飾り

北イタリアの青い空を見に行こう!
『黒い兄弟』一人旅


〜『黒い兄弟』編〜


ルガーノPH
ルガーノ駅から湖方面を見る
地図
北イタリア旅ルート


パスタ
ルガーノの店の装飾
『黒い兄弟』の旅

 さぁ、いよいよテーマのひとつを実行する日が!
 ミラノ・セントラーレ駅からInter-Cityに乗り、まずは原作でカセラ先生が住んでいたLugano(ルガーノ)へ。線路の途中でスイスとの国境を越えます。湖を右手に見る車窓は、風光明媚と讃えられる北イタリアの湖水地方の風景の端っこを見せてくれます。
 ルガーノ駅は高地にあり、駅から湖に向かって、下り傾斜に段々に家々が立ち並びます。ミラノとは、もう空気が違います。夏の暑さはありますが、もっと空気が澄んでいます。湖からの風も爽やか。駅からの眺めは石造りの灰色の建物が多い印象ですが、どんどん湖方面に降りていくに従って、色彩豊かになります。建物の壁は黄色やピンクで、鮮やかな赤や緑の垂れ幕がイベントや市場の広告をしています。市場では、腸詰めソーセージが店の軒先からちょうどのれんのように何本も芸術的に垂れ下がっていたり、いろんな色・形のパスタをガラスビンに入れて店先に並べていたり、庶民の美的感覚がすばらしいです。

 ここでは、特に聖ロレンツォ(カセラ先生の息子の名前ですね)教会に立ち寄りました。内陣には金のキリストと聖人像が飾られ、翼部のチャペルは、正面に聖母子の大きな絵が掲げられ、その周りを金箔で装飾した色大理石と天使像が囲む、壮麗かつ優美なもの。壁画も大変細密で美しいのです。
 写真が撮れなかったので、教会前の雑貨屋で絵葉書を買ったら、「スイスフランで」と言われました。両替してなかった私(はい、バカです)は大慌て。仕方がないので、泣く泣く選んだ葉書を戻そうとしたら、「極東(ファーイースト)からの旅行者だね。急いでるの? リラでいいよ。また使うこともあるし。こっちはいつでも両替できるから」と御主人。「教会、気に入ってくれたんだね」なんて。スイスのおじさんは親切で、ストイックで。その柔らかな優しさが印象に残って、ルガーノは私のお気に入りの街となりました。カセラ先生に会ったみたいです♥
ロカルノへ…

 ルガーノからLocarno(ロカルノ)へは一直線には行けません。まず列車でBellinzona(ベリンツォナ)まで行き、乗り換えてロカルノへ。ベリンツォナは、原作で、アルフレドがビアンカを連れて逃げる時、そしてビアンカをロベレド村に預けてミラノへ行く途中、おばさんのかごを運んでパンとリンゴをもらったところです。
 しかし、私にとっては両替駅であり、乗換駅であり、何もない駅でした。アルフレドが通ったところ、というエピソードを覚えていれば多少感慨もあったのでしょうが、当時は忘れてました。ひたすら駅の周りをうろついて、列車を待っていました。
ロカルノ湖
ロカルノのマジョーレ湖畔。Le Pain Perduもどこかに?
 このベリンツォナからロカルノにかけては、川に沿い、マジョーレ湖畔をコトコト走る、眺め抜群の路線です。ミラノからルガーノ、ベリンツォナ経由ロカルノそしてドモドッソーラ経由ストレーザ、ミラノと回る鉄道ルートは、眺めの変化が面白く、ホントにお薦めです。次にイタリアに来る時は、ルガーノかロカルノを拠点にもう一度じっくりこの辺りを制覇する、と決意しています。
ロカルノ山側
ロカルノの街の背後はアルプス
 ロカルノは明るい街です。建物の壁は黄色やピンク、白。街中至る所に色彩豊かな花や樹木が植えられ、青い空、目映い陽光に映えています。背後にはアルプス、前にはマジョーレ湖。深緑と青に、色とりどりの部分が挟まれている、というのがロカルノの印象です。やはり背後の山にかけて段々に家やホテル、教会が立ち並んでいます。ただ、ロカルノ駅は湖の近く、低地にありますが(ルガーノ駅は山の上)。リゾート地として名高いだけあって、白人の観光客や避暑客で、ホテルのテラスやカフェはいっぱいでした。ロカルノからは、マジョーレ湖の各港を繋ぐ船も出ています。
 残念ながら市は立っていませんでしたが、教会の壁の告知によると、今でも日によって立つようです。また、ロカルノ駅のバス停から何とソノーニョ行きのバスが日に3本ほど出ています(当時)。行きたかったですけれど、行ったら今日中に戻って来れないので、この度は諦めました。
ロカルノからアルプス峡谷鉄道

 ロカルノ駅の隠されたようなホームから、こっそりと3両くらいのこぶりの列車が出発します。これぞ知るぞ知る峡谷列車。乗ってみて初めてその特異さを知りました。それまではこの路線の面白さ、聞いたことなかったです。Domodossola(ドモドッソーラ)まで所要時間、約1時間。途中にある2駅は、停車ボタンを押さないかぎり止まりません。まるでバスかチンチン電車のようです。
 ロカルノの地下(確か?)から出た列車は、いきなり峡谷に出ます。峡谷の底から、山肌を縫うような線路をゴトゴト徐々に登っていきます。晴れていてもいきなり曇ります。突然、霧雨が激しく叩き付けます。雨中の進行は危ないので途中停車していると、いきなり晴れてまた走り出します。木々がかすめるように車窓を通ったと思ったら、唐突に峡谷に放り出されたりします。下は遠く谷底に川筋が光り、上はそびえる山々の尾根。落ちたら終わりです。
はっきり言って、高所恐怖症の人にはお薦めできません。
 そんなスリル満点の峡谷列車。一度乗られたら、きっと病み付きになりますよ。これを書いてる間も、乗りたくってウズウズしてきました。
ストレーザの「孤独の島」

 ドモドッソーラからStresa(ストレーザ)へは、マジョーレ湖に夕陽を見ながらの旅となりました。言葉では言い尽くせない光景は、是非いつか、ご自分の目でご覧になって下さい。
 ストレーザもまたリゾートの地で、湖畔には瀟洒なホテルが立ち並んでいます。湖とは細い遊歩道を隔てたのみの、湖畔のホテルのプライベートガーデンの白いテーブルには、満開の合歓の花の下、夕陽の残照を楽しむ人がぽつりぽつりと座っていました。そういう優雅な人々を尻目に、カメラ片手に日本人旅行者が遊歩道をずかずか歩いていく。目立ちましたとも、ええ(泣)。
孤独の島
ストレーザの「孤独の島」
 しかし、恥ずかしい思いをしただけあって、ここで私は理想の風景に出くわすのです。ストレーザの沖合1kmほどに浮かぶ小さな島。夕陽が消え、それでもまだうっすら照り返しが残る白青い空。黄昏というには暗さが足りない空間に、鏡のように艶やかな湖面。背景に対岸の山々がかすむ、その中景にその島は佇んでいました。
まるでバリ島の神殿のような、段々になった庭と建物。空を突くような細く白い柱が、何十本も配置されたエキゾチックな外観。そのそばには中世風の塔が。コモ湖にあるという、かの「ヴィスコンティ監督の島」もかくや、といわんばかりのエキゾチカル・ゴシック趣味。夕闇迫る中、灯りのひとつもつかない島は、世俗に侵されることなく、しかしどこか神経を病んだ風で、私は「孤独の島」と勝手に名付けました。
この島の後方には、少し離れてもうひとつ小さな島があり、そこには教会の尖塔や身を寄せあうように立つ家々もあって、灯りも見えます。この対照的なふたつの島が、強く印象に残ったのでした。


N.B. この「孤独の島」、正式にはボロメオ諸島のひとつ、ベッラ島(イゾラ・ベッラ)です。ボロメオ諸島はベッラ島、漁師の島(イゾラ・ペスカトーレ)ともう一島の3つの島から成り立っています。
 マジョーレ湖の中心部にボロメオ湾の名が残るとおり、マジョーレ湖一帯は17世紀、ミラノの金融家ボロメオ Borromeo 家が領有していました。1630年ごろ、ボロメオ家の当主カルロ3世は、罪人のうめき声が聞こえるミラノの城に住むのを嫌がる女たちのために、ベッラ島に別荘を建てました。元々は小さな漁師の島であったところに、古今東西の様式を取り入れ、贅のかぎりを尽くした宮殿と、どこか現実から離れたマニエリスムの、花咲き乱れる庭園が造られました。この庭園では、ナポレオン1世がジョセフィーヌを伴って宴を開いたとか。
 イゾラ・ベッラ(美しい島)の名は、カルロ3世の妻イザベッラからつけられたとも言われています。
 ボロメオ家のシンボルは一角獣。これはイタリアの名家ビスコンティ家から分かれた家柄であることを示しています。ビスコンティ家は、イタリア国王家以上に古い家系を誇り、イタリア・ルネッサンスの歴史にもかかわった一族。映画監督のルキノ・ヴィスコンティもその末裔のひとりです。

 ボロメオの名で知られているものに「ボロメオの輪」Borromean ringsがあります。どんな形かはこちらへ。
 「ボロメオの輪」はボロメオ家の紋章であったため、この名で呼ばれています。3つの指輪が絡まった形になっており、指輪はそれぞれ、ミラノの三大名家ビスコンティ家、スフォルツァ家、ボロメオ家を象徴しています。
「ボロメオの輪」は、「3つの円が互いに絡み合い、どの1つを取り去っても残りの2つの円が絡んでいない形」です。この3つの輪は分けることができず、またどの二つをとってみても連結していません。平面に描くことはできても、実際の金属(指輪)でこの形を作ることは不可能です。エッシャーの不条理絵画にも似た、不思議な図形なのです。

 ボロメオ家出身の有名人は聖カルロ・ボロメオ(St. Carlo Borromeo、1538-84)。教皇ピウス4世(1499-1565、教皇在位:1559-65)の甥で、1560年、ミラノ枢機卿になりました.トリエント公会議(1545-63)の成功に尽力し、また1570年の飢饉及び1576年のペストの流行に際し、貧民救済で知られています.1610年に列聖されました。11月4日は聖カルロ・ボロメオの日として祝われています.

 ストレーザからボロメオ諸島に船で遊覧すれば、摩訶不思議な情趣にあふれたボロメオ家の別荘や庭園を目の当たりにできます。
ストレーザの銅像
これがその「像」。夕方に撮影したので暗い!
「熱い兄弟」!?

 もうひとつ、ストレーザで印象に残ったもの。それはSTRESAと題された、何かの勝利の記念らしいブロンズ像。裸の青年と少年の像で、青年は片手で月桂樹冠を掲げ、もう片方の手で少年の背を押し、二人で歩を進めているというシチュエーションです。
とにかくリアル。等身から、肋骨の透け具合や、首から肩の筋肉の感じ、腕や足の血脈まで表現されています。なんか二人の関係を邪推したくなるような、ラテンな熱さをもった像なのでした。
 『黒い兄弟』といい、マフィアといい、イタリアの血は「同志」というものに熱いんですね。なんか、この像は「イタリアの男」そのものだな、とも思いました。そうそう、ドモドッソーラからすでにイタリアに戻っています。



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Rewrote 16 July 2001
Renewed 12 September 2001
Added a Postscript 27 July 2003

   

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