ライン模様


観世音菩薩とともに
西国三十三所御詠歌

註:本文は宗教の勧めや勧誘ではありません。


大ポイント



 私の実家の宗教は真宗大谷派(東本願寺)です。
 ただ、実家の習いとなっています「西国三十三所御詠歌」の詠唱は、この宗教とは関係ないものと思われます。真宗大谷派の“おつとめ”にはないからです。
 多分、西国三十三所霊場(札所)を擁する畿内に興った俗習ではないかと思います。
 私にとっては、生まれた時から聞いてきたモノですので、もはや宗教云々より「やらないと気持ちが落ち着かない」という次元に沈着しています。

 8月7日に、先祖の御霊は浄土を離れ、此岸(しがん)に向かいます。
 その霊を迎えるため、そしてお帰りになる家を間違われないよう(笑)導くために、詠うのが御詠歌だと、幼心に聞かされました。
 8月12日まではお迎えのため、そして8月13、14日は帰ってこられた祖霊を供養するため、そして15日は精霊送りのために詠います。12日までは前座、13〜15日が本公演という感じです。


ポイント


 さて、なぜ「西国三十三所霊場(札所)」が33カ所なのか、ご存じでしょうか。
 この札所はすべて観世音菩薩を本尊とする寺です。この菩薩は現世の衆生の嘆き悲しみを聞き、もらさず救うため、33の姿に変化されるといわれる方だからです。
 この33カ所の観音霊場を巡れば、この世で犯したすべての罪業が消滅し、極楽に往生できる。これが「西国三十三所巡礼」の根底にある教えです。
 ゆえに、訪れたすべての寺で「南無大慈大悲観世音菩薩、種々重罪、五逆消滅、自他平等、即身成仏」と唱えなさい、とする手引書もあります。
 四国八十八所の霊場巡礼が空海と共に「同道二人」で曼陀羅を巡る旅であるなら、西国三十三所巡礼は観世音菩薩と「同道二人」で行く道なのです。


ポイント


 観音霊場三十三所巡礼は、真偽はともかく奈良時代に起源をおき、のち花山法皇(寛和2(986年)出家)が巡礼したという伝説があります。記録には『寺門高僧記』に大僧正・行尊(1057〜1136)が33の観音霊場を巡ったと記され、平安中期にはすでに確立していたことがうかがえます。
後に南北朝・室町時代に東に国の中心が移り、東国からみた西国として「西国三十三所」の名が定着しました。

 御詠歌の発祥はわかっていません。基本字数は短歌と同じですが、季語を入れたり、韻をふみといった芸術性はありません。
 ひじょうにストレートに寺ごとの特徴や、祀られた観世音菩薩の功徳を讃えるものばかりです。ご覧になれば、あまりのてらいのなさにいっそ苦笑されるでしょう。
 なぜなら御詠歌は、宮廷でその洗練度を興じられるためではなく、巡礼する庶民にわかりやすく仏の存在を知らしめるために作られたからです。
 御詠歌の特徴は「詠」の字で表されます。そのまま素で読んでも「なんだこれは」という文章です。これに「節」がつくことによって、ようやく「美」が発生します。
 高く低く、独特の上げ下げやこぶしが入る「節」があってこそ生きてくる御詠歌は、キリスト教の賛美歌に似ています。

 賛美歌の有名なものに「主よ、みもとに近づかん、 のぼる道は十字架に ありともなど 悲しむべき、 主よ、みもとに近づかん」(賛美歌320番)があります。
このまま読んでも、おそらく何の感慨ももたれないでしょう。
では、映画『タイタニック』で船が沈む時、最後に楽団が演奏した曲を思い出してください。
「しゅーよ、みもーとにーちかぁづかぁん、のぼーるみちはーじゅうじかーにー、あーりともなどーかーなしむべきー、しゅーよ、みもーとにーちかぁづかぁん」
 歌詞は英語でしたけれど、このシーンで歌の物悲しさに涙を誘われた方も多いのではないでしょうか。
 タイタニック沈没の際にこの賛美歌が歌われたのは、史実だそうです。いわば宗教的な“法悦”を誘うことで、死の恐怖を押さえようとしたのでしょう。

 賛美歌に似て、御詠歌もまたどことなく物悲しい独特の旋律をもっています。
 ただ、節をつければ覚えやすく、また巡礼の「長途の労を忘れん為」(秩父円通伝)というだけではなく、薄暗い御堂の中、揺れる灯明に照らされ、御詠歌を詠うことで、一種夢幻の境地に浸る効果もあったのではないでしょうか。


ポイント


 自宅で御詠歌を詠うということは、つまり西国三十三所巡礼と同じ功徳をもって、祖霊を迎えるということです。
 御詠歌の節は地方によって違います。主に「大和節」「京節」「中和讃節」「木楊節」「木槍節」に分かれます。我が家は「大和節」に近いですが、私(明石出身。実家の祖母直伝)と父(加古川出身)とでは微妙に節回しが違います。その節に合わせて鉦を叩きます。
 御詠歌を詠うまでに唱える経文も、おそらく家によって違うと思います。
 まず3つの短い経文をそれぞれ3回ずつ読み、次に般若心教を唱えます。般若心教は、玄奘三蔵の取経伝説でも知られるとおり、観世音菩薩と関わりの深いお経だからです。
 次に「西国三十三所におかれましては、第一番 紀伊ノ国東牟婁郡(ひがしむろのこうり) 那智山 青岸渡寺(せいがんどうじ)の御詠歌〜♪」の前言葉から御詠歌に入ります。
 あとはひたすら無心に詠いますが、第二十四番 中山寺から歌の後に「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」(節にすると「なむあみだぁぶつ なぁむぅあみだぁぁぶ つぅなむあぁみぃだぁぶ」)をつけて詠います。
 第三十三番 谷汲山華厳寺のあと、これも家によりけりですが、高野山の金剛峰寺、京都の東寺や信濃の善光寺などの御詠歌も加えます。実家では6歌が追加で詠われます。このあと「南無大慈大悲観世音菩薩、種々重罪、五逆消滅、自他平等、即身成仏」を3回、あと短い経文が入り「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」を唱えて終わります。
 全行程、大体1時間強というところです。


ポイント


第一番 那智山 青岸渡寺
  本尊・如意輪観世音菩薩 宗派・天台宗 開創年・仁徳天皇時代(313〜399年)

「補陀洛(ふだらく)や 岸うつ波は 三熊野(みくまの)の 那智のお山に ひびく滝津瀬(たきつせ)」

 青岸渡寺の名を知らなくても、那智の滝はご存じでしょう。直下130mの滝のほとりにあって、滝の音が響くのがこの寺です。
 補陀洛とは、観音出現の地と伝わるインドの山の名でした。転じて、日本では観世音菩薩の住む世界とされました。それは遥か海の向こうにあるのです。

 和歌山の那智の浜は大平洋からの波が打ち寄せます。その茫々たる海の、朝日に夕日に雄大に染まるさまに、昔の人は常世(とこよ)への道を見たのでしょうか。
 熊野は仏教より古くから、常世(神々の住む永遠の世界)との接点とされてきました。常世は海の彼方にあり、神々は八重の潮路を越えて、この世の岸・御先(御崎・岬)に来臨しました。
 常世はまた死者が還り、生者が生まれくるところでもありました。
大海に臨む熊野は、また鬱蒼たる森の地でもありました。紀の国は元々「木の国」が由来です。木々が闇を呼び、幽暗の山々が連なるさまは人々の畏怖を呼び、熊野は常世の接点であり黄泉への入口となりました。

 三熊野とは、熊野三山すなわち熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社のこと。神仏習合の思想では別名・熊野三所権現とも呼ばれます。青岸渡寺は熊野那智大社に隣接し、滝の傍に建てられました。
 那智の滝は飛滝神社のご神体であり、飛滝大権現であり、本地は千手観音とされてきました。この滝もまた神であり、観音菩薩なのです。
 補陀洛へ続く海の水平線、そこへ垂直に降臨する真白き水の流れ・那智の滝。この御詠歌には雄大無辺な線画が潜んでいます。


小ポイント


第十番 明星山 三室戸寺
  本尊・千手観世音菩薩 宗派・本山修験宗 開創年・宝亀元年(770年)

「夜もすがら 月を三室戸(みむろど) わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」

 私の好きな御詠歌のひとつです。
 三室戸寺は、宇治にあり光仁・花山・白河の3天皇の離宮となったため、「御室戸寺」から「三室戸寺」となった寺です。また『源氏物語』の「宇治十帖」の浮舟ゆかりの寺であり、かぐや姫の名付け親が「三室戸斎部(いんべ)秋田」という翁であったという伝説から「かぐや姫のお守り」なども売られています。

 御詠歌は、他寺のものと一線を画して、風雅な王朝風です。
「夜どおし、月を見ようと三室戸に向って分け入りました。宇治川にさしかかると、その川瀬に白波が立っていました」
 月を「見ようと」と「三室戸」をかけてあるところは、ニクイばかりです。
 これにも宗教的な裏の意味があるそうで、「仏道に心ざし真如(しんにょ)の月を見んと修行すれども、ややもすれば愛欲の迷ひより煩悩の白浪が立ちて心騒がすぞと也」(御詠歌略註)と聞けば、美しい歌も少々興醒めです。
 やはりこの歌はその宇治川の風景を詠った詩情を楽しみたいと思います。


小ポイント


第十一番 深雪山 上醍醐寺(かみだいごじ)
  本尊・准胝(じゅんてい)観世音菩薩 宗派・真言宗醍醐派総本山 開創年・貞観16年(874年)

「逆縁(ぎゃくえん)も もらさで救ふ 願(がん)なれば 准胝堂は 頼母(たのも)しきかな」

 「逆縁」とは親よりも先に子が死ぬことで、子にとっての大罪である、と聞いて育ちました。だから私流に解釈すると「逆縁という大罪を犯した者さえ、もれなく救ってくださいます、それを願うならば。観世音菩薩は何と頼もしいことでしょう」となります。
宣伝用のコピーを作る仕事もしてますので、「これくらい大胆なコピーが書けたらいいよなぁ〜」なんて思ってしまいます。
 細かなことをいえば、「逆」と「准(順)」の対語や、准胝観世音菩薩は「仏母尊」と呼ばれる諸仏の母、それに「頼母しき」がかかっているなど、遊びも入っていて楽しい御詠歌です。


小ポイント


第十八番 紫雲山 頂法寺(ちょうほうじ)六角堂
  本尊・如意輪観世音菩薩 宗派・天台系単立 開創年・用明天皇2年(587年)

「わが思ふ 心のうちは 六(む)つの角(かど) ただ円(まろ)かれと 祈るなりけり」

 この御本尊への供花が華道の始まりになったといわれ、中世より華道家元・池坊が住職を務める寺です。
 心の中の6つの角とは六欲のこと。六根(眼・鼻・耳・舌・身・意)から生じる欲のことです。
「私の心の中には6つのとげとげしい欲があるのを感じます。ただ、その角ができるだけ丸いものであってほしいと祈るばかりです」
 山登りの時などに唱える「六根清浄(しょうじょう)」(六根から起こる欲望を断ち切って清浄になること)の教えがここにあります。
 また六角は、角があるが、全体は円い「形」だとか。人の心を表す形なのかも知れません。


小ポイント


第三十番 巌金山 宝厳寺(ほうごんじ)
  本尊・弁財天(千手千眼(せんげん)観世音菩薩) 宗派・真言宗 開創年・神亀元年(724年)

「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島(ちくぶしま) 舟に宝を 積むここちして」

 琵琶湖にあって、神(弁財天)と仏(観音菩薩)が共に祀られる竹生島。東大寺の大仏建立を進めた僧・行基が開基した、古来からの聖地です。
重要文化財の「舟廊下」が、神と仏の御在所の境界線となっています。

「月も日も、そして宝が積まれた舟のような竹生島も波間に浮かんでいます」
 七福神が乗る宝船のような御詠歌。「めでたさ」では、三十三所随一です。
 もちろんこれは、弁財天の降臨から開かれた聖地であること、寺号の宝からの連想でもあるでしょう。
「罪障の波間をはなれ浮むは弘誓(ぐぜい)の船に乗りて極楽にわたる心なりと也」(御詠歌略註)の解釈もありますが、しばしこのめでたさに浮かれたく思います。


ポイント


 三十三所というからには第一番 那智山青岸渡寺から33、第三十三番の谷汲山華厳寺は巡礼の最終地のためか3つも歌をもっているので、全部で35の御詠歌があります。
 あるものは名所旧跡案内、または心に染み入る仏の教え、あるいはアート系と、とにかく個性的。どうぞ一度、目を通していただければと思います。


ポイント


 思い出の中にあるのは、盆になると町内のあちらこちらから聞こえた鉦の音。大抵は夜7時頃でしたが、どこかで鉦が鳴り出すと「あ、○○さんとこ、もう始めはった。あの家はいつも早いなぁ」などと、祖母も準備を始めたりしていました。
 15日の送りの日は早く、16時くらいに詠い終わります。祖母の御詠歌を聞きながら行水して、浴衣を着せてもらい、早い夕食を食べて、港へお供え物をもって行く(精霊流し)。帰りはどこかの盆踊りの輪に混じって踊る。これがお盆の終わりでした。
 23日の地蔵盆は、すぐ近くのお地蔵さんから「チン、チン、チン」という鉦の音が響いてくると、もうそわそわ。終わる頃を狙って“お接待(お供えのお菓子)”をもらいに走らねばならないからです。地蔵さんの傍で待っていればいいようなものですが、そこは子どもですから辛抱がありません。ぎりぎりまでテレビを見て、終わる頃に走るわけです。
 地蔵盆で詠うのは、ご町内の“長老”の方々でした。お通夜の席でもそうですが、複数の方々で和讃するわけです。
最長老が「ふ〜だぁぁら〜」と各御詠歌の初めの3文字を詠い、後の方々が「くぅうやぁぁき〜しぃう〜つ〜」と唱和します。
最長老が年を取って声が出なくなったり(約1時間詠うのは結構しんどいです)、詠われる側になってしまわれますと、導師は次の長老に代わります。祖母も導師を3年ほど務めました。

 私が御詠歌を覚えたのは強制されたためではありません。祖母が鉦を打つのがしんどいと言い出したので、代わりに傍で鉦打ちを始めました。毎年やっていれば「門前の小僧、習わぬ経を読む」です。ましてや、声が出なくなってきた祖母の代わりに唱和するようになれば、もはや完璧!ってなものでしょう。

 今、町内で夏に鉦の音をさせるのは、実家ともう1軒だけです。
地蔵盆でも鉦の音が聞かれません。多分テープを流していると思うと母が言っていました。
 町内から「チン、チン、チン」と響く鉦の音は、もう失われた風物詩になってしまったようです。
 だからよけいに御詠歌の詠い方を継いでよかったと思っています。
詠っている間は、自分の前に祖母の姿を見ることができます。
「家」の一員として継いだものがあるというのは、こんなにも満たされることなのか、と思うこともあります。

 私の人生と切っても切れない関係にあるのが、「御詠歌」なのです。


ライン模様



西国三十三所観音霊場と御詠歌
第一番  那智山  青岸渡寺(那智山寺)    和歌山県
「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」

第二番  紀三井山 金剛宝寺護国院(紀三井寺) 和歌山県
「古郷(ふるさと)を はるばるここに 紀三井寺(きみいでら) 花の都も 近くなるらん」

第三番  風猛山  粉河寺           和歌山県
「父母(ちちはは)の 恵みも深き 粉河寺(こかわでら) ほとけの誓ひ 頼母(たのも)しの身や」
 
第四番  槇尾山  施福寺(槇尾寺)      大阪府
「深山路(みやまじ)や ひばら松原 わけ行けば 槇(まき)の尾寺に 駒(こま)ぞいさめる」

第五番  紫雲山  葛井寺           大阪府
「まいるより 頼みをかくる 葛井寺(ふじいでら) 花のうてなに 紫の雲」

第六番  壺阪山  南法華寺(壺阪寺)     奈良県
「岩をたて 水をたたえて 壺阪(つぼさか)の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」

第七番  東光山  岡寺(龍蓋寺)       奈良県
「けさ見れば 露(つゆ)岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃(るり)の 光なりけり」

第八番  豊山   長谷寺(初瀬寺)      奈良県
「いくたびも 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山もちかひも 深き谷川」

第九番       興福寺南円堂        奈良県
「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうすぐも」

第十番  明星山  三室戸寺          京都府
「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」

第十一番 深雪山  上醍醐寺          京都府
「逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は 頼母しきかな」

第十二番 岩間山  正法寺(岩間寺)      滋賀県
「水上(みなかみ)は いづくなるらん 岩間寺(いわまでら) 岸うつ波は 松風の音」

第十三番 石光山  石山寺           滋賀県
「後(のち)の世を 願ふ心は かろくとも 仏の誓ひ おもき石山(いしやま)」

第十四番 長等山  円城寺(三井寺)      滋賀県
「いで入(い)るや 波間(なみま)の月は 三井寺(みいでら)の 鐘のひびきに あくる湖」

第十五番 新那智山 観音寺(今熊野観音)    京都府
「昔より 立つともしらぬ 今熊野(いまぐまの) 仏の誓ひ あらたなりけり」

第十六番 音羽山  清水寺           京都府
「松風や 音羽(おとわ)の滝の 清水(きよみず)を むすぶ心は 涼しかるらん」

第十七番 補陀落山 六波羅蜜寺         京都府
「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂(ろくはらどう)へ 参る身なれば」

荼十八番 紫雲山  頂法寺六角堂        京都府
「わが思ふ 心のうちは 六つの角 ただ円かれと 祈るなりけり」

第十九番 霊ゆう山 行願寺革堂         京都府
「花を見て いまは望みも 革堂(こうどう)の 庭の千草(ちぐさ)も 盛りなるらん」

第二十番 西山   善峯寺           京都府
「野をもすぎ 山路に向ふ 雨のそら 善峯(よしみね)よりも 晴るる夕立」

第二一番 菩提山  穴太寺           京都府
「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」

第二二番 補陀落山 総持寺           大阪府
「おしなべて おいもわかきも 総持寺(そうぢじ)の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」

第二三番 応頂山  勝尾寺           大阪府
「重くとも 罪にはのりの 勝尾寺(かちおでら) 仏を頼む 身こそやすけれ」

第二四番 紫雲山  中山寺           兵庫県
「野をもすぎ 里をもゆきて 中山(なかやま)の 寺へ参るは 後(のち)の世のため」

第二五番 御嶽山  清水寺           兵庫県
「あはれみや 普(あまね)き門(かど)の 品々に なにをかなみの ここに清水(きよみず)」

第二六番 法華山  一乗寺           兵庫県
「春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊 いつも妙(たえ)なる 法(のり)の華山(はなやま)」

第二七番 書寫山  圓教寺           兵庫県
「はるばると のぼれば書写(しょしゃ)の 山おろし 松のひびきも 御法(みのり)なるらん」

第二八番 成相山  成相寺           京都府
「波の音 松のひびきも 成相(なりあい)の 風ふきわたす 天(あま)の橋立(はしだて)」

第二九番 青葉山  松尾寺           京都府
「そのかみは 幾世(いくよ)経(へ)ぬらん 便りをば 千歳(ちとせ)をここに 松の尾の寺」

第三十番 巌金山  宝厳寺(竹生島)      滋賀県
「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積むここちして」

第三一番 姨綺耶山 長命寺           滋賀県
「八千年(やちとせ)や 柳に長き 命寺(いのちでら) 運ぶ歩みの かざしなるらん」

第三二番 繖山   観音正寺          滋賀県
「あなとうと 導きたまへ 観音寺(かんおんじ) 遠き国より 運ぶ歩みを」

第三三番 谷汲山  華厳寺           岐阜県
「万世(よろずよ)の 願ひをここに 納めおく 水は苔より 出(いづ)る谷汲(たにぐみ)」
「世を照らす 仏の験(しる)し ありければ まだ灯(ともしび)も 消えぬなりけり」
「今までは 親と頼みし 笈摺(おいずる)を 脱(ぬぎ)て納むる 美濃(みの)の谷汲」


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参考書籍:『御詠歌の旅 西国三十三札所を巡る』 和田嘉寿男  和泉書院
      『西国三十三所巡礼の旅 駅からはじまる、心の道しるべ』 西日本旅客鉄道株式会社
      『諸國靈場 御詠歌萬題 全』 永田文昌堂編集部 永田文昌堂





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