アジア旅物語
二元論の神の島バリ 境界を旅する
「キャーーーーー!」 宵闇の静寂を引き裂く悲鳴。 ここはバリ島。インドネシアに属する小さな島である。南洋に囲まれた緑の島はマリン・リゾート地として名高い。 成田空港で友人が出発ギリギリまで来ない事件などがあったが(『走る!大空港』参照)、ともあれデンパサール空港に着いた。 デンパサール空港からホテルまで、車のどががっ、どががっというようなぶっ飛ばしように「バリ島で邦人3名事故」という新聞見出しが浮かんだが、無事にホテルに辿り着いた。 日本から完璧に手配していったはずのホテルで「予約が入ってません」とか言われて慌てたが、ウェルカム・カクテルを飲んでいる間にそれも何とかなった。 とにかくリゾート、なにはなくともリゾート! この旅のテーマはただそれだけ。 何も考えない旅のはずだった。 その日、ベサキ寺院への観光ツアーからホテルに戻ったあと、芸術の村ウブドを訪ねた際に途中の店で買い込んだイカット(かすり)を着てみた。 イカットやバティック(更紗)の大判の布を腰に巻きつけ、色鮮やかなレースの上着と合わせて帯で締めると、バリ女性の正装になる。 その店で、巻きスカート、上着、帯一式を選び、ピンク系一式と山吹色系一式とどちらを買おうかと迷っていたら、2セットで1セット分の金額でいいと言われた。ちょっとあきれる。 とにかく値段に決まりのない土地なのだ。 私はピンク系の正装姿でバリのその夜を楽しんでいた。友人の一人はやはり正装で、もう一人はご当地のサマードレスを着て、ホテルのラウンジでトロピカル・カクテルを味わった。気分はリゾートなマドモワゼ〜ル(笑)。 バリ島民のスタッフたちがなんだか嬉しそうに、写真を一緒に撮ろうと誘ってくれたり、撮ってくれたり。何かと寄ってきては話かけてくる。すっかりちやほやされて、3人共、いい気分だったのである。 前の3日間は当地のガイドに連れられて、あっちへ行ったりこっちへ行ったり慌ただしかったけれど、明日はフリータイムで海へ行く。ガイドとの待ち合わせ時間を気にする必要もなく、寝坊してもOK。 とにかくの〜んびりした夕べだった。
カクテルでほろ酔い気分になり、酔い覚ましに外へ出た。ホテル付近は未知の地だったので、ぶらぶら散歩もそのまま観光だ。 ホテルのあるヌサ・ドア地区は、ヌサ・ドア・ビーチ・ホテル、メリア・バリ・ソル、バリ・ヒルトン、シェラトン・ラグーンなどの豪華な構えのホテルが建つ。 この地区は、1973年から西ドイツの協力の下に、インドネシア政府が“東洋一”のリゾート地を目指して開発した。 美しく手入れの行き届いた南国の緑、花々。プライベート・ビーチ付のホテルの敷地は広く、隣のホテルまででもけっこう距離がある。実際、ホテルとホテルをつなぐミニバスが走っているくらいだ。 アスファルトが敷かれ、整備された道。しかし、ヌサ・ドア地区の入口の割れ門から中へ、一般車両は入れない。 まさに観光客のためだけの理想の園“リゾート・パラダイス”がヌサ・ドアなのだ。 ここを一歩出れば、そこには喧噪の街や、埃っぽく土の匂いがする村が次々に現れる。 「生活」から隔離されたヌサ・ドアの、車一台人っ子一人通らない道。 楽園にしばし滞在する観光客以外の何者でもない私たちは、宵と酔いを楽しみながらぶらついていた。 さて、そろそろホテルへ帰ろうかと歩きかけたとき。 「キャーーーーー!」 「何?」 「どうした?」 振り向けば、友人1名が立ったまま、目を見開いて硬直している。 「どうしたん?」 「何があったん?」 たたみかけるように訪ねる我々に、彼女は口もきけない有り様。 「誰か、いたの?」 辺りを見回すも、視界に入る人影はない。 「あ、あ、あの、ね…」 窒息寸前から呼吸を取り戻した、そんな苦し気な様子で言葉が絞り出される。 「うん」 「カ、カエルが」 「は?」 「カエルが、目の前を、跳ねた」 「はぁ!?」 「で、そこ、そこ、の草、むらへ、入った」 「あ、あんたなぁ〜」 「何かと思ったやん!」 「だってカエルだよ。私、カエル、ダメだもん」 「ダメって、そりゃ苦手なものくらい、誰でもあるけどさ。それにしても大袈裟や!」 聞けば、トノサマガエルくらいの緑のカエルが(よりにもよって)彼女の足元をぴょん!と飛んで道端の草むらへ入っていったのだとか。 彼女も驚いたろうが、心臓が止まりそうになったのは私たちも同じ。 「もう勘弁してよ〜」 「なんか人に襲われたみたいな悲鳴やったよ〜」
再びのカエルの襲撃に怯えて急ぎ足になる彼女。 彼女に合わせて歩きながら、さんざんからかっていると、ホテルが目の前に。 昼間見ても豪奢だが、夜見ると闇に溶けて規模がわからず、寺院のような威圧感を感じる。 ホテルまでの前庭には、正面にライトアップされた大きな水場があり、豊かな水の帯が途絶えることなく石像から噴き上がり流れ落ちる。 その様を横目で見ながら、えっちらおっちら段々の誘導路をエントランスへ登っていく。 と、建物の外に2人の男性スタッフが立って、伸び上がるように何かを眺めている。 私たちに気づいた彼らが駆け寄って来る。そして、せき込むように聞いてきた。 「さっき悲鳴が聞こえたけど、君たち何か見たか?」 「あ…」 一瞬絶句。 「あ、あ〜、それ彼女」 「どうした? 何か悪いことが起こったのか?」 「違う違う。彼女、苦手なカエルが目の前にいきなり現れたものだから、びっくりして叫んじゃったの」 勢い込んだ反動で、彼らも絶句。 「ごめんね。驚かせた?」 「いや、何かあったのかと心配していたんだ」 突然、はじかれたように笑い出す彼ら。 「カエルか〜、多いもんな」 「驚いたよ。何か犯罪でもあったらどうしようかと思った」 「すっごい悲鳴だったよ。ここまで響いてきた」 「でも苦手なものなら、仕方ないよな」 「そうそう」 「カエルでよかったよ」 バリ島民独特の人好きのする笑顔を満面に浮かべる彼ら。 背中をぽんぽんと叩かれた彼女は真っ赤。私たちも苦笑するしかなかった。 実際、バリにはカエルが多い。生きているものも多ければ、石像のカエルも多い。 人々にとって、カエルは疫病をもたらす蚊や蠅を食べてくれる「神様」なのだそうだ。
インドネシアの国教はイスラム教だが、バリ島だけはヒンズー教を信仰している。それも古来のアニミズム(精霊崇拝)と融合した独特のバリ・ヒンズー教だ。 島のアグン山が、バリ島民にとって世界の中心であり、聖域で、方位の基点となっている。 「山」が聖域なら、「海」は魔の域。 そして宇宙と人間は一体化するもので、寺院や家は2つを結びつける「橋」だと考えられる。 島内でやたら目につくのは「門」だ。家々の門。そして村の門。 特に目立つ高い石造の三角形を真中で割ったような“割れ門”は、外からの災厄を防ぎ、幸せだけを呼び込むのだとガイドから聞いた。 家々の門には、災厄を払うための竹が立てられている。神々の存在を示す布が巻かれたものもある。 寺院の門前の像にも巻かれたその布は、白と黒のチェックがシヴァ神、黄色がブラフマン神?と聞いた記憶がある。 あぁ、バリは境界なのだ、と思った。 イスラムの中におけるヒンズーの境界。 神の世界と現世との境界。 聖なる山と魔の棲む海。 橋があり、門がある。 毎朝、花や食べ物が葉で作った皿の上に乗せられ、家の神様に供えられる。 カエルや猿や蛇や鳥の石像がそこここに登場する。 ベサキ寺院から小さな祠まで、2万を超えるといわれる神々の御在所。 タンパクシリンの「聖水の泉(ティエルタ・エンプル)」から、時代を知らずこんこんと湧き出す水。 奇怪にからみあった根をもつ、青々しい樹木。 空に向けて祈りを放つかのようなベサキ寺院の屋根は、霧や雲をまとい幽玄に趣を変える。 店に入れば、我先にと品物をもって口々に盛んに購買を勧める人々。 タクシーを探すそぶりをすれば、道端で料金を声高に叫ぶ運転手たちにすっかり囲まれてしまう。 「日本人相手のガイドはいいお金になるから、日本語を習ってガイドになる仲間は多い。ほら、僕も日本語習ってるんだ」とキラキラ目を輝かせる若者たち。 日本の某自動車会社の社員が来たとかで、その会社の社名入り幟(のぼり)をエントランスにずらりと立てるホテル。 外国人観光客に生計を頼る、生々しい現実。 聖なるものへの純粋な信仰心と、俗世間の汚濁を掻き分けていくたくましさ。 人の心の境界もまた、ここにはある。 バリの民俗芸能であるバロン・ダンスは、太陽で善霊の聖獣バロンと闇で悪霊の魔女ランダの闘いを描いたもの。 この2つは延々闘いつづけ、決してどちらかが勝つことはない。 善と悪が共存しバランスを保つ上に世界は成り立ち、善と悪が協力して世界は浄化される。 例えば、ヒンズーの神シヴァ神が破壊と創造を、ヴィシュヌ神が維持を受け持つように。 どこまでも二元の境界が続いている。それがバリ島の印象だ。 山と海、聖と俗、善と悪の接する地平に、人なつこい笑顔で人々が暮らしている。 モノトーンの寺院を彩る、極彩色の花々や布。 ケチャック・ダンスに感じた、闇と炎がぶれるようなめくるめく感覚が、あの島を思い出すたび甦る。
クルージングを楽しむうちに夕日が沈み、刻々と闇色に変わる空。やがて海上に輝く南十字星。 パラセーリングで、空中から見た海の青、島の濃緑。 ダイビングで見た、海中に棲む色鮮やかな魚たち。 そんなふうにメいっぱいリゾートしたはずなのに、バリの印象は古代の物にふれたような、懐かしいものに出会ったような。 そう、ちょうど日本の古い寺院に入り込んだ気持ちに似ている。 少しかびくさく、どこか陰微で、やわらかな水の波紋が広がって足元まで到達したような。 そして無音の世界。なぜかガムランの音も、街の喧噪も私の記憶に残っていない。その不思議。 「メディテーション」 バリにいたはずの5日間、きっと私の半分は別の世界にいたのだ。 カエルが神になり、ガルーダ(金翅鳥)が舞い、ハヌマン(猿)が飛び跳ねる世界に。 オランダの、そして日本の統治下の歴史をも飲み込んだ、深い淵のなかのどこかに。
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参考書籍:エアリアガイド『バリ島 インドネシア マリン・リゾートの旅』 昭文社 |
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Wrote 30 October 2001 for Counter No.777
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