小咄
「たぬき」求めて三千里!?

ルーアンの大時計
ルーアンの大時計
ルーアンはジャンヌ・ダルク火刑の街
 最初の欧州旅行は15年も前になります。当時、大学院でボードレールなんぞを研究していた私は、教授の指示の下、同じゼミの友人と共に「ボードレールの足跡」を辿っていました。
 パリからルーアン、ル・アーヴル、そしてオンフルールへ。これはボードレールが母親を訪ねた行程です。彼はマザコンでしたから(私感…笑)、女性と喧嘩したり、落ち込むようなことがあると、ちょくちょく母親の元へ駆け込んでいたんです。
 オンフルールは、エタンプと並んで印象派の画家たちが好んで描いた小さな港町です。ル・アーヴルまでは列車で行けますが、ここからオンフルールへはバスでしか行けません。
 ル・アーヴルに宿を確保し、いざオンフルールへ。
 ボードレールの母親が滞在していたオテル・サン・シメオン、rue de Baudelaire(ボードレール通り)、イギリス海峡や、湾をはさんでル・アーヴルまで見渡せる丘の上の教会。
色とりどりのヨットが群れる波止場、一見サイロのようなごつい木の塔をもつサント・マリ教会は、絵画でお馴染みの光景。印象派の画家が活躍した頃と変わらない風景に、ここだけ時間の流れがたゆたっているような…。
 ついでにエリック・サティの生家も見て、rue du Vend(風通り)を海風に煽られながら歩いていました。
 普通に歩いて速い私。普通に歩いても遅いのに、キョロキョロしているからよけいに遅い友人。角を曲がり、海に向かって風景が開けたところで、彼女が追いつくのを待ちます。
 う〜ん、いい風、いい景色〜! 陽光を浴びて波がキラキラ輝やいています。
 ところが、連れが一向に角を曲がってきません。
「何やっとんねん」
角まで戻って、来た道に視線をやれば、なんと彼女は道端に止まった車の誰かと話しています。
何だ、何だと戻ると、
「あ、戻ってきた。彼女、一緒に旅してる友人です」
戻ってきた、ってアンタ。にしても、車の中のお二人、どなたさんですか?
「僕ら、日本企業の駐在員なんですよ。いや〜、この辺で日本人なんて見ないから、ちょっと声かけてみたんだけど。懐かしいな〜。どうですか?うまいモンでも食べませんか?」

 旅は道連れ、世は情け。旅での出会いは大切にしたいもの。
向こうも心得たもので、「○○○、ご存じですか? オーディオ関係の機器を作ってる会社なんですが」と名刺をくれます。
「あぁ。うちの弟、オーディオ・マニアなんですが、そちらのイコライザー使ってます」
「イコライザーですか。アンプはサンスイとか?」
「そのとおりです」
「あ〜やっぱりねぇ。弟さん、よくご存じですね〜」
ちょっとした確認の軽い会話のジャブを交わしながら、彼らお薦めのレストランに到着。
港町ですから、と目の前にでんっと置かれたのは、Fruits de mer(フリュイ・ド・メール)の大盛りです。
Fruits de mer、そのまま訳せば「海の果物」ですが、「海の幸」という意味。貝、ウニ、エビ、カニなどの魚介類(魚類は含みません)を指します。
新鮮な生のムール貝、イワガキ、エビなどが満載され、驚嘆の溜息をつかせた大皿も、男2人女2人の旺盛な食欲の前にはひとたまりもありませんでした。

「これからどこへ旅するの?」
「今晩はル・アーヴルに泊まって、明日はパリへ戻ります」
「なんだ。僕らも明日、パリの事務所に行かなきゃならないんだけど。じゃあ、僕らの車に乗ってく?」
「え、いいんですか?」
「いいよ、行き先同じだし。電車代が浮くでしょう?」
この時は、“大”のつくド貧(いつだってド貧なんですが)旅行でした。
ルノー25(ヴァン・サンク)で、北部フランスを一気に南下。うむ、なかなか魅力的。
電車代が浮くのもけっこう、けっこう。

「パリに着いたら、またあそこ行きましょか?」
「あぁ、いいな」
「え、あそこってどこですか?」
「僕ら、よくパリの事務所に行くんだけど、行ったら必ず寄る店があってね。そこのラーメンがメッチャおいしいんですよ」
「え〜、教えてください」
「だったら、明日連れてったげますよ」

「じゃ、明日朝9時にサント・マリ教会の前で」
仕事があるからという彼らと別れ、オンフルールの博物館などを見学して、ル・アーヴルへの帰路につきました。
夕日に染まる湾は本当に絵のよう。
…だったのですが、連れが市場で食べたパテにあたったらしく、ノンストップ高速バスの中で酔ってしまい…ちょっと悲惨でした。
教訓、ヘンなものを買い食いするのはやめましょう。パテって、中に何が入ってるかわかりませんからね。

サン・シメオン
ボードレールの母ゆかりのサン・シメオン

さて、翌朝。
9時にオンフルールに着くには、7時55分ル・アーヴル発のバスがちょっと余裕でいい感じです。
45分に停留所に着いて、バスを待ちます。
季節は3月。2月上旬の極寒にパリに着いてから、徐々に季節の移ろいを感じてきました。
イースター(復活祭)を過ぎた今は、日毎に濃厚になる春の気配がわくわく気分を連れてきます。
暖かな日光を浴びながら、バスの到着を今か今かと待ちます。この停留所が始発なので、早めに来るはず。
55分、来ません。でもまぁ、相手はヨーロッパです。“時間どおり”に物事が起こらないことを、いちいち怒ってちゃやってられません。
8時10分、いよいよマズい。
「どうしよう? ストとかやろか? 駅に行って聞こうか?」
2人でル・アーヴル駅に駆け込み、何気なくついっと構内の時計を見上げました。
9時13分!?
「ちょっと待って。パック(イースターのこと)って先週の日曜日やったっけ?」
「うん」
「あか〜ん! 今日からサマータイムや」
「あ〜!!」
なんと昨日は1年で唯一の「1日23時間」の日だったのでした!
「どうする?」
「どうするって、しゃーないやん。連絡のつけようがないやんか。私らが行かんでも出発しはるわ。向こうも仕事あるんやし。こっちに住んでる人やから、きっとサマータイムに引っかかったと思ってくれはるわ」
「え、じゃあこのまま?」
「とりあえずパリへ戻ろう。後のことはパリで考えるわ」

気もそぞろに列車に飛び乗り、一路パリへ南下します。
リュクサンブール公園前のパンションに戻り、荷物を置いて一息。
まだ昼間で、何かするにも時間は十分…。
おもむろに地図を広げれば、彼女も寄ってきます。
「オペラ座からすぐや、いうてはったな」
「何が?」
「“パリに来たら必ず行くラーメン屋”」
「あぁ、うん。え、まさか?」
「その、まさか。オペラ座から同心円を描きながら歩いたら、見つかる可能性高いやろ」
「そんなうまく見つかるかなぁ。それに見つかっても、会えるとはかぎらんでしょ」
「それでもええやん。から振りでもラーメン食べれるよ。いずれ謝りの手紙書くけど、このままにはしたないわ」
「わかったわ。つき合うわ」

ヴァヴァンから地下鉄でオペラ座へ。地図をたよりに同心円を描くよう道筋、街角をチェックしていきます。
さすがに5周目でお疲れモード。3月の太陽は早くも傾きかけています。
昼も食べていない我々は、近くの屋台でクレープを買って休憩することに。
選んだのはCompote de pommes(リンゴのシロップ煮)。暖かいクレープに冷たいコンポートの味わいが絶妙。
この時のクレープくらい美味しいクレープには、未だお目にかかっていません。

少し元気を取り戻して、探索再開。
入り込んだのは、ちらほら日本語の見える通り。から振りの予感半分、期待半分に通りの両側の店をチェックします。

「あれ、ラーメン屋あるよ」
「『たぬき』…そうそうそんな名前やった!」
外から店内を覗きこめば、
「ほら、カウンターのそばに、まんが雑誌が置いてあるってゆうてはったやん。あそこにあるで」
「ほんまや。ここやわ。入る?」
あの2人の姿は見えませんが、ここまで来たら食べずに帰れるもんですか!
「入ろ入ろ。夕食はラーメンや(笑)」

「いらっしゃい!」
入り口をくぐれば、威勢のいい声。
「そちらへどうぞ」
狭い店内は、日本人のサラリーマンでけっこう席がうまってます。
入り口近くのカウンター席に、入り口に背を向けて座る格好に。
「しょうゆラーメン」
「みそラーメン」
注文して出てくるのも早い早い。さすが、日本の料理屋さん!
ツメの垢でも煎じて、パリのカフェやレストランの給仕に飲ませたいよ。

ずるずるずる…ぞっぞっぞっ。
空腹で歩き疲れていた上に、久しぶりのしょうゆの味!
長い黒髪をかきあげながら無我夢中でがっつく、妙齢(当時)の女性2名。
「今まで高い日本食に手が出せなかったのだな」
眺めるサラリーマン諸氏は涙したとかしなかったとか。

お客さんが出たり入ったり、背後の入り口は開け閉め激しく、その度に外から寒い風が吹き込んできます。
「こんにちはー」
「久しぶりー」
「あ、いらっしゃい!」

「!!!」
麺をかき込んだまま、その瞬間、凍りつきました。
そりゃ、会いたいから探したのですが、会えるとは思っていなかったのもまた事実。

入ってくる2人に、「こんにちは」と声をかけると、向こうも驚愕の表情。そりゃそうでしょう。
「え、どうしたん? ここ、知ってたの?」
とカウンターの隣の席に座ってきた2人に、事の顛末を話します。
「いやー、もしかしてサマータイムに気づいてないかと思ってたんよ」
「昨日、言っておいたらよかったって、話してたんだ」
さすがわかってらっしゃる。
「それにしても、あれだけの手がかりでよく探しあてたね」
「もう会ってお詫びしないと、の一念で探しあてました〜」
とさり気なく売り込み。
「僕らも会えてよかったよ。サマータイムのせいかなとも思ったけど、なんか一緒に来たくなかったのかなーとも思ったりしてたから」
「そんなことないですよ!」

4人でラーメンをすすって、その後は件のルノー25で宵闇のパリをドライブ。
オテル・ジョルジュV(サンク)のラウンジでカクテルで乾杯。
イルミネーション輝くエッフェル塔をトロカデロ広場から眺めたりしました。
パンション前まで送ってくれて、「では、またね」。

旅にあれば不思議は道連れ。
この時から、多少のことでは驚かなくなりました。むしろ不思議を心待ちにしています。
不思議といえば、「1日23時間」と「1日25時間」のサマータイム・トリックには、これ以降、二度と引っかかりませんでした(笑)。



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Wrote 4 October 2001

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