歌に隠された 魂の救いの物語
Amazing Grace
アメイジング・グレース
この曲名を聞くと、アメリカのウエスタンカントリーを思い浮かべる方も多いのでは。私の頭には、某コーヒーメーカーのCMのイメージがしっかり定着しています。 CM嫌いの祖母が唯一お気に入りだったCM。コーヒーブレイクにくつろぐカントリー家族の、特に大地を踏みしめ慈愛に満ちた母親の姿を好んでいました。英語を解さない彼女が「この歌はいい歌だ。救われる歌だ」と言うので、興味をもって歌詞など調べたものです。なぜ祖母にこの歌が“救いの歌”だとわかったのか、もはや永遠の謎となってしまいましたが。 ポピュラーソングあるいはゴスペルと思われていますが、元々はイギリスの賛美歌でした。この歌が生まれた経緯はなかなかにドラマチックです。 作詞のジョン・ニュートン(John Newton 1725〜1807)は元・奴隷船の船長で、後に牧師になった波乱万丈の人です。 1725年7月24日、ジョンは地中海航路の商船の船長の一人息子としてロンドンで生まれました。熱心なクリスチャンであった母親の影響で、彼は3歳から聖書を学びます。しかし7歳の誕生日の13日前にその母を亡くし、神の無情を感じた彼は放蕩を尽し、ついには奴隷売買に手を染めます。 有名な逸話は、23歳の時のこと。1748年5月10日、アフリカからイギリスへの航路で大嵐に遭い、船が難破寸前に陥ります。その時、彼の口から飛び出したのは神の名でした。 "Load, have mercy upon us." 「主よ、どうか我らをお助け下さい」 帰国後、奴隷船の船長に昇格し、なおもアフリカから男女を買い、船底に押し込めるような生活を続けます。 しかしやがて良心に目覚め、7年越しの恋が実ったこともあり、1755年下船。リバプールで潮流観測員を勤めた後、39歳で英国国教会の牧師になりました。 幼い頃に聖書に親しみ、またラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、シリア語、フランス語などを修得した彼は、なかなかの秀才であったといえるでしょう。1764年、当時はオックスブリッジ(オックスフォードとケンブリッジ)の大学出身者でなければ得られなかった聖職者の資格を取得します。 牧師としての第一歩はオルニーという小さな町の教会。16年の勤めの間、詩人ウィリアム・クーパーと二人で書いた賛美歌は『オルニー賛美歌集』として1779年に出版されました。また知人の勧めで匿名で自伝を発表。大変な反響を呼びました。 オルニーからロンドンのセントメリー・ウールノース教会へ移り、26年を過ごします。彼の説教には多くの会衆が集い、その中にはやがて奴隷制度廃止運動の指導者となったウィリアム・ウィルバーホースもいました。 1807年12月21日、死去。 晩年の彼の言葉です。 "My memory is nearly gone, but I remember two things, that I am a great sinner, and that Christ is a great Saviour" 「私の記憶はほとんど薄れてしまった。しかし2つのことだけは覚えている。 ひとつは私がとんでもない罪人であったこと。 もうひとつは、キリストはまこと偉大な救い主であること」 『オルニー賛美歌集』には280もの彼の詞が収録されています。「アメイジング・グレース」は1760年から1770年の間に曲がつけられ、オルニーの教会の礼拝で歌われていたようです。 第1節にあるwrechとは「ならず者、卑劣漢」という意味で、自身の過去の痛烈な反省です。彼の詞は6節まであり、現在は第1〜3節あるいは4節のあと、ジョン・P・リース(1828〜1900)によって書かれた節が歌われています。 |
Amazing Grace, how sweet the sound That saved a wretch like me, I once was lost, but now I found, Was blind, but now I see. | 「驚くべき神の恩寵」なんと優しい響き こんなにも汚れた私を救ってくださいました かつて私は失われ、そして今見い出されました かつては見えなかったものを、今や見ることができます |
'Twas grace that taught my heart to fear, And Grace my fears relieved. How precious did that grace appear The hour I first believed. | 主の恩寵は、私の心に恐怖を教え、 そしてその恐怖を取り除いてくださいました 私が初めて信じた時 もたらされた恩寵の、なんと貴かったことか |
Through many dangers, toils, and snares, I have already come. 'Tis grace hath brought me safe thus far, And grace will lead me home. | 幾多の危険、労苦と誘惑をようよう抜けて 私はすでにここに至りました 私がこうして無事に辿り着けましたのは、恩寵あればこそ そして御恵みは私をやがて天の故郷へと導いて下さいます |
The Load has promised good to me, His Word my hope secures; He will my shield and portion be, As long as life endures. | 主は私に幸せをお約束下さいました そのお言葉こそ、私の望みのかぎりです それは、私の命続く限り 主は私の守護者であり運命であるということ |
Yea, when this flesh and heart shall fail, And mortal life shall cease, I shall possess, within the veil, A life of joy and peace. | そして、この肉体と精神が弱り 死すべき命の終焉をむかえた時 私はベールに覆われ、 大いなる天の喜びと平安を我がものとするのです |
The world shall soon to ruin go, The sun refuse to shine; But God, who called me here below, Shall be forever mine. | 世界がもはや滅亡し果てようとも また太陽が輝きを失おうとも 地上で私を招きたもうた主は 永遠に私のものです |
When we've been there ten thousand years Bright shining as the sun. We've no less days to sing God's praise Then when we first begun. | (この一節はリース作) 私たちは天国では1万年も まるで太陽のようにまぶしく輝き続けるでしょう そして最初にあげる一声から 1万年も主を讃え続けるでしょう |
曲は、イギリス民謡、スコットランド民謡、アメリカ民謡、作曲不詳あるいは作曲者名のあるものもあって、まちまちです。米国のある研究者によれば、アメリカ南部の農場で唄われていたアメリカ民謡「Loving Lambs」が原曲とか。1831年発行の『ヴァージニア・ハーモニー』という歌集に載っているそうです。 ヴァージニアにはアイルランドやスコットランドの移民も多かったので、ケルト音楽がアメリカに根付いて「アメリカ民謡」になったことは考えられます。アイリッシュ音楽と黒人音楽の結びつきは、アメリカ音楽史でも知られた事実ですから、例えばそんな風に。 このメロディーの成り立ちについて、どなたかわかる方がいらっしゃれば、解明をお願いしたいところです。 そしてこの曲、ゴスペル(黒人霊歌)としてもよく歌われます。奴隷売買から改心した男の作った詩が、虐げられた黒人を慰める歌として認知されたという巡り合わせが、いっそう曲に深みを与えています。 |
訳:雑文堂(超訳です。ニュアンスをお受け取り下さい) 参考書籍:『賛美歌・聖歌ものがたり』 大塚野百合 創元社 参考サイト:<日本語>「GOSPEL LAND」GOSPEL探究(MIDI付) 「宇多津キリスト教会」 <英語> 「Logos Resource Pages」 「Christian ARTICLES ARCHIVE」(MIDI付) 愛聴CD:「Heart Side/emiko shiratori collection」白鳥英美子 |
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Rewrote 15 July 2001
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