Le Spleen de Paris
パリの憂愁


ガイドブック制作奮戦記
ガーディアン

自分を憐(あわ)れむという贅沢がなければ、人生なんていうものは堪えられない場合がかなりあると私は思う。
                               ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』



 ロンドンで就職した出版社で、私が担当することになったガイドブックは、紹介する店鋪はほとんど「広告」でした。1枠いくらで「広告」を営業し、料金を払ってくれた店を掲載するのです。もちろん、ガイドブックとしてはずせない店は、よしんば広告料が入らなくても掲載するということでしたが。
 それまで2号が出ていて、今度出すのが3号。これまで1種類だったものを、3号からは「ショップ・レストラン・エンタテインメント編」(旅行者用)と「生活・企業編」(滞在者用)に分冊する。つまり、広告を取らなければならない件数がふえるということです。
 ですから、3月半ばから7月半ばまでの4ヵ月間のパリ出張は、「営業」出張でした。ロンドンの事務所からコンタクトをとって、営業をお願いすることになった日本人4名(男性1名、女性3名)、フランス人2名(女性)のスタッフ。パリの事務所で、彼らのスケジュールや営業行動を管理し、広告申込書をロンドンに送り、ガイドブックに掲載する情報の資料を集める。また日本人オーナーの店鋪についての営業もする。これが、仕事の内容でした。


レジデンスホテル

 パリに到着して、2週間だけ用意されていたレジデンスホテルに入りました。
そこは衛星放送も入るテレビとソファセットの置かれた大きなリビングに、別の部屋にツインベッドがある広々とした空間。簡易キッチンにはダスターシュートもついています。15階から見下ろすパリの街は、昼もよし、夜はまた格別の眺めでした。
 このホテルの管理人はレバノン人でした。そのホテルにも営業目標があったので、滞在中二度ほど、彼のオフィスに行ってガイドブックの広告の話をしました。
オフィスの壁には、風景を描いた大きなシルクスクリーン作品が3枚かけられていました。
黄土色と白と青の単純な色彩の、どこか寂寥感の漂う風景。
「これはどこの国の風景ですか? 想像上の景色かしら」
と問えば、
「これはレバノンの風景なんだ。昔はこんな風景だったんだ、戦火にみまわれる前はね。私はすべて失って、あの国を出たんだ。もうこんな風景も失われてしまっただろう」
 そんな会話もあって、何日か経ったころ。オーナーを紹介するからと、近くのレストランに呼ばれました。オーナーはエジプト人。彼もオーナーも話上手で、私がヘタなフランス語や英語を駆使しなくても、二人の会話を聞いているだけで気持ちがいい会食でした。
 広告の件は考えておくとオーナーが言い、「では、そろそろ」と店を出ました。レジデンスホテルは目の前。
「では、また」とホテルに戻る私に、「送るから」とオーナーがついてきます。ホテルの玄関まで来て、「もうここですから」と言っても、聞こえないふりをしてエレベーターに乗り込んできます。他の客も乗っているエレベーターで強いことも言えずにいると、いよいよ部屋の前まで同道するはめに。
 「もうお帰りください」といえば、「自分がもっているホテルで、どんな部屋を使っているのか知りたいから」と、鍵を開けるように促します。部屋の鍵を開けて、「じゃあどうぞご覧ください」と先に通せば、いきなり肘をつかんで、部屋のソファーに座らせます。そのまま
「さっき、話していて、あなたの魅力にとりつかれてしまった」
とかなんとか。
─ ほとんど私は話してないのに、何を言っておるかね。
と思ううちに、抱きついてきます。
「君をこのままにはしておけない」
─ あほですかい。
「私、恋人いますし。あなたには何の魅力も感じません。やめてください」
思いきり押しのけて、ドアに行き、 丁重にお帰り願いました。
 もちろん、そのレジデンスホテルから広告は取れませんでした。そして、レバノン人の管理人とも疎遠になってしまいました。
 パリに来たとたんにこれかい、と前途多難な道のりを感じたのでした。


事務所

 「パリ事務所」とは、あるツアーエージェンシーの事務所のデスクを1つとその上の電話を1台借りるというものでした。エージェンシーのスタッフは2名。日本人の女性所長が奥の一室を。手前の6畳ほどの部屋に置かれたふたつの事務机のうち、ひとつが中国人の女性事務員の席、もうひとつが私の席でした。
その事務の部屋と入口との間に、ガラスで仕切られた細長いコーナーがあり、会議用の机と椅子が置かれていました。
 毎朝9時にその会議机にガイドブックの営業のスタッフが集まり、前日の営業レポートを提出し、今日回るところの申し合せをして出ていくというのが、就業上の決まりでした。そのわずかな時間だけ、会議用の机をお借りするという感じだったのですが。
 スタッフ同士が親しくなってくると、だんだん事務所で話す時間が長くなってきます。家で書いてくるはずのレポートを事務所で書きだし、その合間にお菓子や、はてはサンドイッチなどを食べはじめます。
「慣れ」の過程を見ているようで、返せば自分もあらゆる職場で同じような感じになってたんだろうなぁなどと思いました。そして、この状態があとあとトラブルのタネになるのです。


営業

 6人のスタッフはソルボンヌ大学の学生でした。募集は、日中あるいは夜間に1日15〜20件以上の営業ができる人という条件だったようです。ロンドンの事務所で履歴書を見て、各人に連絡したのは私ですが、どういう要領で募集したのかまでは知りませんでした。ありがたかったのは、日本人はもちろん、フランス人も日本語ができたことです。
 さて、来る日も来る日も「広告申込書」は手元に来ません。営業レポートは来ますが、日を追って各人の顔に疲労の色が濃くなってきます。最初の2日で、2人のフランス人のうち1人が辞め、1週間後にはもう1人も辞めました。フランスの店相手の営業は、やはりフランス人のほうがいいだろうということで、もう一度ソルボンヌ大学の掲示板に募集の紙を貼らせてもらい、またスタッフの知人のつてでできる人を探してもらって、「1週間経てば辞める」を前提にフランス人を確保するという感じでした。自分に向いてなければ、あっさり辞めるフランス人。一度縁ができれば、多少無理してもがんばってくれる日本人とは、やはり違うなぁとしみじみ思いました。

 当時、パリは不況の真只中でした。メトロのサン・ミシェル駅で爆弾テロがあったのもこのころ。メイ・デーのお祭り騒ぎの最中に、アルジェリア人の青年がセーヌ河に落されて溺死。その死を巡って、元より雇用などの問題でデモ活動が絶えなかった移民と、移民によって雇用の機会が奪われていると感じているパリ市民の間に一触即発の緊張感が高まっていた時期でもあります。パリは埃っぽく、殺伐としていました。

 1日20件近く回っても広告申し込みが取れるか取れないか。これはなかなかしんどいです。私も日本レストランなどを営業に回り、また夜間開いているバーなどに他のスタッフと二人で営業に行ったりしました。1回の訪問で「広告出しましょう」と言ってくれるところはわずか。「考えて返事します」と言われたら、「お断り」という返事と同じです。なんとか1回で「うん」と言わせる方法を編み出すのに、スタッフと一緒に随分頭を絞った気がします。

 そんなおり、日本人の女性スタッフから「ある日本の企業の人と知り合ったのですが。実は今夜8時にブーローニュの森で待ち合わせなんです。どうしたらいいでしょう?」と相談が。
─ いやそれ、もう魂胆見えてますって。
誰にも言いませんでしたが、私にはレジデンスホテルの1件があります。
「あなたが自分の営業成績として、どうしてもそこを取りたいのだったら、私もついていくけど。そんな時間に女性をあんなところに呼び出すのは、マトモではないと思う」
 本当は厚意のあるいい方だったかもしれませんが。待ち合わせ時間と場所はご一考いただきたかったですね。

 その彼女は、私にとってたいへん頼りになる方だったのですが。それ以上に忘れがたき人となりました。なんと営業中に流産しかかったのです。
営業見本に持っていた本があまりに重かったのと、初夏の暑さが原因だったようですが。実際、「ガイドブックとして持ち歩くにはどうですか? この重さ、耐えられますか?」というくらい1冊が重い本なので、10冊も持った日には卓上辞書よりずっしりきます。
「出血があって、病院に行ったら、流産しかかってたようで」と電話もらったときには、心臓が止まるくらい驚きました。
「妊娠してらしたのですか?」
「そうみたいです。私も初めて知ったのですが。2ヵ月とか」
そういう経験ないのでよくわかりませんが、自分の妊娠くらい気がついてください。
「仕事どうしましょう」との言葉に、思わず「いいですから、休んでてください、動かないでください」ともう懇願。彼女がいなくては困るとはいえ、さすがの私も子どもの責任までは負いかねます。
 16区パッシーの家では同居のネコに反抗され(「納屋猫とチェシャ猫」参照)、仕事では営業成績に悩まされ、スタッフは辞めていく。まさに内憂外患を味わいました。


不動産

 元々、パリでの活動は3ヵ月の予定でした。しかし、営業が振るわないうえに、スタッフもいつしか日本人のみ3人になっていました。
 パリに来て2ヵ月が過ぎたころ、ツアーエージェンシーの所長さんから、「日本から1人、スタッフが入るのでデスクを空けてほしい」とのお話がありました。中国人の事務員が辞めることになり、代わりの人が来るのと、日本から事業状態を見に「上の人」が来るので、早急に出ていってほしいとのこと。
それまでにも、机1つ電話1台の約束が、会議用の机まで使用していること、営業スタッフが菓子や食べ物の細かなクズをじゅうたんに落とすこと、トイレを使用することなど、所長さんの寛大さに甘えてしまっていた部分があったので、これはもはや出ていくしかないと思いました。

 ロンドンに連絡を取れば、「3ヵ月という約束だったんだけどな。まぁこれからもパリ事務所は必要だろうから、この際、借りていいよ」
─ はい? 借りるんですか? 私が? 事業用の不動産を!? ンなもの、私の業務内容に入ってませんが。
とは思うものの、どうしようもないのも事実。
スタッフを頼って、「信頼できる不動産探し」の始まりです。もう営業など、そっちのけ、どっちらけ。そうこうしているうちに、パリ16区の家のキャットシッター契約も、飼い主の帰還で終了。自分の住まいもピンチです!

 結局、私の住居は、スタッフの一人がしばらく日本へ帰るので、その間自宅を貸してくれることになりました。それがサンジェルマン・アン・レイの家。ここの家でのことは「エレクトリック・ショック」をご覧ください。

 さて、いくつかの不動産屋を覗きに行き、ついに若い女性スタッフの尽力で、ある物件に行き着いたのは、退去願いを受けてから2週間も経ったころのこと。物件は、コンコルド広場の裏手の古いビルの3階。踏まれて中央が磨耗している木の階段に、鉄製のアールヌーヴォー調の柵。手すりは木。ドアを開けると、中は板張りで、それぞれ玄関の間、客室、事務室、簡易寝室に使えそうな部屋が4つ。トイレ、クローゼットあり。
古いがための格安物件。ただし、周りにスーパーなど気軽に買い物に行ける店はなし。でも、メトロのコンコルド駅が徒歩5分の距離。
 ロンドンに連絡を取って、予算内ということで借りることに。さぁ、それからがまた大変。
まず、不動産を借りるには、パリの銀行に口座を開かなければなりません。そのうえ、預け入れの最低額も決まっています。ロンドンからは、英国のバークレー銀行のパリ支店に送金するので、口座を開いてくれとの指令。そこで、銀行に行けば、責任者のサインがどうしても必要だと言います。「責任者」としてのサインなど、私はご免こうむるということで、いよいよ社長にパリにお出まし願い、事務所を見てもらい、口座も開いてもらいました。
「それなら不動産契約も……」と思えば、そちらはまかせるとのこと。なぜ?
おかげで、不動産屋の本社の壮麗なビルの、中世の王の会議室のような重厚な部屋の、重々しい机の前に座るはめに。担当者が読み上げる不動産契約書を、こちらに渡された契約書の要項と同じであることを確認。お互いにサインをしあって、契約成立となりました。契約書も厚みのある紙に金の箔押し、透かし入り。なんか知らずにすごいところと契約してしまったようです。

 その後、社長とホテルの部屋で缶づめになって、6時間からかけて、それまでのパリ関係の出費と営業成績などを含む出納記録を整理したのは、思いだしたくもない記憶です。
だから、本当に数字は苦手なんだってばよ。△とか▲とかわからねえ。


引っ越し

 というわけで、必然的に引っ越しです。結局、3ヵ月丸々お世話になってしまったツアーエージェンシーの所長さんの「まぁ、最初から3ヵ月の約束だったし」の言葉と苦笑に見送られ、ひとまずサンジェルマン・アン・レイの私の部屋に荷物を運びました。まだそのときは口座の関係で事務所の契約は済んでなかったからです。
 女性スタッフの車で書類やバインダーを運んでもらい、部屋に運び込んでもらってほっとひと息。
契約が済んでからは、出勤のたびに少しずつ事務所に運び込みました。
 次は電話とFAX。当座の電話とFAXは、すべてサンジェルマン・アン・レイの私の借家が連絡先になっているので、私がパリにいる間は音信不通になってしまいます。パリをよく知るスタッフにお願いして、まず安売り店で電話とFAXを入手。何もない部屋の床にFAX一体型の電話がぽつん。それが、パリを引き上げるまで、あと1ヵ月の事務所の状態でした。


取材

 むろん、苦労したことばかりではなく、いいこともたくさんありました。
 例えば、ガイドブックの料理紹介のページのために、ミシュラン三ツ星のレストラン、L'Ambroisie(アンブロワジー)やTaillvent(タイユヴァン)を取材したことは、貴重な体験でしょう。ベトナム料理のLe Santal(ル・サンタル)、中国料理の翠香邨では、伝統を守りながらの創意工夫に驚かされたり、包丁で作られる野菜装飾の見事さに溜息をついたり。
 あるいは、ヴァンドームの宝飾店で、入店したとたん鍵が閉められ、そこで宝石に囲まれながらオーナーと話をしたこと、サントノレのブティックの2階にあるお得意様用の豪華な応接室で営業の話をしたことなども、この仕事だからこそできた経験でしょう。

 また、知り合った日本人スタッフの方々に、家にご招待いただいて手料理をご馳走になったり、ホームパーティーに呼んでいただいたりしました。パリで活躍する日本人カメラマンや実業家の方々とお話ができたのもいい思い出です。

 何より嬉しかったのは、妊娠がわかった女性スタッフがめでたく結婚式をあげ、その披露宴に呼ばれたこと。ブーローニュの森の中の、有名なレストランで催されたパーティー。友人たちが徹夜で作ったという純白のウェディングドレスに身を包み、緑の森を背景に立つ彼女は最高にきれいでした。年内には赤ちゃんも無事生まれましたしね。


目が見えない!

 パリにいたのは初夏から夏で、暑かったというのがひとつ。パリには街角ごとにカフェがあって、もれなくアルコールがあるというのもひとつ。不景気な気分を晴したいというのも大きな理由でしょう。いつしか、「カフェではパナシェ(ビールをレモネードで割ったもの)かワイン」が当たり前になっていました。パリにいた4ヵ月、通常に増してお酒を飲んでいたのは事実です。
 思い立ったときに、すぐにカフェがあり、すぐ酒が飲めるという環境。パリのアートと「酔い」は切っても切れない関係にありますが。酔いどれ人口が多いわけがわかった気がしました。

 さて、営業が終わり、取材も終わり、そろそろロンドンへ引き上げるかというころ。7月の半ばに、日本人スタッフがホームパーティーに呼んでくれました。おもしろい形の集合住宅に住む彼女の家には、7、8人の友人たちが思い思いのものをもちよって、食べたり飲んだりしていました。その持参品の中に、カルヴァドスが1本あったのです。

 カルヴァドスとは、フランスのCalvados地方で作られる、リンゴの発泡酒Cider(シードル)を蒸留した酒です。ブドウが原料のワインを蒸留するとブランデーに、リンゴが原料のシードルを蒸留するとカルヴァドスになります。
カルヴァドス地方で作られたシードルを2年以内に蒸溜したもののみがカルヴァドスと呼ばれます。ちなみに他の地域で作られたリンゴの蒸留酒はアップルブランデーの名になります。カルヴァドスの度数はブランデーと同じくらいで40度、飲み頃は10年くらい置いたもの。たいへんに香りのよいお酒です。

 その夜はそのまま泊まることにして、他の方々が帰ったあとも、彼女と二人、カルヴァドスを飲んでいました。翌朝見たら、中身が1/4ほどになっていましたから、かなり飲んだことになります。
 この口の乾きと、頭の痛さはまぎれもなく二日酔い。いつも後悔は後からやってくる、というわけで、よろよろとトイレへ向いました。この共同住宅は、各フロアに共同トイレがひとつという造りだったのです。トイレに入っていると、ふっと明かりが消えました。窓がないのでいきなり真っ暗闇です。
「うわっ、こんなときに停電!?」と一瞬あわてましたが、ペーパーの場所とかは手探りでわかります。すぐに復活するかなと動かず待っていましたが、いっこうに明るくなりません。いつまでも座っていたら他の人に迷惑だろうと、トイレから出ました。廊下に出ても真っ暗です。さすがにおかしいと思いました。廊下には明かりとりの窓があって、さっき来たときも白いくらいに明るかったからです。
「停電じゃない。自分の目が見えてないんだ」
それは、足元が突然砂と化し、ずるずる吸い込まれていくようなショックでした。右を見ても、左を見ても、一度両目をつぶって開いてみても、真っ暗。

 立ちすくんでいても仕方がないので、壁を伝って来た方向に戻りはじめました。しかし、彼女の部屋がトイレから何番目のドアであったか、覚えるどころか、意識さえしていませんでした。途中で、私がいないのに気づいた彼女が迎えに来てくれなかったら、途方にくれていたでしょう。
 とりあえずもう一度寝てみたら、との勧めに、横になってしばらく眠ったようです。目が覚めたら、なんだかうすらぼんやり色が見えます。それだけでも、ほっとしました。

 もとのクリアな視界を取り戻すのに、一昼夜かかりましたが。あの「目が見えない」と思った一瞬の戦慄と、見えるようになったときの安堵は忘れることができません。




 さて、そのあとパリ事務所をいったん引き上げてロンドンに戻ったときのいきさつは、「走る! 大空港」のシャルル・ド・ゴール空港の項を。
 もう一度、今度はガイドブックの地図チェックのためにパリに戻ったときの話は「Steal, Stole, Stolen」をどうぞ。
 ロンドンに戻ったあと、今度は声が出なくなりました。こんなに嫌気が身体にガタピシきたのは、後にも先にもこのパリ出張の時期のみ。やはり私にはとてもハードな仕事だったのだと思います。



パリ関連文章リスト
1995年3月〜7月「パリの憂愁」(本文)
    4月<書斎>「納屋猫とチェシャ猫」パリジャン・キャット
    7月14日<旅話>「エレクトリック・ショック」
    7月19日<旅話>「走る! 大空港」シャルル・ド・ゴール空港
    9月〜<書斎>「納屋猫とチェシャ猫」チェシャ・キャット
    9月6日〜23日<旅話>「Steal, Stole, Stolen」

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Wrote 13 October 2002 for Counter No.3000


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