小咄
Steal, Stole, Stolen
花柄


 さて、あなたがどこかの街のガイドブックを作るとしましょう。何を大切にしますか? 観光スポットやお店の紹介文? おしゃれな写真? おいしそうな料理のピンナップ? ホテルの説明や料金? 交通図?
いちばん大切にしなきゃならないのは、実は地図だったりします。
 当時、私が担当していたパリのガイドブックは3版目でした。前の版の地図を下に、新しくできた観光スポットや営業などで新しく増えたお店のポイントを、住所から見当をつけて落とし込みます。
その地図をもってパリに行き、1週間で実地でチェックして帰ってくる。2度目のパリ出張です。
 時は9月。日本からオックスフォードに留学していた旧友が「新学期が始まるまで暇だから、ちょっと旅行したいな」なんて言い出したのが、彼女にとっては運のつき!
 「9月のパリはいいよ〜。気候もいいし、ムードもいいし♪ 初秋のセーヌ川の河畔を散歩なんて、ロマンチックやと思わん? 5日もあったら、主なところ見てまわれるし」
 こうして、彼女の貴重な休暇はパリで4泊5日と決まりました(ふふふ)。

 「Bienvenue à Paris!」(ようこそ、パリへ!)
 コンコルド広場裏手のパリ事務所に彼女を迎え、早速広げたのは地図。
 「オペラ座とかルーヴル美術館とか行くやろ。その時に、この地図のこのポイントにこの店あるか、見てきてくれへん?」
 「店があるか見てくればいいわけ?」
 「一応、店や美術館なんかの建物の玄関の場所やね。見て、違ってたら地図に赤字(訂正)入れてくれると助かるわぁ」
 うやむやのうちに巻き込まれた彼女と分担して、二人三脚の地図チェックが始まりました。
彼女に渡す地図はオペラ座界隈とか、シャンゼリゼ通りとか、ルーヴル美術館周辺とか、観光地を主に。私はシテ島とか、モンパルナス、モンマルトルや郊外のラ・デファンスの辺り。とりあえずは、考えてお願いしましたよ。アルバイト代ももちろんお払いしました。
それでも友情を利用してるっておっしゃる?…友人というものは利用するものではないんですか? え、違う?

 彼女のパリ滞在は正味3日間。10時から16時まではそれぞれスケジュールと地図チェックのノルマを果たし、17時くらいに落ち合って、薄暮のパリの街を案内するというパターンが定着。
 セーヌ河のそばで待ち合わせて、夜のバトー・ムーシュに乗って、川面から眺めるコンシェルジェリやオテル・ド・ヴィユ、オルセーなどの建物群。暖色の照明に浮かび上がるその姿は、昼間とは違う艶かしさを感じます。パリの建物は、ロンドンの建物と比べて女性的だなぁと思えます。橋の下をくぐると、橋や河畔に初秋の宵闇を楽しむカップルがいっぱいで、これまた『パリの恋人たち』の風情。
夜風に吹かれながら、トロカデロ広場から光に包まれたエッフェル塔やアンヴァリッドの夜景を見おろせば、計算された幾何学的な美しさに感動します。
バスティーユ広場の閉店間際の閑散としたカフェでカルヴァドスとチョコレートで一杯。オープンエアの席は私と彼女の貸し切り状態。店の中には常連らしい初老の夫婦連れやおじさん同士が会話に興じています。ギャルソンの応対も親切で、「ça, c'est Paris!(サ・セ・パリ! これぞ、パリ)」の一時です。
これほど充実した観光ができたのも、時間が限られていたからこそだと思います。
 そして私の手許に戻ってきたのは、見事にきっちりと赤字でポイントが書き直された地図4枚。彼女の方がよほどに几帳面で何をさせても完璧、それは元、同じ職場にいたのでわかっていました。地図の確認作業には、とにかく正確さが重要。だからこそ、彼女がパリに来てくれたのは本当に大ラッキーだったのです。
1度目の4ヵ月間のパリ出張で知り合った元スタッフにも彼女を紹介したりして、充実した日々でした。私はですね。

花ポイント

 彼女が来て4日目。この日は土曜日で、翌日の午後に一足早く彼女は英国に帰る予定でした。
せっかくのパリなのだからと、元スタッフや知り合いが、サンタンヌ通りの日本料理店で“打ち上げ”をセッティングしてくれました。
「18時に来てくださいね」
地下鉄ミュゼ・ド・ルーヴル駅から出ると、いきなりの雨。紗がかかったように、風景がぶれるほどの大雨です。しかし、雨宿りをするにも、待ち合せ時間が迫っていました。
私はコートのフードをかぶり、彼女はウエストポーチから三つ折りの折り畳み傘を取り出しました。
決死の覚悟でどしゃぶりの中を飛び出し、広い通りを渡ろうとしました。
ちょうど信号が青の点滅。走って渡り、振り向けば、なんと彼女は通りの向こうに置いてけぼり。
近くの建物の軒下に身を寄せて雨を避け、私は傘をさして信号を待つ彼女を見ていました。
そこへ、傘に入れてくれというようなジェスチャーをしながら、ラテン系の女の子2人が彼女の傍に飛び込んできました。遠目にも、髪も服も濡れそぼっているのが見えます。
彼女を挟むように2人が並んで、傘の下は3人でぎゅうぎゅう状態。
彼女が私に肩をすくめて、笑ってみせました。私も肩をすくめて返しました。

 そこへ、バスがやって来て、私と彼女の間を一瞬遮り、信号の先にある停留所に止まりました。
2人の女の子は「ありがとう」という感じで頭を振りながら、バスに走って乗り込みます。
視線でそれを見送って、青に変わった信号を渡ってきた彼女。
その間、約4分。
雨は小降りに。
「何やねん、この雨。夕立ちかいな、今頃」
軽口をたたきながら、私はフードを降ろし、彼女は傘をたたみました。
「あれ、ポーチが開いてる?」
「え!? そんなん開けっ放しにしときなや。危ないやんか」
「してないよ。傘出した時にファスナー閉めたもん」
ウエストポーチを覗き込んで、固まる彼女。
「サイフがない!」
「え〜!!」
他の人なら「忘れてきたんとちゃうん」「どっかに他のところにしまっとんちゃうん」となりますが、几帳面な彼女に限ってそんなことは考えられません。
あ、これは最悪の事態ってヤツ…。
「私のサイフ、スられた…?」
「…そやな。あの2人組が怪しいな。傘出した時には、ファスナー閉めとったんやろ」

花ポイント

 打ち上げ会場の日本料理店に駆け込んだ我々を、「お待ちしてましたよ」とにこやかに迎えてくださるご主人。
息せき切って起こったことを説明し、「どうしたらいいでしょう?」。

 そのころには集まった友人たちから、口々にアイデアが出てきます。
「とりあえず警察へ行こう、付いていってやるよ」との申し出を受け、我々とあと2名で近くのルーヴルの警察署へ。
しかし土曜日のうえ、18時を過ぎていたので?、閉まっていました。
仕方がないので、日曜日も開いているレ・アルの市警察に明朝行くことに。その頃には、最初のショックもおさまり、少しは頭が働くようになりました。公衆電話から、クレジットカード会社に連絡。とりあえずカードを止めます。
銀行にも電話して、キャッシュカードも使用停止に。
こういう時のために、カード会社の電話番号とカード・ナンバーは必ずどこかに書き留めておくのが教訓です。
クレジットカードの連絡先は彼女が手帳に書いてました。キャッシュカードは、私と同じ銀行のモノでしたから、これも解決。
どちらも日本人スタッフが応対してくださり、同情いただいたのがありがたかったです。…ちょっと待て、何で私が電話かけてるんや(笑)。
その日はそのまま打ち上げに突入。お料理もおいしくて、私は楽しみましたけど、彼女は気もそぞろの様子でした。

 会が終わって事務所に戻った彼女と私。いい加減酔っている頭を振り振り、「供述書」作成に取りかかります。
「何時に、どこで、誰が、誰に、何をされた」のまずは5W。彼女の状況に、私が見たことを付け加えていきます。
日本でも警察にはご縁のなかった2人。当事者の彼女はフランス語がわかりませんし、私も読み書き、日常会話はともかく、警察でまともに話せる自信など皆無でした。
誤解のないよう、そして時間を無駄にしないよう、事実をわかりやすく、きっちりまとめます。
こういう時にかぎらず、英語学校との交渉ごとやホテルの予約などにも、希望を紙にまとめるとスムーズに事が運びます。
ともすれば、酔ってよよよよ〜と横にそれるペンを握りしめ、紙を何枚か無駄にしてやっと書き上げました。
書いているうちに、私の目の前で起こったという事実に無性に怒りがこみあげましたけどね。スリにも自分にもムカムカムカ。

 ヤられたのは、まずお金、クレジット&キャッシュカード、学校のIDカード、そして鍵。パスポートは無事。
お金については、地図チェックのバイト代を明日払う予定だったので、月曜日に英国で下ろすまで当座はOK。
問題は、オックスフォードの彼女のホームステイ先の家の鍵。
「供述書」のために盗まれたものをチェックしていて、それに気づいた彼女は再びパニック。
電話をかけ、ひたすら謝って、鍵を替えてくれるよう、その家にお願いしていました。
その家の方も親切な方々で、「パリのスリがオックスフォードまで来ないわよ」といいながら、鍵を替えてくれたそうです。彼女が「代金を払う」と申し出ましたが、「いいよ、いいよ」と言ってくれたと、後に聞きました。

花ポイント

 次の日、ホテルを引き払った彼女と一緒にレ・アルへ行きます。ユーロ・スターの発車時刻が迫ってますから、ゆっくりはできません。
「どこだ、どこだ」と急ぎ足で探し、ようやく発見。
しかし入り口の周りがバリケードで囲まれています。
そのうえ、ヘルメットに防弾チョッキのおまわりさんがいっぱい。
バリケードの隙間から入り込むと、途端に「こらこら、入るな!」とお声がかかります。
「サイフを盗まれたので、届けにきた」と言っても、「今は入れない!」の一点張り。

 ここで届けて、ある書類をもらわないと、カードの再発行などができません。
「ここ警察でしょう」とかモゴモゴ言っていると、背広を着た人がバリケードの隙間から中へ入っていきます。
思わずその人の後ろについて中へ。
ドアを開けた彼の後からすり抜けるように入り込むと、彼は驚いたように振り向いて「なんだ?」。
明るめのコバルトブルーのスーツに、薄いピンクのシャツ、イタリアっぽい赤や黄の原色使いのネクタイ。身長175cmくらい、灰茶に白髪が混じり、丸顔は日に焼けています。
ドラマでよく見る、ちょっとインテリめの、でも人のよさそうな刑事という雰囲気です。
「サイフを盗まれたので、届けに来た。今日パリを離れるから、今聞いてもらわないと困る」

 我々の顔を見てちょっと考え込み、彼は「ついてこい」とアゴをしゃくります。素直についていくと、行き着いたのは短い廊下みたいなところ。そこに置かれた簡単な木の机とイス。
イスに腰掛けた彼は「何があったんだ?」と聞き、私は「供述書」を取り出して渡しました。
目を通した彼は一言、「これは見つからないね。カードは止めた?」。
「止めました。鍵も付け替えるよう家主に頼みました」
「うん、お金も鍵も戻ってこないと思うけど。これに連絡先と、この書類を書いてくれ」

 書類には「Perdus」の文字。あぁ、やっぱり「遺失物」になるのね。
と思いつつ、書類を書き込めば、彼がサインをし、受付印を押してくれました。
この「遺失物証明書」は、クレジット&キャッシュカード、学校のIDカードの再発行、もしパスポートが盗られていたら、その再発行にも必要です。
「まぁそれでも、このスリは無駄骨だったな。現金も大して入ってなかったようだし。カードも止められちゃしょうがないし」
(フランスフランは最低限しか両替えしてなかったからね、彼女)「カード、大丈夫でしょうか?」
「こいつら、カードのことまで考えてないと思うよ。現金が目当てだと思うね。鍵もカードも運河かどこかに捨ててるんじゃないかな」
「気をつけて帰れよ」のご忠告はごもっとも。
彼女と二人「Merci beaucoup、Monsieur!」の合唱で、署を出ました。
外に出たとたん、なんか気が抜けてへたり込みそうに。
レ・アルから北駅まで行き、彼女を見送りました。


 パリの警察はいつもバリケードを築いているかって?
 まぁ、入り口付近が柵で囲まれているのはちょくちょく見かけました。でも、今回厳しかったのにはわけがあります。
 前日、打ち上げに行く前に、凱旋門付近を地図をチェックしながら歩いてました。
地図と店の玄関位置に集中していたら、突然「離れろ!どけ!」と怒鳴る声が。
顔を上げると、目の前に警官が立ちはだかり、元来た道を戻れと言います。
どこからか装甲車やパトカーが現れ、あっという間に凱旋門の辺りのシャンゼリゼ通りが封鎖されました。
あれよ、あれよの素早さです。
聞けば「爆発物が、ゴミ箱に仕掛けられた」とか。
しばらく封鎖が解けそうになかったので、3ブロックほど離れ、大回りして凱旋門の向こうへ抜けました。
 そんなことがあったので、警察も厳戒態勢だったのですね。

 今、この話を書きながらちょっと残念に思ったのは、あの刑事さんの名前をチェックし忘れたこと。聞いておけばよかったですね!
欧米の方のサインは、「読むな」って言ってるみたいにミミズののたくり、はたまた子どもの落書きです。おかげで名前はわからずじまい。う〜ん、無念です。




TRANSIT POINT TOP


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Wrote 17 September 2001
Rewrote 3 October 2001

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