小咄
麻薬への誘い

アムステルダム駅
東京駅のモデルとなったアムステルダム中央駅


 アムステルダムは運河の街。水に関係の深い街なので、ちょっと他の街とは違うモノがあります。
 それはボテル。年をとったりして海へ出られなくなると、船をもつ人はアムテルダム港に船を係留し、ホテルに改装します。ボートのホテルなのでボテルというわけです。

 アムステルダム中央駅を港側に下りると、目の前にずらりとボテルが並んでいます。
早速、桟橋を渡って空室確認と値段交渉。といっても料金体系は大体3種類です。バス・トイレ付の1等船室、バス付・トイレ共同の2等船室、バス・トイレ共共同の3等船室。私と友人は2等船室を選びました。
 ボテルの奥さんに「お茶でも飲みにいらっしゃいよ」と誘われ、荷物を置いて、ラウンジへ。早速、奥さんがお茶をもってきてくれました。
 和んでいると、ラウンジに金茶のもこもこ巻毛の大柄な青年が入ってきました。少し離れた席に座った彼に、奥さんがお茶をもってきて親し気に話しています。私たちの方をちらちら見ている様子から、どうやら話題は「東洋人の女の子が来てるのよ…云々」。
 宿泊の団体さんがやってきて奥さんが席をはずすと、彼が私たちの傍へやってきました。
「どこから来たの?」クリアな英語です。
「日本からよ」
「ここは初めて?」
「うん」
 彼の名はジョージ。英国からあちこち旅をしてオランダに来て2週間。美術に興味があり、美術館や博物館を観てまわっているのだそう。
「これからどこへ行く予定?」
「レンブラントの家と市立美術館に行くつもりだけど」
「あ、オレも市立美術館好きなんだ。あそこは何回行っても新しい発見がある。一緒に行こう!」
今にも飛び出しそうな勢いで立ち上がる彼に、ちょっと慌てる私たち。
「ええと、ちょっと支度するから」
「あ、じゃあオレも。20分後にフロントで」
 コートを着て、必要なものをナップザックからショルダーバッグに移して準備完了。
 フロントに出てみると、彼はまだ来てない様子。ぼさっと立っていると、シーツ類を山のように抱えた奥さんがやって来ました。私たちを見て、顔をしかめます。
「もう、ひどい匂いよ。たまらないわ」
クセのある英語に、聞き間違いか?それとも私たちが臭いのか?とまたまた慌てる私たち。
「あぁ、違うの。3等船室は男の客が多いんだけど。靴の匂いがひどいのよ。よくまぁ、あんな臭いの履いてることだわ。もう男っていやねぇ」
苦笑する奥さんに、「あはは〜」と力なく返す私たち。私たちも2ヵ月近い旅の間、同じ靴を履き続けています。臭いについては、人様のことを笑えません。
「何か、用なの?」
と聞く奥さん。
「ジョージとここで待ち合せてるんですが、まだ来ないんです」
「あぁ。あの子、ここに住みついてるのよ。けっこうのろまでね…」
と言ってる間に、彼が階段を上がってきました。
奥さんが何やら話しかけるのを、「わかった、わかった」というように頭を振る彼。


ボテル
ボテル・アムステルは引退した旦那さんの代わりに奥さんが采配をふるうボテル。
「主人はこの船に乗っていつも家にはいなかったけど。今は私がこの船といるのよ(笑)」



 15年前、英語よりフランス語の方がマシだった私たちと、英語一辺倒のジョージ。まともに意思疎通ができているとも思えないのに、ほてほてと私たちの傍にくっついて歩いています。
 レンブラントの家で、画家の精緻精巧なデッサンを鑑賞。
 それから市立美術館へ行きました。
「こっちだ、こっち」と妙に張り切っているジョージについていくと、壁画のようなでかい現代絵画の並ぶ部屋。あまり現代絵画には興味のない私は、ただそのでかさとハデさに圧倒されました。
ほけ〜と眺めている私に、ジョージが
「コレやってみない? すごくこの絵がわかるよ」
と話しかけてきます。見るとポケットから、どこかで見たような植物の絵が描いてある小袋をこそりと出して、私の顔をうかがっています。
うん、どう見ても大麻です。

 修士論文のネタはボードレールでしたが、テーマは「麻薬」でした。
ボードレールが阿片に陶酔しながら見た“人工楽園”Paradis Artificielsの描写から、なぜそのような「楽園」が必要だったのかを修辞学的に探る、という今考えると訳のわからない研究をしていたわけです。
 だから、興味がなかったといえばウソです。この国では犯罪行為ではない(公認はされていないが、黙認されている)、というのにも心動かされました。
 でも、自分が経験するより、やっぱり私はvoyeur(ヤジ馬)希望。

「No, thank you.」
「本当か。すごく世界が変わるのに」
「ううん。いいわ。私には必要ない」

 ちょっとトイレに行ってくる、とはずしたジョージは、戻ってくると大変饒舌になっていました。
「すごいんだ。この絵のピンクの部分が光って見える。浮き上がって見えるんだ。君たちには2次元に見えるだろう。オレにはすべてが立体に見える。現代絵画は、こうして見ないと本当のよさはわからないんだ」
 彼の説明を聞きながら、そうかもと納得しました。私にはただの線、ただの染みのような色も、彼の目には浮き上がって何らかの像を成しているようだからです。
 どの絵の前に立っても、彼と私の見ているものは明らかに違います。
 ジョージのおかげで、修論のテーマに大きなヒントを得ることができたのでした。

 さて浮かれまくった彼も、美術館を出る頃にはかなり醒めていました。
「腹減らないか?」
もう時間は17時半。
「空いた空いた」
「じゃ、安くで食べられるところがあるからついて来て」
 ほてほてついて行くと、ジョージは大きな門を迷いもせずに入っていきます。
すれ違うのは、同年代の男女。教科書らしきものを抱えて、にぎやかに笑いさざめきながら歩いています。
なんだかここは…これは学校では…?
構内を勝手知ったるとばかりにつかつか歩くジョージにくっついて行くと、ある建物の2階に上がっていきます。
そこにはアルミのトレイや食器が山積みされ、料理の入ったステンレスの大皿やナベが置いてあります。
ごく自然に列に並び、トレイに食器を置き、次々に料理をとっていくジョージに、私たちも習います。
驚くほど安い代金を払って席についた私たち。確かに服装も年齢も、周りにいる人たちと違和感はありませんが…。
「どう見てもどっかの学生食堂」
「そうだよね」
 ひそひそ会話をかわす友人と私。
 メニューは、ベーコンとジャガイモやグリンピースをごった煮にしたようなモノと、キャベツを煮たもの、ソーセージ。まだ初春のアムステルダムは寒く、冷えきった身体にぬくもりがじんわりしみてきます。
 後に、ここはアムステルダム大学の学食で、メニューはオランダの家庭料理スタムポットStampotと知りました。

 旅行者にもかかわらず大学の学食に馴染んでいるジョージには、友人もいました。
「Hi!」という声に顔を上げると、きれいなブロンドに緑の目の青年がジョージに話しかけています。
「彼はヘンリー。イギリス人で、オレの友人」というジョージに、私たちも「Nice to meet you.」とご挨拶。
「どこで知り合ったんだ? 東洋人と」
「オレの泊まってるボテルの客。日本から来たんだって」
 私たちとのもどかしい英会話のストレスを発散するかのように、早口でヘンリーに説明するジョージ。
 どういう話になったのかさっぱりでしたが、立ち上がって「出ようか」という彼らと一緒にそこを後にしました。ここで置いていかれたら、どこに自分たちがいるのかわからなかったからです。


アムステルダム町並
アムステルダムは家の幅により税金が課せられたため、奥行きが深く
背の高い建物が建てられた。階段も狭く、家具などは窓から出し入れされた。
屋根近くに突き出ている棒に滑車を取りつけ、家具を持ち上げる。



 にぎやかにしゃべりながら歩く二人の後ろを、私たちも日本語で話しながらついて行きました。
 だんだん道幅が狭くなり、窓にビロードのような厚いカーテンが下ろされていたり、ほわっとピンクやオレンジの明かりがこぼれる家々が並びだします。
窓ガラスや玄関ドアのステンドグラスも艶かしい色合いで、なんだか、なんだか…。
「もしかして、ここは<飾り窓>?」
 <飾り窓>とはアムステルダムの“歓楽街”。ドアの傍に立つ女性もすらりとした足を出したり、胸を強調したドレスを着たりしています。手持ち無沙汰にくゆらす煙草をもつ指さえ色っぽい。
そんな女性が場違いなと言いたげに私たちを見送り、私たちもちょっと目のやり場に困りながら通り抜けました。

 通りを抜けてほっとする間もなく、前方の二人はどんどん暗い道に入っていきます。
もうすっかり辺りは闇に包まれ、街灯に浮かぶのは両側にそびえる背の高い建物の影。
さすがに立ち止まる私たちに、二人が気づいて振り返ります。
「どうした?」
というジョージに
「こんな暗いところは行けないわ。表通りに出たいんだけど」
「あぁ、そうか」
こちらに歩き出しかけたジョージの腕をヘンリーが掴みます。
早口でヘンリーが何かを言い、ジョージはしばらく黙って聞いていましたが、やがて首を振ります。
突然、はっきりした発音で、ゆっくりと宣言するように話しだすジョージ。
「彼女たちは、そんなんじゃない。オレは、彼女たちを、宿まで連れて帰る、義務がある」
ヘンリーはひとつの建物を指差し、「もうそこまで来てる。皆待っているのに」と言いつのります。
「No!」
一言返して、ジョージは私たちの傍まで戻ってきました。
「行こう」
私たちを回れ右させて歩き出した彼に、まだなおヘンリーは何か叫んでいました。

 黙々と歩いて広い通りに出た彼に、
「よかったの? ここがどこか教えてくれれば、地図があるから、私たちボテルまで帰れるよ。友だちが待っていたんじゃないの?」
と聞けば、ぼっそりと
「あんな奴だと思わなかった。もう友だちじゃない」
「どうしたの?」
「あいつ、仲間を集めてパーティーしようとしてたんだ。そんなところへ君たちは連れて行けない。どうなるか、目に見えてる。彼はここに来るまで、パーティーのこと黙っていた」
「あぁ、そう…」
「君は薬をやらない。君たちは連中のパーティーに出て楽しめるような人じゃない。オレは君たちを無事に送り届けなければならない。それが義務だ、そう思った」
「ありがとう。本当にありがとうね」
 えぇ、そう実は危機一髪だったわけです。もしジョージが良心を発揮してくれなかったら、かなりヤバい状況に陥ったことでしょう。
 「あんな奴は友だちじゃない。オレをだまそうとした。あいつは勉強もせずにふらふらしてるんだ。パーティーなんてロクなもんじゃない!」
 その怒りは真摯でした。
 櫛も通らないだろうというもしゃもしゃの巻毛頭、ろくに服装に気もつかわず、平気でドラッグをやる…。
身なりはこざっぱりしていたヘンリーより、うさん臭さ的には上のジョージの思いがけない紳士ぶりに感心もし、感激もしたのであります。

 ボテルの前まで来ると、「隣のボテルはバーがあるんだ。知り合いが来てる」と言って、そちらに引っ張り込んでくれました。
 おかげで、「極東から来たらしい」とバーの客に珍しがられ、お酒もおごられ、バックギャモンなんかも教えてもらい、ちやほやされましたが。
ジョージもその“恩恵”に預かったようで、まぁ彼としては貸しは取り返したってことらしいです(笑)。

 翌朝、どうやら彼から事情を聞いたらしいボテルの奥さんが、
「けっこう、あの子、頼りになるでしょう」
とウインク。
頼りない私たちの用心棒としてジョージをつけてくれたのかな?なんて思っちゃいましたが。さて真実は闇の中です。


アムステルダム港のかもめ
ボテルの窓辺に飛ぶかもめ



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Wrote 15 October 2001


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