Fiddler Fiddles A Fiddle.

花ライン


 彼に出会ったのは、まだオックスフォードの英語学校にいたときだった。

 まさか英語ができるとは思ってなかったけど、ほんとにできないってことに愕然としていたころ。
オックスフォードの英語学校の入学試験でElementary Classに配された私は、「Elementary. It's elementary, Watson.(初歩だよ、初歩。ワトソン)」というシャーロック・ホームズのセリフの「程度」が我が身をもってわかった気分だった。
ホストファミリーとのなかなか通じない会話に疲れはじめていたころ、学校の壁にエクスカーション(遠足)の張り紙を見つけた。

 PUB NIGHT! Go to the English Traditional Pub! Fine Ale and Morris Dance! Non-Alcoholic Beverage is Available. Let's Enjoy! Fee £3.50
「パブ・ナイト」。イングリッシュ・トラディショナル・パブで、モリスダンスを見ながらファイン・エール(地ビール)を! 参加費£3.50。


 ああ、もう酒でも飲んで、ダンスでも見て、鬱な気分を吹き飛ばしたい!
 深夜の帰宅をランドレディ(ホストファミリーの奥さん)に告げて、学校で参加者と合流。バスに乗ってかなり走ると、オックスフォドシャーの、草原が広がるなかにポツンと建っているパブに到着した。
 私以外に日本人の参加者はおらず、皆Advanced Class(上級クラス)のドイツ人とイタリア人。10人ほどが早速ビールグラスを手にわいわいやっている。私もカウンターでビールを受け取り、皆とは少し離れてちびちび飲みながらダンスが始まるのを待った。

 パブは全体がかなり年月を経た木造家屋。フロアの床は灰色の板が荒く張られ、やはり木でできた10人は座れる長テーブルに木のベンチがそこここに置かれている。フロアの中央は大きく空けられていて、当然そこでダンスが踊られるのだと見当がついた。

 手に楽器をもった人たちがまず登場。ヴァイオリンにアコーディオン、パーカッション。いきなり軽快な音楽が始まった。それに合わせて白の上下にカラフルなベスト、リボンと鈴で飾った男女が登場。男2人女2人の4人ひと組が3組。まずはステップを踏みながら踊り始めた。
 足取りに合わせて、荒く張られた床が鳴る。それに合わせて、パブ内にいた人たちが一斉に手拍子を始めた。
 そうディカプリオの映画『タイタニック』をご覧になった方なら、二等船室でアイリッシュの乗船客たちが楽器をかき鳴らし、踊っていたシーンを覚えておいでだろう。曲も雰囲気もあんな感じ。ただ、4人が一組で型にのっとって踊っていると思われたい。

モリスダンス春祭り1

モリスダンス春祭り2
5月1日、メイ・デーの日、ラドクリフカメラのそばで繰り広げられるモリス・ダンス。


 曲がだんだん速くなると、ステップもどんどん速くなる。まずは手拍子が拍手になるまで、踊りは続いた。
 それから薪をもって、それを両手にもって打ち合わせたり、向かいあったパートナー同士で打ち合わせたりする。もちろんステップを踏みながら、だ。タイミングをはずせば、パートナーを薪で殴ってしまいかねない。そしてもちろんテンポはどんどん速くなる。12本の薪が空中で弧を描いたり、打ち合わされて軽い音を立てたり。すでに踊りというよりは、12人による軽業に近い。
 最後はカーブした植物の枝か蔓に花や葉やリボンで飾りつけたものをもって、それを振りながらのダンス。色と音楽とシャンシャンという鈴の乱舞に圧倒された。

 パブの中は、煙草の煙りと震える床からのほこりで、霞がかかったよう。
 来たときは晩秋の寒さを含んでいた空気も、熱気でむんむんだ。

 Morris Danceはアフリカ北西部やスペインに住む、アラブ人との混血であるムーア人(Moors)の戦陣舞踊であったという。それがスペインを通ってイギリスに入った。モリス・ダンスがイギリスにもたらされた時期については、13世紀、14世紀中期、それ以後と諸説がある。
 タップのついた靴に鈴、ひいらぎの輪飾りとスカーフをつけた棒をもつ。グループの踊りで、布を振り、鈴をつけ、膝をあまり曲げずにステップを踏み、軽くあるいは高くジャンプするのが特色であったという。
                 (『ヨーロッパの祝祭典 中世の宴とグルメたち』 マドレーヌ・P・ゴズマン著 原書房)


 希望者には踊り方を教えるということで、一緒にきた学校の生徒達も手取り足取りステップや腕の振り、薪の使い方を習っていた。
それを眺めながら一人テーブルに座っていると、向こうのテーブルにビールグラスをもって座ろうとしている人と目が合った。
 合ったものはしかたない。目礼すると、座ろうとしていた腰を上げ、こちらにやってくる。
 片手にはヴァイオリンケース。ああ、演奏していた人の一人か。
 Would you like one more beer?
 「はあ?」
 露骨に日本語が出る。
 どうやら私の英語のレベルに気づいた彼は、ゆっくり話しかけてくる。
 I'd like to talk to you.  Can I sit down?
 しゃべりたい? 座りたい? なんで? なんで私のそばに来るーーーーっ!
 「プ、プリーズ」
 断る「言葉」が出ない、突発性健忘症患者約1名。
 自分がもってきたビールグラスを私の前に置いて、またカウンターへ行く彼。
 呆然と見守っていると、ビールをなみなみついだグラスを運んでくる。
 「どこから来たの?」「何しに英国へ来たの?」
など、ありきたりの会話が一通りぎくしゃくと終わったころ。
 「これ、ヴァイオリンでしょう。この店で弾いてるの?」
と尋ねてみた。私が話題をふったのが嬉しかったのか、彼は嬉々として答えてくる。
 「これはヴァイオリンじゃない。フィドルっていうんだ。仕事が終わってから、時間があるときに、いくつかのパブで弾いてるよ。趣味ってやつだね」
 「ヴァイオリンに見えるけど、違うの?」
 「ああ、ヴァイオリンだよ。でも、僕たちはフィドルって呼んでる。僕はクラシックを習ったことはないんだ。こういうパブなんかでのセッションはできるけど、クラシックを弾けといわれてもできないな。アマチュアのフィドル弾きだよ」
 「そうなんだ」
 ここで、引率の先生から集合の合図が。
 「あ、バスが出るわ。私、学校のエクスカーションで来てるから、帰らないと」
 「もっと話したいから、シティ・セントラル(オックスフォード中心部のこと)で会えないかな」
 日時と場所を打ち合わせて、慌てて席を立つ。
 戸口を出るときちらりと振り返ったら、彼がこちらを見ている、気がした。

 そして、英語に対する嫌悪感も、話せない自分に対する嫌悪感も少し軽くなった、気がした。

ARTIST'S
パブArtist'sでのモリス・ダンスの夕べ

 白のキャバリエのトランクにフィドルをいつも乗せている彼は、セッションするパブが決まっている。
 だいたい木曜日か金曜日の夜、フィドルをもってぶらっとパブに入っていく。すでに何人かが集まって曲を演奏している。
 曲を邪魔することなくカウンターへ歩いていって、自分と私のビールを買う。
 適当な席に座って、ビールを飲みながら演奏を聞く。
 やがて1曲終わると、自分のフィドルをもって立ち上がる。演奏していたメンバーも立ち上がって、握手したり、雑談をかわしながら、ビールを飲んだり、煙草をふかしたりする。
 自然に彼のポジションが決まって、誰かが靴で床をコツコツ打つか、誰かのフィドルの弓が上がるか、の呼吸で次の曲が始まる。
 一人で残された形の私には、「彼、知り合いかい?」って感じで声をかけてくる人もいる。もう仲間内の感覚なので、日本人が一人混じっていても気にならないようだ。
例えば、バンドのメンバーと懇意になってあちこちライブハウスへ行ったりするときの感覚と、この親密さは似ているんだろうなと思う。知り合いの知り合いは皆知り合い、みたいな。

 あるとき、彼のセッションを聞いているあいだに、大嵐になった。外では紫のプラズマが闇を引き裂き、神々しいばかりの光の幕が窓から店内にまでたなびいてくる。
思わず愛用のMinolta α7000をかまえて撮っていたら、「日本人の女の子(年齢に誤解あり)は雷を怖がらない」とえらくウケてしまった。「勇気をたたえて」、店主からビールのおごりまでついたという。
 そんふうに気さくに親しくなれる雰囲気がある。
 私が演奏するわけでもないのに、音楽の縁というのはおもしろいと思う。

セッション
セッションの一風景


 フィドルはヴァイオリンと違って、基本的にゆったりとは演奏はされない。響きを楽しむよりは、音律の違う音をどんどんつなげていく感覚。弓の上下運動は非常に速く、ボーイング(弓さばき)の速さを競っているかのような勢いだ。
 譜面はなし。セッションの人数も時によって違うので、即興要素もあるようだ。アコーディオンが入れば、フィドルとアコーディオンがかわりばんこに主旋律を受け持ったり、笛が入ればまた主旋律が変わったりする。
 『耳をすばせば』というアニメ映画で、「カントリー・ロード」を雫の歌に合わせてセッションするシーンがあったが、主旋律を担当する楽器の移り変わりはあんな感じだ。
曲の速度はもっと速いから、いったいどういう合図でやってるのかと不思議に思う。
 練習もなしに入り込んで、「やあやあ」という感じで曲を仕立ててしまう。確かにセッション・メンバーと知り合っていないと、一見さん飛び入りでは難しいだろう。

 彼のフィドルは年季の入ったもので、ニスの光沢は失われ、灰黄色の木地が見えていた。一度だけ弾かせてもらったが、弾き込まれた楽器特有の軽やかさがあった。

 ウィークデイはオックスフォードの出版社で大学の論文関係の本を編集し、家では得意の数学について「試験」のための勉強をする。
 奥さんとは離婚、娘と息子がいて、年に数回訪ねてくる。
 料理は自分で。といってもシンプルな仕立てで、オーブン料理が得意。
 片づけは最低にヘタ。
 家では薄汚れたトレーナー。パブに出かけるときはシャツにセーター、オフホワイトのハーフコートと、ちょっとこましに。
 シティ・セントラルのパブでお昼休みに会ったときは、イタリア製の黄色がかったネクタイに紺のピンストライプのスーツで、その決まりぐあいにびっくりしたこともあったっけ。

 ウィークエンドはフィドルをかき鳴らしにでかけるか。それともSt.ClementsのパブPort Mahonや郊外のArtist'sのアイリッシュ・フォーク・ナイトで聞き手となるか。声をかけた女の子とフォークダンスを楽しむか。

Port Mahon
Port Mahonでは金曜の夜などにアイリッシュソングが披露される。
開催日は店の玄関の張り紙にて確認を。


  そう、これが英国のフィドル弾き、トニー・Fとの出会い。

花ライン
TRANSIT POINT TOP


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Wrote 12 April 2002


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