除にかかるころには暗くなってました。新しい実家はトイレが1階と2階にあるので、めんどくさいことこのうえなし! でもビデやらおしり洗いやら乾燥、脱臭機能までついたウォシュレットなので、使い心地は格段にいいですけどね。2階で寝泊まりしている私には、1階まで行かなくてすむというメリットもありますし。

 夕食に飲んだボジョレ・ヌーヴォーが異様によくまわり、風呂に入ったあとはちょこっと「紅白」を見て、そのままバタンキュー。24:00ごろに豆まきに誘われたみたいですが、撃沈でした。
 2004年、ようやく終了です。今年1年、お世話になりました。

04.12.30 Thu.  50%仕事納め               2005.2.3 2:56
 今年最後の打ち合せ。実家に帰省するのでできるだけ早くと、ねこまた工房のIさんが気をきかせてくれて、先方に午後いちのアポイントを取ってくれました。仕事納めの日まで我がままです(笑)。
 新年早々に入ってくる仕事は、かなり面倒なことになりそうな予感。内容も難しければ、スケジュールもきっつきつ。なにせ、その本に関してはそこの編集プロダクションがすべて請け負うはずが、アウトソーシング(つまり私とねこまた工房のIさんに原稿依頼)しなければならなくなったというほどの切羽詰まりっぷり。
 暫定締切は来年1月18日。でも、12月のこの段階においてページのラフも方向性も、出版元との擦り合わせができておらず未定。新年明けてから、決まり次第、連絡をいただいたうえで作業にかかることになりました。私、18日まで派遣の仕事があるんですが。できると思えないんですけど、実際のところ。

 編集プロダクションを辞して、高田馬場駅前でIさんと打ち合せ。「できると思う?」「んにゃ」という即行簡潔な問題提起→結論で、早くも1月は暗雲立ちこめる、よ・か〜ん。

 16:36東京発ののぞみ号のグリーン席(しか空いていなかった)に収まり、心にかかる「よしなしごと」をボロボロと新幹線の通った道筋に落としてみました。それでも落ちなかった持ち帰り仕事。2004年は1月2月から仕事の暴風雨に襲われましたが、最後の最後まで仕事に悩まされる年だったということですね。
 来年はほどほどに。できれば満遍なく。よろしくお願い申し上げます(誰に頼んだらええのか、ようわからんけど)。


 そして実家に帰ったら、おりしも正月の飾りつけの真っ最中! 全部で11のお飾りにつけるための紅白の水引きだの、紅白の奉書だの、紙重(しで)用の半紙だの、神棚に供える小餅だの、三宝に乗せる鏡餅だの、柿串だの、餅米だのがリビングダイニングの床のあちらこちらに置かれているうえ、ビニールシートを広々と敷いた上にウラジロを置いて塩をふったばかりらしく、どこに足を置いたらいいのかわかりません。

 「この柿串は魚ん棚(うおんたな)のあそこの店でいくらやったの」「この餅米は○○さんからいただいたもの」「ウラジロな、銀座に出ていた注連飾り売ってる屋台の人にウラジロだけ譲ってって言うて、買(こ)うて来たん(<そりゃ、迷惑という説は?)」と、いちいち由来来歴を披露してくれる母に「うん、うん」と相づちを打ちながら、一番ウケタのは鏡餅でした。
 以前は父の実家でついた餅を大小の鏡餅にしてもらい、飾っていました。しかし父方の祖母が亡くなってからは餅つきをしなくなり、それでもあちらこちらからいただいたりしていたのですが、数年前からプラスチックの覆いに入った市販の鏡餅に替えたんですね。理由は、今のお餅って水分が多くて、すぐカビるうえに、乾燥が激しいのですぐ固くなって割れてしまうのです。昔は1月15日に鏡餅を割って、焼いておかきにしていました(ほうじ茶につけて食べると、しなしなして美味しいのです。あと、すまし汁に入れたり)。でも鏡餅が固くなりすぎて包丁が通らなくなった時点で、「これはプラスチックに入った、固くならない餅のほうが経済的にいいんじゃないか」ということになったのです。なので、別にプラスチックで覆われたツルツル鏡餅が珍しかったわけではなく。今年の鏡餅は、鏡餅の形をした覆いの中に小餅がたくさん入っているのだと聞いて、爆笑したのでした。それって……それって「鏡餅」ゆうん? 覆いの底のビニールをはがしたら、小餅がいっぱい出てくるんですよ〜。なんか微笑ましいっつーか、いろんな意味でおかしい。

 実家の床の間の正月飾りは、曙(日の出)の掛け軸に注連飾り。それに、白三宝の上にウラジロ、紅白の奉書を敷き、鏡餅を置いて、その上につながった柿串を2つだけ乗せたものと、黒三宝の上にウラジロ、紅白の奉書を敷き、餅米を盛り、天辺にだいだい、その前に扇形に折って紅白の水引きで結んだ白こんぶを置き、餅米の山肌に勝ち栗、短冊様に切った白こんぶ、ひとつひとつ切り離した柿串を散らしたものの、2種類を作ります。
 床の間までふたつの三宝を運んで、ハタと悩む母と私。どっちが右で、どっちが左だったっけ? 今年の正月は、父の兄(つまり伯父)が亡くなったので、正月飾りをしなかったのです。1回やらなかっただけで、右左を忘れている私たちってどうよ。ふたりしてうんうん記憶を呼び起こし、意見が一致した並べ方をしてみました。間違ってたら、ごめん(誰に謝ったらいいのかわからないので、とりあえず>お祖母ちゃん)。
 ついでに各神棚と仏壇には、神酒口(みきのくち/竹製の熨斗ぐち)を挿したお神酒徳利と、小さな折敷に小餅をふたつ重ねたもの、やはり小さな折敷に輪切りにした雑煮大根、焼き豆腐、その上に1本のささがきごぼう(お雑煮の代わり)を重ねたものを供えます。

 結局、23:00過ぎまでバタバタしていたのでした。

04.12.28 Tue.  ヒルズってわりとめんどくさい       2005.2.3 2:35
 ヒルズの受付のお姉さんにも、警備員のおじさんにもすっかり顔パスになってしまった雑文堂です。
 ヒルズの森タワー(ビジネス棟)では、来客の予定について、ヒルズ内の会社の担当者が「○時に○○社の○○さん、○○社の○○宛へ来訪予定」というようなことを、PC経由でヒルズ全体の来客者リストに入力しているらしいです。来訪者はヒルズの受付で、自分の名前と訪問先会社名と担当者名を言います。受付のお姉さんがノートPCで来客者リストをチェック。そこに名前があって、初めて「来館者カード」が手渡されます。そのカードをビジネス棟入口の警備員に見せて入館します。帰りは、その「来館者カード」に訪問先の会社の担当者にサインを記入してもらわなければなりません。
 私は外部スタッフなので、通勤している間、毎日、受付で「来館者カード」をもらいました。なので、すっかり受付のお姉さんとも警備員さんとも顔なじみになってしまったのでした(<「いつもありがとうございます」とか、「いつもお疲れさまです」とか言われちゃうのだ。なんだかほの悲しいザンス)。

 ひとつ釈然としないのが、訪ねて行く先の担当者が来客リストに入力し忘れていた場合、受付のお姉さんに「お客さまのお名前は登録されておりません。訪問先のご担当者にご連絡してみてください」と言われちゃうことだ。なぜ先方の登録忘れを、客であるこちらが携帯電話の通話料金を払って確認せねばならないのか。普通の会社とかなら、受付から担当者に電話して確認するとこだろう。ただPCでリストを確認して、来館者カードを渡すだけなら、映画館などの予約券売機のように、自分の名前なり、整理番号なりを機械に入力、入館許可書を発行すればすむんではないの、と思ってしまいます。
 まあ、森タワーを訪問する人ひとりひとりについて、不備を処理していたら大変な労働ということかもしれませんが。「高さも高けりゃ、お鼻も高いな」と思っちゃうのは、しょうがないよね(笑)。

 ついでに。森タワーのビジネス棟って、奇数階へ行く人は1階の受付へ、偶数階へ行く人は2階の受付へ行くことになっています。なぜだと思いますか?
 実はここのエレベーター。箱が上下に2基くっついているんです。奇数階へ行く人は1階から下の箱へ、偶数階へ行く人は2階から上の箱へ。1度の昇降で、2基のエレベーターを同時に動かすというシステム。なので、誰もボタンを押していない階に止まることがあって、そのときには「下カゴ、乗降中です。Lower car is now in service」とnoticeがアナウンスされます。下カゴが乗降中だと、上のカゴにも揺れが伝わったりして、30階以上にある会社に通う身にはなかなかスリリングでございました。

 本当は27日で年内の派遣作業は仕事納めのはずだったのですが。終わらない仕事のメドをつけ、年内にやるべきことを片付けておくべく出勤しました。
 すぐに引き上げるつもりが、結局22:00を過ぎてしまい、社員の方々が「よいお年を〜」なんて声をかけて帰られるので、やはりなんだかもの悲しい思いをしました。

04.12.27 Mon.  師が走る。私も走る。           2005.2.3 1:45
 25日は16:00からねこまた工房で打ち合せ。来年から動く(かもしれない)企画について話し合い。なんとか仕事になってくれたらいいけどねと思いつつ。
 帰宅してから、小説の初校について、作家さんからいただいた修正をふまえて検討。メールのやりとりの間に偶然見つけた「わんにゃんeカード」を「どこかのコンビに似てませんか〜」などと、作家さんに送りつけたりしていました。クリスマスの夜なんかに仕事していると、変なものを見つけてツボに入りまくった挙げ句、他の方にもお裾分けしたくなるのです。なんていうか……1日遅れのサンタさん?(<いや、明らかに違うし)。
 26日は小説の初校を素読みチェック。「きちんと見ておかないと(<「読む」ではなく「見る」あたりがイロイロ間違ってます)」と気合いが入りすぎて、結局1日かかってしまいました。

 本日、ヒルズに行く前にねこまた工房に寄って、チェック済みのゲラを納品。ねこまた工房でのチェックを終えて、明日、出版元へ戻すというスケジュール。これが終われば、小説の「文章」関係の仕事は、年明けの再校チェックまでひと休みです。まだ「挿し絵」関係の作業が残っておりますけどね。
 もうイロイロすっ飛ばして、早く本になれーっ! その日がひたすら楽しみですv

 え、いきなり「小説」の話が出てきて、わけわからないって? ふふふ。今まで水面下で動いていたのですが、これを書いている時点(2005年2月)では明らかになっているので隠しませ〜ん。でも「つやつや物語」のように制作手順を書くつもりはありませんので、トートツはトートツなままで(笑)。関連記事は11月15日付の「日記」ですかね。

04.12.24 Fri.  イヴはひとりで賛美歌を。         2005.2.3 1:16
 イヴも仕事で午前さまでした。
 六本木駅のホームで、一緒に帰宅の地下鉄を待つお嬢さんたちは、みんなきれいに着飾って、ファーつきのコートにクリスマスっぽい小さな紙袋とワインやお酒の香り(つーか、匂い)。六本木ヒルズのレストランで食事して、イルミネーションを見て、お酒を飲んで、というコースでしょうか。中には駅のベンチで彼氏にもたれて熟睡しているお嬢さんもいらしたり。またその彼氏が寝込んでいる彼女の髪をやさしく撫でたりしてるのですよ。お嬢さんが開いて投げ出した足からはサンダルが脱げちゃってます。幸せそうでけっこうですが、公衆の目にさらすには絵的に美しくないので、寒い駅のベンチで和んでないで、彼氏は彼女をさっさと起こして連れて帰ってあげてください。着飾っているときは特に泥酔に気をつけるべきだなあと、ひとつ学んでしまいました(笑)。

 「ああ、今日はイヴかあ」なんて実感したのが、他人さまの有り様から、だなんて、ちょっと不幸かもしれんと思ってしまった、2004年のクリスマス・イヴ。もちろん、教会にも行けませんでした。がっくり。家に帰ってから、ひとりで賛美歌を歌ってみたり。うわ、さみし〜(笑)。

04.12.23 Thu.  コーヒーは必需品             2005.2.2 4:08
 休日出勤でヒルズ行きで〜す。18日はパンフレット制作、19日も出勤したので、休みなく働いていますね。我ながらすごいな〜、えらいな〜。大阪の編集プロダクション以来、定時業務をしなくなって久しいので、よけいによく働いている気がします。「雑文堂、ちゃんと10:00に会社に出てるよ〜。約20日間も続いているよ〜。げ〜、信じらんねぇ!」って感じ(笑)。
 ま、休日出勤は午後からにさせていただいてますが。
 そういえば、2、3日前に派遣会社から連絡をいただいたのでした。編集長からのお申し出で残業手当てがつくことになったとのこと。ありがたいことでございます。少しはヤル気の源になったかな。

 森タワーの2階にイタリアンエスプレッソショップ「セガフレード・ザネッティ」があります。アメリカンテイストのスタバより、こちらのほうが私好み。レギュラーコーヒーをクラシコサイズで頼んで320円(確か)。量もあるうえに、ミルクポーションに非常に合うのです。
 休日出勤や昼休みに食事に出た帰りに寄って、手っ取り早いリフレッシュ手段としてテイクアウェイ。デスク仕事の傍らに香り高いコーヒー。これは生活必需品だなあと思うこのごろです。

 ちなみに、ヒルズ内のレストランはどこもお高いので、私のランチタイムはもっぱら地下鉄六本木駅のウェンディーズの390円セットです(笑)。たまにヒルズ地下のTOKYO SOUP STOCKで、スープ+白胡麻御飯のレギュラーセットとか。ヒルズのお勤めの方々は、どこでランチタイムを過ごされているのか、お聞きしたいところです。
 ……私がお世話になっている会社は、営業がほとんどで、出先ですませておられたようです。内勤の方々はコンビニのおにぎりや弁当屋の弁当、家から持ってきた弁当を社内で食べたり、会社の有志で仕出し弁当をとっていらしたようです。外部から来ている私は社内で食べることにどうしても抵抗があって、気晴らしかたがた外に食べに出ちゃうのでした。

04.12.18 Sat.  怪我の功名。かもしれない         2005.2.2 3:32
 ひょんなことから、神戸の企業のパンフレット制作の仕事をすることになりました。随分以前、まだ明石にいたころに組んで仕事をさせていただいたデザイナーさんから、「まだ仕事してますか?」という打診をいただいたのです。「してますよ。東京ででもできる仕事があれば、お声がけくださいね」とお返事したら、早速にお声がかかった次第です。
 オファーをいただいたときには、まさか派遣業務でこんなに時間を取られるとは思っていなかったので、「いいですよ〜」と軽くお受けしたのです。まあ、当然の帰結ながら、締切日を迎えて「ああ、どうしましょう」とオロオロ状態。それでも、資料や企画書、以前のパンフレットと今回制作するパンフレットのデザインPDFなどを時間があるときに眺めていたので、イメージを固めて、「さあ、やるぞ!」と手をつけたわけです。

 頭の切り替えに不安があったのですが。不思議なことに、けっこうスラスラ文章が出てくるんです。考えてみると、派遣業務でチェックしている記事内に企業の業務内容を書く欄があって、それをいくつも読んだり、書いたりしていたおかげかな、と。自然に、企業がアピールしたいことや、これがキモだろうというところが浮かんできて、あまりウンウン唸らないでも書けたのでした。……とはいえ、ほんとにギリギリになってしまいましたけれど。
 意識しなくても、それなりのことをそれなりにやっていれば、身につくものもあるということです。

04.12.15 Wed.  悪い予感ほどよく当たる          2005.2.2 2:46
 別の会社が出している似たような本3冊とこの編集部が出した前号の雑誌と比べて、前号に載ってない企業を洗い出し、新しく原稿を作って、企業の担当者を探して連絡、原稿をチェックしてもらう。これが約10件。新しく制度を始めた企業を東証・大証のニュースから探し出し、新しく原稿を作って、企業の担当者を探して連絡、原稿チェックをしてもらう。これが約5件。
 11月に各企業に送って戻ってきた、前号掲載記事修正分のチェックと素読み。差し換え原稿の打ち込み。不備部分の電話連絡。これは編集スタッフさんが途中までやっておいてくださっていたので残り約400件、うち要電話連絡50件以上。

 企業から戻ってきた初校をデザイナーに修正してもらい、そのうち再校の送信を依頼してきたところにFAX送信。これが約360件。
 再校チェックは360件を含めた876件。うち不備関係で要電話連絡150件以上。

 その後、企業から戻ってきた再校ともども再校で赤字が入ったところの修正。最終ゲラと再校赤字を突き合わせチェック。すべて赤字修正し、印刷所に入稿するリミットが1月17日。

 以上は、2005年1月17日現在での「やってみた結果」です。
 ま、12月15日時点で、1日8時間勤務でこれだけの記事をチェックし、初校、再校、最終校の手順をこなすのは無理無茶不可能とわかっていました。伊達に15年間、編集稼業やってきたわけではございません(苦笑)。特に進行関係の危機を察知する能力には長けてますよ。妖怪アンテナ並みに、本能で感じてしまうのです。
 初日は契約どおり19:00に帰った私ですが、3日目で22:00。ほどなく退社時間が23:00、24:00になるのは、「いや、間に合わなくてもいいなら定時で帰るけどさ」という諦めの境地。契約では、日給固定で残業分はつかないという取り決めだったので、本日辞める編集スタッフさんと編集部、営業部含めた引き継ぎ会議でつい言ってしまいました。「私は派遣で来ています。仕事は10:00から19:00で終わる量をご考慮いただきたい。契約上、時間外の仕事はすべてサービスになりますので!」。
 普通はね。前夜24:00とかに帰ったら、次の日はちょっと遅めの出勤もありかなと思うのですが。この仕事においては、何時に帰ろうと、帰宅後に別の仕事で寝るのが何時になろうと、次の日は必ず10:00に出勤しましたね。それだけ「やばい。間に合わない」と危機感が先走っていたってことだと思います(あと、ビルの入館システムの問題もあったのですが)。

 来る日も来る日も原稿チェック。だいたい1件の記事チェックに赤字突き合わせと素読みで6分はかかるんですね。1時間でチェックできる件数は10件。8時間で80件。900件近い記事を一人ですべて見るには、最低でも11日間かかる計算です。
 最初の1週間は、新規原稿の制作と初校チェックで終了。次の週から再校チェックにかかりました。確かに再校チェックにのみ集中していれば、1日80件いけますが。電話をかけたり、FAXを送ったり、新規原稿を作ったり、修正分を打ち込んだりしているうちに、1日なんてあっという間に過ぎてしまいます。どんどん計算が狂います。
 この雑誌、半年に1度、すでに4冊発行されているのですが。今までどのようにして作っていらしたのか。最大の謎にして、今だに解けないナゾです(……私がこだわりすぎ? でも記事の赤字突き合わせと素読みは最低やるよなあ……。はっ、私の手が遅いのか……)。

04.12.13 Mon.  ウソのようなホントの話          2005.2.2 1:30
 本日からまた六本木ヒルズの某社にて、編集の派遣業務です。
 オファー段階の説明では「800件ほどの企業から戻ってきた原稿のチェック。原稿が未戻りの企業については電話の催促もあり」とのことでした。10:00〜19:00の定時勤務、昼休み1時間の8時間労働で1日いくらの定額給与。交通費の支給はなし。「雑文堂さんはオーバークオリファイなんですが」とも言っていただいたのですが、「12月から1月は仕事が入ってないので、簡単なお仕事でもかまいませんよ」と引き受けたのでした。

 行ってみて驚き! この編集部の構成は、編集長、編集担当の社員スタッフ1名、企業からの戻り原稿をPCに打ち込み、管理しているアルバイト1名、外部スタッフのデザイナー1名の計4名なのですが。なんと3日後に、たった1人の編集スタッフが退職の予定ですとぉ! そ、そうですか。でも当然、次の方は決まってるんですよね。はい? 決まってない!? いや、ちょっと待って。ということは何ですか、この雑誌を編集したこともなければ、社員でもない私に、辞めていく編集スタッフの代わりをしろ、と? そういうことなんですか!?
 ……そういうことだったらしいです。なんかナチュラル〜に、編集業務について今後の進行手順ともども説明を受けちゃってるんですが! 「1日8時間あれば、十分原稿チェックできますよ。再校を送る企業も200社程度で、変更もあんまりないはずだし」。
 この日はそうなのかもなあと思いました。やる前から「できません」とは言いたくないですし。でも、私、リク○ートで企業関係記事の制作進行をやっていたんですよね。どうしても疑ってしまいます。「企業がらみのコマ記事チェックのこの仕事、そんなに甘いもんやあれへん」。
 そして、この予感は適中するのでした。

04.12.5 Sun.  お葬式                  2005.2.3 1:00
 12:00からの葬儀に、父、母、斎場に行く前に実家に立ち寄った弟、私の4人で向かいました。場所は和坂の焼き場にある斎場なので、葬式、骨上げ、初七日を場所を動かずに行えます。最後まで大叔母らしいというか、大叔母の血筋(喪主は長男)らしい合理性に、思わず故人を忍んでしまいました。
 祖母のときも感じたのですが、老いた女性の葬儀というのは寂しいものです。見送るのは親族と、町内会の関係者、それに喪主の会社の関係者くらい。それでも東京から、随分以前に亡くなった大叔父の親族の方がいらして、寂しすぎるということはなかったのが幸いでした。
 この日、東京では台風の影響で電車が遅れまくったそう。千葉から来られたお一方は遅れて到着されました。前日から帰省しておいてよかったなあ>自分。
 東京方面から来られた方々は、たまたま土曜日に、長期入院していた大叔母を気づかって、容態を聞こうと電話されたそう。その電話で大叔母の死を知ったという、まるでウソのような話で参列されたのでした。
 母が「あんたが帰ってきてくれてよかったぁ。あちらの家(大叔父の実家)から参列されているのに、同じ東京のあんたがおらんではちょっと気まずい思いせなんだかもしれへん」と言うので、「せやから言うたやろ。冠婚はともかく、葬祭はきっちりしとかんと、後々まで『あの家の誰々は来なかった』って言われんねん。私は私でやっぱり悔いが残るしな」などとコソコソ話してたのは内緒です。うちは母と娘、たまに立場が逆転します(苦笑)。

 本当に何年ぶりかで、大叔母の息子たち(母の従兄弟たち)と顔を合わせました。弟のほうの奥さんと子どもたち3人とは初対面。兄のほうの奥さんとも正月以来。一同揃って精進落としの膳を囲むと、なんといいますか、血脈が見えておもしろいですね。特に、私の酒の酔い方は間違いなくこっちから来てるなあ、などということがよくわかりました(笑)。

 17:00ごろにはすべて終了。風吹きすさぶ、冬枯れた斎場を後にしました。
 ときどき「どうしてはるのかなあ。今は淡路にいはるんやろか。それとも明石に帰ってはるんやろか」と思うことがありました。入院したと聞いて、「容態はどうなんやろ」と思うこともありました。もう思う必要もないのに、ふいに「どうしてはるんやろ」と思ってしまうのはなぜなのでしょう。
 祖母のときはどこかに間違いなくごそっと穴が開いたように感じましたが。大叔母については、長く会わなかっただけにまだ実感できていないのかもしれません。


 大叔母の死去に際しまして、仕事の関係上お知らせしました方々から、ご丁寧に悔やみのお言葉を頂戴いたしました。ありがとうございました。こういうときにお言葉をいただきますと、気忙しく波立っている心が落ち着いて、「哀しい」と素直に思えるものなんですね。今さらながらに、なぜ「お悔やみの言葉」が習わしとして連綿と続いてきたのか実感してしまいました。
 ありがたかったです。

04.12.4 Sat.  大叔母のこと               2005.2.2 23:05
 11月の派遣業務が終わり、ちょっとのんびりできるかなと思った12月4日、5日。滞っていたサイトの「日記」を書いて、仕事関係の仕切りなおしやフォローのメールを書いて……と、珍しく「MUST DO」の段取りを考え、「寝たきり週末」返上を決意したのですが(<決意するほどのことかい)。
 今、考えますとね。私が珍しく土曜日の朝4:00から起きていたというのが、不吉の始まりだった気がします。休みの土曜日は通常で午前中、下手すると夕方まで寝てますからねえ。

 10:00過ぎにかかってきた電話。それは実家からで、内容は「昨日、大叔母が亡くなって、本日は通夜、明日が葬式」というものでした。一瞬、目の前が暗くなり、母が何を言っているのか、わかりませんでした。なんかドラマでそういうシーンがあるじゃないですか。訃報とか聞いて、身体がぐらっとなって、何度も聞き返しちゃったりするシーン。本当にそういう感じになるんだなあと思いました。
 「仕事もあるだろうし、無理して帰る必要はないから。ただ知らせとかないとと思って連絡したんよ」という母に、「先週とか来週やったら、帰られへんいうたかもしれへんけど。今週末は仕事関係の予定はないねん。明日、葬式の時間に間に合うように東京を出る自信はないから、今から帰るわ。葬式のあと、骨上げと初七日までおったほうがええんやったら、今晩と明日の晩、泊めて。月曜の朝に東京に戻るさかい」と段取り決め。週末から月曜日にかけて連絡が入りそうな各所へメールで断わりを入れ、喪服や数珠などの準備をして、16:50東京発ののぞみ号に乗ったのでした。

 母がなんとなく歯切れが悪かったのは、大叔母と私とでは親等が遠いのと、実家とは微妙な関係だったからです。
 祖母の妹で、明石の町の氷屋に嫁いだ方です。昔、冷蔵庫や冷凍庫がなかったころは、氷屋から買う氷が食料品などの冷蔵保存には必須でした。ステンレス製などの箱の中に、氷の固まりを入れたものが冷蔵庫だったのです。

 ただまあ、昔は普通のお宅は毎日買い物に行き、購入したものを残さず調理するのが当たり前で、「保存する」という感覚がなかったため、あまり氷の需要はありませんでした(保存するといったら味噌、醤油あたりで、こういうのは1年分を保存できる樽と、それを置く冷暗所がたいていの家にあったのです)。なので、大叔父のお得意さんは明石の町の飲食店でした。ただ、夏になるとやはり一般家庭からも注文があったようですし、あと袋につめた「かち割り」は、近くのバーやスナックのスタッフが買いに来るほか、家での晩酌や「子どもが熱を出した」という場合にも氷枕用に需要があったのです。深夜に半狂乱になった若いお母さんが店のガラス戸を叩くので、よく起こされるという話など、聞いたことがあります。

 私や弟も、大叔父の店で、氷製造会社の大型冷凍庫から仕入れてきた巨大な氷の固まりを、飲食店などの冷蔵庫に入る程度の固まりに切っていく大叔父の手際を見せてもらったり、その氷をトラックや自転車に積んで注文先に納品に行くのについて行ったりしました。

 さて、ここで冷蔵庫の歴史のおさらいです。1930(昭和5)年に国産の電気冷蔵庫の製造が開始され、1963(昭和38)年に冷凍室が登場。1965(昭和40)年、電気冷蔵庫の普及率が50%を超え、1978(昭和53)年には電気冷蔵庫の普及率は90%に達しました。
 つまり氷屋は高度経済成長期の「三種の神器」にかなわなかったのです。大叔父が病気になったこともあって店は休業状態になり、そのあと、明石の再開発事業のために売却されました。大叔父と大叔母は祖母が経営していたアパートに入居。そのアパートは実家の敷地内にあったので、大叔母はちょくちょく祖母を訪ねてきて、一緒にお茶してました。私が学校から帰ると、1週間に3回くらいは大叔母が来ていて、「ご挨拶」したものです。

 祖母は非常に頭のいい人でしたが、その祖母が「妹には負ける」というくらいに、大叔母も頭のいい人でした。特に計算をさせたら、右に出る者はいないというくらい。そのうえ非常に厳しい方でした。
 小学生時代の6年間、私と弟への大叔母からのクリスマスプレゼントはヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズでした。弟と私に違う巻数を1冊ずつ。6年で12巻全巻が揃うということですね。アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』や、ジョーン・エイケンの『ナンタケットの夜鳥』のほか、アストリッド・リンドグレーンの『長くつしたのピッピ』も大叔母から教わった本です(ちなみに母はなぜかエリナー・ファージョン好きで、小学生時代の私の本棚にはファージョンが揃っていました。私の根っこは多分ファージョン)。
 大叔母はファッションにも目端のきく人で、町中ですれ違って会釈した程度でも「靴、磨いてなかったでしょ」「あの鞄はあの服に合っていない」とチェックが入ります。けっこう洒落者の母でさえ、「大叔母チェック」を気にしてましたから、お洒落に関心のない私などはチェック入りまくり(笑)。「センスは靴と鞄に現れる」というのが大叔母の持論で、本の次はハンドバックがクリスマスプレゼントになりました。

 この大叔母と祖母の、姉妹だからこその葛藤というか競争意識は、かなりドラマチックなものがあるんです。いずれこの二人のことを何らかの形で書いておきたいなあと思っているのですが……。端的に現れているのが、祖母は87歳で亡くなりましたが、大叔母も87まで生きて亡くなりました。「執念やなあ」というのが、大叔母の息子たちが初七日の席でもらした感想です。

 母は、大叔母と私は特に大叔母の晩年には縁はなかったとの認識だったようですが。晩年はともかく、いろいろな意味で私の心の中に大きなウエイトを占めている方です。まあ、帰らねばなりますまいよ。
 明石についたのは20:00過ぎ。実家の鍵を持っていない私のために、通夜の席を早めに辞するという両親の帰りを待って、駅前のスタバでボ〜とコーヒーを飲んでました。降りしきる雨にクリスマスイルミネーションが滲んで、なんとも形容しがたい気分になりました。
 人の死には慣れません。

04.12.2 Thu.  いと高きところに……           12.4 6:53
 Holy, Holy, Holy Load, God of pow'r and might.
 Heaven and earth are filled with your glory.
 Hosanna, Hosanna, on high.
 Blessed is he who comes in the name of the Load.
 Hosanna in the highest.
 Hosanna in the Highest.
 Hosanna, hosanna on high.

 万軍の主なる神、いと高きところにホザンナ──。

 12月ですね。無神論というよりは、無宗教者と言ったほうが近いのかもしれない、信心に関してはいい加減な私ですが、どうしてもこの月は敬虔な気分になるから不思議なものです。幼いころに染みついた「何か」というのは、なかなか落ちないものですね。「三つ子の魂、百まで」とは言い得て妙だと思います。なんとな〜く賛美歌を口ずさんでしまうんですよ。ちなみに夏のお盆のころは、御詠歌が口をついて出ます。


 本日は電気屋さんが照明の修理に来ました。ええ、先日、「日記」に『NA○UTO』について書いたら、カ○シ先生に雷切くらって、点灯しなくなったリビング側の照明の修理です。それがシャレにならないことに、電器屋さんいわく、照明のトランスが焼き切れて点かなくなったようだけど、トランスが切れたのは過電流が流れたのが原因かもってね……。はっはっはっ。

 結果、本体ごと取り替えることになりました。なんと最新式らしいですよ、奥さん。リモコンで、点灯/消灯はもちろん、照度を変えたり、常夜灯にしたり、おやすみタイマーまでついてます。
 問題は、すでにこの部屋、リモンコン制御の物品が多すぎるねんということでしょうか。DVD/LDコンパチと壊れたビデオレコーダーのリモコンは隠してあるのですが。CDコンポとDVD/VHSコンパチのリモコンはしょっちゅう間違えます。そのうえ、TVとエアコンと照明のリモコン……。便利になったんだか、不便になったんだか。

 こういった機器の制御をすべて1か所で統括してしまおうというのが、家電の一括制御システム構想らしいですが。なんかもう、自分の指で壁のスイッチ切ったり、チャンネル回したりするほうが楽なんじゃないかと思えたり。
 まあ、エアコンとかTVとかは座ったままコントロールできて便利だったり、DVD/VHSコンパチはリモコンがないとタイマー録画やGコード録画などができない有り様ですけどね。
 いったいいつリモコンって現れたのかなぁなんて、ちょっと考えてしまいました。

04.12.1 Wed.  『ハウルの動く城』            12.4 5:43
 忙しかろうが、疲れ果てていようが、精神的にも金銭的にも余裕がなかろうが、観たいものは観る! 我ながら、その徹底した欲望に素直なところは天晴れだと思う今日このごろ。皆さん、いかがお過ごしですかー。

 そんなわけで観てきました、『ハウルの動く城』 in VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ。ファーストデイ&水曜日レディースデイのダブルデイだったのですが、1000円でした(そりゃそうだ)。で、2回観てしまいました。あっはっは。
 交通が不便だからか、六本木ヒルズで開催中の「ヨン様写真展」に流れたか、それとも六本木に来る人はオシャレなブティックやカフェが目当てで、映画はアウト・オブ・サイトなのか。行列どころか、上映20分前にして空席があるこの空きっぷりは、けっこう穴かもしれません。まあ、7つのスクリーン+アートスクリーン、プレミアスクリーンの計9つのスクリーンのうち、2つのスクリーン+プレミアスクリーンで同時上映していたので、本当はすごく盛況なのかもしれませんが。私が観た第7スクリーンも90%くらい座席埋まってましたからね。

 1回目は前から6列目、スクリーン真ん前という席で観ましたが、ちょっと近すぎました。画面が大きすぎて、塗りむらまでがはっきり見えてしまうわ、白い部分が微妙にぼけるわ。ついでに、せっかくのTHXの効果がなくて、BGMがほとんど聞こえませんでした。
 2回目は一番後ろの席で、ぎりぎり中央、画面に斜めパースがかからない位置。画面美しく、なによりBGMや低音がはっきり聞こえて、「ああ、ここってこういうシーンだったんだ!」と新たな発見が多くて何よりでした(笑)。

 「インパクトはないけれど、全編に宮崎駿テイストがあふれる佳作」と、どなたかが評した言葉がぴったりですね。これといったテーマもなく、なにがどうしてどうなったというストーリーもないです。いや、あるんだけど、主体がそこにはないと言ったほうがいいでしょうか。
 「荒野の魔女がどうしてそこまでハウルの心臓にこだわったのか」「なぜ心がないはずのハウルが、『守りたい』と思うようになったのか」「ハウルが戦いに出ていたのはいつから? 何のため?」、そして何より「いったいソフィーはいつ老婆から元に戻ったのか? 戻っても髪の色が同じなのはなぜ?」などなど、2回見てもさっぱりわからない点が多々。謎だらけなんですけどね。でも、そんな謎なんて些末なことだと思わされてしまうのが、この映画のすごいところだと思います。いいのよ、ハウルとソフィーが幸せで、マルクルとカルシファーが元気なら、動く城が空を飛んだってかまいやしないと思っちゃうんですよね。

 老婆になったソフィーが言う「歳をとると、こんなに体が動かなくなるものだとは」とか、「歳をとると、悪知恵が働くようになるね」とか、「歳をとると、失うものが少なくなる」とかのセリフがいいんですよね。ソフィーは身体こそ90歳のお婆さんになってしまいましたが、心は17歳のはずなんです。でも、言ってることは、本当に年月を経てきたお婆さんなんですよね。
 ソフィーははつらつとした身体を地味な服で覆い、言いたいことも言わない、いつも職場のみんなから離れて仕事をしていて、目立たないでいることが役割だとでも思っているような少女でした。ところが荒野の魔女に魔法をかけられ、老婆になったとたん、言いたいことを言い、やりたいことをやり、興味を引かれたことには子どものように好奇心を露にします。17歳の少女が、外見が変わっただけでここまで言動が老婆になるの?という疑問はあるのですが。でもソフィー婆さんの婆さんっぷりが愛しいほどステキで、この映画は「お婆ちゃん」のかわいらしさを描くことをテーマにしているのか、と思うほどでした。
 実際、歩き方、考え方、特に荒野の魔女とキングズベリーの王城の階段を登るシーンなど、いかにも「老婆」なんですよ。荒野の魔女といい、『ハウルの動く城』のテーマは「老婆」の描き方だったんではないでしょうか。
 (ブタでかっこよさを表現したり、老婆でかわいさを表現したり、宮崎駿監督の描写に対するチャレンジ精神はおもしろなと思います)。

 そして、やはりビビッときたのはステキでへたれなハウル。「一目惚れ」の感覚を、初登場で味わわせてくれましたv ちなみに木村拓哉の声、よく合っていました。見ている間中、ハウルと木村拓哉が重なることもなく、ハウルはハウルというキャラクターとして、こういう声の持ち主なんだって自然に思えました。
 なんとも愛すべき火の悪魔カルシファー、年寄りのふりをする、でも子どもらしい子どものマルクル、原作と一番大きく変わった案山子のカブ、実年齢に戻され、魔力を奪われた荒野の魔女。どのキャラクターもそれぞれの個性で動いていて、決して物語のために動いているわけではないと思えるところが見事です。そういうふうに動かせるということが、すごいと思います。
 なんだかもう、なにかのテーマを描くためとか、ストーリーの完成度の高さを競うとか、そんな地点を脱却した作品って、こうなるんだあと感心するしかないんですね。

 だから「インパクト」はないんです。やろうと思えば、ハウルの過去とソフィーの関係や、魔王に変わっていくハウルを止めようとするソフィーで、いくらでもドラマチックな話は作れたと思うのです。でも「そうしなかった」。
 ただ、美しいアルプスの自然やアルザス地方の町並みや、石畳を歩く音、風の音、町のざわめきに外国を感じ、「動く城」の造形や動きにおもしろみを感じ、そこで生きるキャラクターたちの息吹を感じ……。
 きっとそれでいい作品なのでしょう。

 観終わったあと、元気が出ました。へたれ気味だったこの時期に観てよかったなあと、そして何度でも観たいなと思います。DVDが出たら買い決定ねv
 そうね。私もハウルの動く城に住んで、ソフィーのタフさやハウルの美貌と微妙なへたれっぷりを目の当たりにしたいなと思うような、親近感を抱かせる作品でした。

 「かんしゃくで死んだ人間はいないよ!」
 ソフィーさんの至言。はい、まったくそのとおりです(苦笑)。

 アニメ作品の部分でいえば、美術は一見の価値ありです。特に背景の描法で描かれながら「動いて」いる動く城や軍艦は、非常にユニークなハーモニーワークだと思います。『風の谷のナウシカ』の王蟲に使われた描法だそうですが、この度の動く城で大成したように思います。「イラスト」が動いて、ガタピシ音を立てて、崩れるという、なんとも不思議な感覚が味わえました。


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