Dairy for Paranoid

MARCH 2006

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JANUARY  FEBRUARY


06.3.30 Thu.  夜桜を堪能しています。         0:23
 事務所からの帰りがけ、遊歩道の桜の下をぶらぶら歩きました。夜桜を堪能。やはり夜空にほのかに光る桜は色っぽいですねえ。

  夜桜2  夜桜3

06.3.29 Wed.  酷評ごめん! 映画『ブロークバック・マウンテン』 4.2 5:30
 公約どおり『ブロークバック・マウンテン』を観てきました(笑)。
 「この映画、最高!」と思っていらっしゃいます方は、以下はお読みにならぬが吉です。ご気分を害されるかと存じます。完全にネタばれしておりますので、未見の方もご注意くださいませ。
 ご覧になります方は、カーソルを置いてください。

 ★「『ナルニア国物語』に引き続き、また微妙なモノを観てしまった」というのが率直な感想です。
 この映画に関する前情報といえば、せいぜいゴールデングローブ賞のドラマ部門作品賞・監督賞・脚本賞・オリジナル主題歌賞を獲得し、アカデミー賞で監督賞・脚色賞・音楽賞を受賞したということくらい。あとは同性愛を扱った作品という知識程度で観に行きました。今もその情報量に変わりはありません。映画評も、原作も読んでません。そのうえで個人的に思ったことをつらつら書かせていただきます。

 まず思ったのは「なぜフィクション映画でドキュメンタリー作品を作らねばならなかったのか」ってことです。私は、フィクション映画には日常ではとうてい見ることがかなわない感動や、メッセージや、物語があってほしいと思っています。『ブロークバック・マウンテン』が、あるふたりの男性とそれぞれの家庭のドキュメンタリーと銘打たれていれば、わりと自然に観て、泣けたかなあと思います。
 でも「これってフィクションですよ」と言われると、「なぜフィクションとして、この映画を作る必要が?」と思っちゃうわけです。

 表現が難しいんですけどね。そして、表現が難しいってところが、この映画のすごいところなのかもしれないと思ったりもするのですが。……扉を次々と閉められていく感じがするんですよ。
 イニスはアルマと結婚するだろう→結婚した
 ジャックもまた誰かと結婚するだろう→結婚した
 イニスとジャックは再会すれば、関係を復活させるだろう→復活させた
 アルマは夫を試すだろう→試した
 アルマはイニスと離婚するだろう→離婚した
 イニスとジャックは二人で暮らしはしないだろう→暮らさなかった

 一般的な考え方において「こうなるだろう」と思える筋道がことごとくはまっていく。定石どおりというんですかね。意外性がないというんですかね。意外性のないまま、救いのない方向へ予定調和のごとく引きずられていっちゃう映画なんですね。

 意外だったのは、ジャックが亡くなったことくらいかな。で、ここでもひとつ。ジャックがゲイ・バッシングで殺されたのなら、イニスがラリーンの話を聞いて思いついちゃったイメージという形ではなく、もっとはっきり描くべきだったのでは。間違いなく、それこそがイニスが脅えていたことなんでしょう。「同性愛を忌避する環境」に対して小声でももの申したいなら、その部分こそ誤解のないよう描かれるべきところだったと思うのですが。

 アメリカの社会や1960、70年代のセクシャルタブーがどれほどのものだったのか実感がないので、感動できない部分もあるのかもしれません。
 とりあえず観ているうちに拳固を握らされるんだけど、どこにその拳固を振り上げたらいいのかわからん映画というのが印象です。

 メッチャ個人的なことを書けば、「イニスがなあ……」。なぜこの男は自分が不幸なままでいようとするだけでなく、周りもことごとく不幸にしていくんだろう。
 彼を私の前に呼んで、じっくり「浮気の仕方」について教えてやりたいわ。奥さんのいる家の前で、他の人とキスするな。釣りに行くと言って出たからには、一応、釣り竿とビクくらい下ろして見ておけ。ジャックとつき合うなら、かえってアルマに対して思いやりと細やかな関心をもって接するべき。なんといっても、奥さんなんだから!
 アルマをないがしろにするイニスを、マジに殴りたくなりました。浮気する男はそれなりの器量をもっておけと言いたい。それがないなら、はなっから浮気なんて人の気持ちを踏みにじるような真似、せぬが吉。

 幼いころに見せられたゲイ・バッシングのトラウマを克服できないまま、ジャックとつき合うんだったら、ほんとメキシコでもどこへでも行けばよかったと思う。トラウマさえ克服できれば、ジャックの実家で二人で牧場をやるという生活もあったはず。それこそジャックが望んだように。
 ここで私が引っかかるのが、ジャックがゲイ・バッシングで死んだのか、ラリーンが言ったとおり事故だったのかってこと。事故だったのなら、二人で牧場をやっていくという選択肢も有効だったってことだよね。父親の所業をイニスがどう消化するかだけが問題だったってことでしょ。ゲイ・バッシングだったのなら、イニスの心配は大当たりってことで、いっしょに暮らすにはけっこうな覚悟が必要だったのねと、まあ、少しばかりイニスに同情できる。
 このあたりがボヤかされてるのが、「つまり、何が言いたいの?」って思ってしまうところなんだな。

 結局、イニスの「好きだけど、世間が怖いんだ」「たまに会うだけでいいだろ」という手前勝手な「理想」に振り回されただけのジャック、アルマ、ウェイトレスの女性、そしてラリーンも、ほんとお気の毒というほかない。自分を幸せにできない男は、他人を幸せにできるわけがないって見本だなあと、映画を観ている間中、思ってました。
 ……まあな、ふつうの男にも、そして女にも、人を愛するという単純かつ本能的なことで、「覚悟」なんてできねえよな(乾いた笑)。

 なので、最後の重ね(なおし)た自分とジャックのシャツのシーン、「ジャック、永遠に一緒だよ」のセリフ……あのなあって、頭抱えたくなっちゃうのね。あんたは自分を苦しめた者が逝ってしまって、それでようやく自分の傍で愛せるのですね、みたいな。
 せめて「ジャック、こんなに、こんなに俺のことを愛してくれていたなんて、俺、わからなかったんだ!」くらいのこと吐いてくれたら、私は泣いたかもしれません。

 私は「愛とは自分も他人も幸せにすることであってほしい」という超幻想を大切にしているので、こういう予定調和的八方塞がりの、それもフィクション映画はちょっとイヤンな感じです。

 同性愛をテーマにしていると言いつつ、内容は男女の浮気や不倫といっしょってところで、私にはお昼の奥様番組の「うちの夫が浮気をしている」という悩み相談とか、「好きな人がいるけど、両親の勧めで他の人と結婚することに」という陳腐なドラマにありがちなシチュエーションとしか思えなかったり。どのあたりに同性愛ならではのドラマがあるのか、わかりませんでした。いや、同性でも異性でも「恋情」が絡めば、悩みの次元はいっしょってことなのか。
 なんか、肝心なとこ読み取ってなくて、ごめん。

 と、ここまでさんざんに言っておいてアレですが。
 実は、観た人がそれまでどんな恋愛をしてきて、愛についてどう考えているかで見方の変わる映画だろうなあと思いました。会えないのがもどかしい。その顔を見たとたん、むしゃぶりついて、キスせずにはいられないほどの情動。世間に許されないと知りながら、それでもどうしても断ち切れない情の絆。私には残念ながら、そういう恋愛の経験がないので、ただただ不幸なまま閉塞していく愛っていうのが「わかんねえ」のだろうなあと思います。この映画に衝撃を受け、感動した方というのは、きっと生きていれば一度はしてみたいと思う、そういう恋をなさった方なんだろうな、と。
 この映画は、観る人によって巨大にも、矮小にもなる作品。そう思えば、めったなことは書けないわねえなんて、苦笑してしまう自分がいたりします。


06.3.29 Wed.  酷評ごめん! 映画『ナルニア国物語』  4.2 5:10
 『ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女』を観ました。以下、『ナルニア』ファンの方、映画を観て「よかった」と思われた方はご覧にならぬが吉です。ご不快になられるかもしれません。
 ご覧になる方はカーソルを置いてくださいませ。

 ★なぜ私が原作をあまり覚えていなかったか、よくわかりました。私の趣味ではなかったからだ(笑)。C.S.ルイスは好き。でも『ナルニア物語』はあまり感銘を受けなかったと、そういうことだったんですね。

 なにが気に入らないって、予言や魔法の言葉に世界が縛られているという設定がダメだったんだと、映画を観ながら思い出しました。
 特にSFとファンタジーは、作家の頭の中の世界が舞台となるので、それを読者にわかりやすく説明するためにも、その世界の限界と法則の設定というのが重要だというのは理解できます。なんでもありの世界だからこそ、なにかの縛りがないと、読者は荒唐無稽で理解不能という印象をもってしまいますから。
 でも、それが予言や創始の「言葉」ってのが気にいらない。欧米人は「予言」が好きだよなあ。予言で示された王とか、救世主とか、戦争とか、平和とか。「選ばれし者」だの、「祝福を受けし者」だの。……日本人にも好きな人、多いですけどね。
 「ハリー・ポッター」シリーズも実は「予言」の要素をもってるんですが、それが今まではことさら重要な要素になってなかったので、個人的に許容できたのですね。
 で、『ナルニア国物語』があかんのは、すべてが「予言ありき」で成り立っているところ。個人の努力によって得た成果も、予言がそう言ったおかげって解釈なのねって思ってしまうんですよ。ひねくれ者だから(笑)。物語の成り立ちを見れば、「予言」がなければ、箪笥からナルニア国に来た四兄弟が魔女との戦いに関わることなどありえないから、必然をつくるためのファクターとして設定したということはよくわかるんです。でも私は、異世界に転がりこんだ四兄弟が「アダムの息子、イブの娘」としての特性あるいは各々の性格あるいは事象に対する人間ならではのリアクションで、その世界の住人に認められていくというほうがいいなあと思っちゃうんですね。

 もし私が『ナルニア国物語』という作品をよく覚えていたなら、観に行かなかったであろう映画ということで、なにやらあちらこちらに「ごめんなさい」な気分です。
 ……でもでも『Shadowlands(邦題:永遠の愛に生きて)』は好きなんですよ! 観るたびに泣くんですよ、ええ。

 映画自体のことを申せば、ナルニア国独自のクリーチャーはよくできていたと思います。とくにアスラン様は「そうそう、アスランはこうでなくっちゃ」と納得の存在感。人間なんかよりよほど崇高です。対する魔女ジェイディスも冷酷な冬の魔女そのままで、すんなり受けとめられました。演じるティルダ・スウィントンは『コンスタンティン』のあのステキな大天使ガブリエル様だったのですねv どうりで既視感が!
 というわけで、副題の「ライオンと魔女」たるお二人はたいへんステキでした。

 あかんのは、もっとも重要なペベンシー四兄弟や。「ああ、一生懸命演じてるな」と思えるのはせいぜいルーシーくらい。せっかく「予言」が「英雄王」だの、「正義王」だの、「癒しの君」だの名付けてくれてるんだから、せめてそれに見合った、なにかしらのオーラのようなものがほしかった。
 同じ子役でも、「ハリー・ポッター」の三人組などは演技に光るものがあるんですよ。子どもなりに一生懸命、物語世界を理解して、ハリーやロンやハーマイオニーになろうという心意気を感じるんです。でも『ナルニア』の子どもたちは「あんたら、日常生活の延長で演じてますか?」と突っ込みたくなる感じ。間の取り方、セリフの言い方が未熟だ。ピーター・ペベンシーじゃなくてウィリアム・モーズリー君、スーザン・ペベンシーじゃなくてアナ・ポップルウェルちゃんなんだな。そもそも兄弟姉妹と思えないところが致命的。
 特にピーターとエドマンドの確執は、間違いなく『ナルニア国物語』の柱となるテーマですよね。それなのに、演技で兄弟だと納得させてもらえないものだから、最後まで確執ドラマがギクシャクギクシャク。クライマックスのあのシーンで感動するはずが、「ああ、はいはい、そうなるよね。この展開だったらね」という、ひじょうに生暖かい気持ちになってしまいました。

 ふつうの子どもたちが、ふつうじゃない国に入りこんで、そこでがんばるってことがテーマなんだから、ふつうでいいんじゃないの?と思われる向きもいらっしゃいますでしょうが。ふつうというのは、映画世界の中でのふつうであって、21世紀の現実世界の空気をそのまま持ち込んでいいってことではないと思います。少なくとも、第2次世界大戦のロンドン空爆のさなかにいる子どものふつうであってほしかったな。「現実の戦争から逃げてきたのに、この世界で戦いたくないのお」という言い訳だけに、この時代設定があるわけじゃないでしょ。

 誉むるべきは、合戦シーン。あそこまできちんと戦術を踏んでくるとは思いませんでした。感心しました。あれがピーターによる作戦なのなら、そこに至るまでにチェスの腕を見せるとか、歴史とくに戦術・戦略に詳しいことを披露するとか、そういう挿話があれば、もっと納得して「おおっ! さすが長兄!」と思えたんですけどね。それがちょっと残念。

 というわけで、脚本が悪いのか、やはり子役の演技が未熟なのか。なにやらモヤッとする映画でした。でも、ちょっと第2作目に期待しています。1作目からどう変化するのか、観たいと思うので。


06.3.26 Sun.  さくら、さくら 2006          8:30
 朝早く、ぶらぶらと散歩に出かけました。遊歩道の桜が満開です。

  桜のUP  桜全体

 春の花々も花盛りです。

  花1  花2

 ついでに27日の桜です。

  桜全体
  桜ポイント

06.3.24 Fri. 「東京国際アニメフェア2006」レポ個人版 4.6 4:23
 3月23日、「第5回 東京国際アニメフェア2006」に行ってきました。東京ビッグサイトの東1ホールから3ホールまでの広い会場に、メーカーやアニメプロダクションのブースが250以上。それに加えて特設シアター、企画展示場、ステージが設置されていました。

 なかでも特に私の印象に残ったのは、スタジオジブリのブースで放映されていた『ゲド戦記』のプロモーションビデオです。映像やお話のつくり方が、アーシュラ・K・ル=グイン作品というより、しっかりジブリ作品になっているのは、今までも原作つき作品を独自のものに翻案してきたジブリらしいなあと思いました。
 大賢人ゲドが中心になるようですが、主人公としてスポットが当たるのは「影に追われる者」ことエンラッドの王子アレンですね。ジブリ作品には珍しく、終始、憂いに満ちた表情をした主人公です。短いプロモーションビデオの中で、なかなかヒロイックファンタジーの主人公として活躍してました。ときに流されたり、ときに捕われたり、ときに逃げたりしながら。
 彼に絡んでくるのが、顔に火傷の痕が残る少女テルー。『もののけ姫』のサン並みに気が強そうです。
 アレン役の声優は岡田准一v テルーは手嶌葵(てしまあおい/主題歌、挿入歌とも)、ゲドは菅原文太です。

 町並みの感じは『ハウルの動く城』っぽいです。ローマのフォロ・ロマーノの遺跡に北イタリアの建物を組み合わせたみたいな感じ。アンバランスな風景ですが、美しいですよ。
 本年7月の公開ということで、今からとっても楽しみにしていますv


 ジブリブースでは、フランスの異色アニメとしてディープに知られた『王と鳥 Le Roi et l'Oiseau』も紹介されていました。まさかここでこの作品に出会おうとは! 日本の「世界名作劇場」とか「アンデルセン物語」を彷佛させるような絵柄で(でも『王と鳥』のほうが古いですが)、かなりブラックな世界観が描かれます。……たしか、ちと後味が悪い作品だったと思うのよね。

 1952年にフランス初の長編アニメ作品として『やぶにらみの暴君』の名で公開され、1979年に『王と鳥』と改題されて完成したいわくつきの映画です。監督はポール・グリモー、脚本はジャック・プレヴェール&ポール・グリモー。そう、グリモーとプレヴェールというふたりの異才がタッグを組んだ稀有なアニメーションなのです。グリモーはフランスのアニメ作家として、プレヴェールは「枯葉」の詩人として、また映画『天井桟敷の人々』『ノートルダムのせむし男』の脚本家として有名ですね。原作はアンデルセンの童話『羊飼い娘と煙突掃除人』。
 こちらは7月29日からシネマ・アンジェリカで公開。たぶん観に行くと思います。


 動き回って疲れたので、会場中央の休憩所のベンチにへたりこんでいたら、お姉さんから「アンケートにご協力いただけませんか?」と声をかけられました。回答すれば、500mlペットボトルの「C.C.レモン」をくれるそう。「どうせしばらくへたれたいんだから、座っている間にアンケートくらい答えてもいいや」と、ボードに挟まれたアンケート用紙とペンを受け取りました。
 会場の照明が少し暗かったのと、アンケートの文字が小さかったので、目を眇めて眺めました。眼鏡かけるほどでもないしな〜という感じで。そうしたら、お姉さんが「あのう、日本語読めますか? 英語のほうがよければ、持ってきますけど」とおっしゃるのです。「いえ、大丈夫です(日本人ですから←心の声)」とにっこり答えました。
 ……外国へ行くと、必ずベトナム人か中国人と言われるのですが、まさか日本国内で外国人に見られるとは思わなかったデスよ orz。きちんとアンケートに答えて、「C.C.レモン」をGETしました!(笑)

 会期中に「東京アニメアワード2006」の受賞作品も決まったのですね。
 過去1年間に国内で放送・上映・販売されたアニメ作品が対象となる「ノミネート作品」では、劇場版『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』が「アニメーション オブ ザ イヤー」を獲得。
 優秀作品賞は、テレビ部門では『交響詩篇エウレカセブン』『ブラック・ジャック』『蟲師』が、劇場映画部門では『名探偵コナン 水平線上の陰謀(ストラテジー)』『機動戦士Ζガンダム −星を継ぐ者−』、オリジナルビデオ部門では『鴉 −KARAS−』『戦闘妖精雪風』、海外劇場部門は『Mr. インクレディブル』が受賞しました。 その他、詳細は「東京アニメアワード」のサイト(こちら)へどうぞ。

 フェア全体の感想は、「仕事サイト」のblogに書いています。こちらのサイトからリンクしていませんので、もしどうしても読みたいという方がいらっしゃいましたら、メールフォームなりでご連絡くださいませ。

06.3.23 Thu.  今宵も徹夜、決定か……。        2:58
 本日(3/23)11:30〜、東京ビッグサイトの「東京国際アニメフェア2006」ビジネスデーに取材に行くのです。でね、まだ仕事が終わらないのですよ。……また徹夜かいっ!

 徹夜すると、なかなか回復しないんです。もうそういう年齢なんです。勘弁してください>自分。ご利用は計画的に。→お仕事は計画的に。……がんばりまーす orz。

 家の前の遊歩道の桜並木が三分咲きですv 去年は家の前の1本だけが早咲き、早散りだったのですが、今年はどの木も同じくらいのチラホラぶりで、なんだか一気に開きそうな気配です。昨日の雨は冷たい雨だったので、ちょっと引き止めになったかな。無理かな。ゆっくり咲いて、ゆっくり散ってほしいのですけどね。

06.3.20 Mon.  おなかが空きました。          3:37
 友人が上京してきたので土曜日は遊び倒し、日曜日は二日酔いで寝倒したツケを今、払っているわけですが。
 本日(月曜日)は午前中から定期健康診断に行かねばならないのです。つまり前日21:00以降はモノを食べてはいけないわけです。……地獄だ。

 いつになく冷蔵庫が充実しまくっているというのに! 神奈川のめっちゃおいしいと評判の肉屋さんのソーセージとか、実家から送ってもらったいかなごの釘煮とか、とちおとめとか、そろそろ賞味期限が気になる煮豆とか、低血糖のお供ことアルフォートチョコ(小さいバージョン、大好きv)とか、土曜日に会った友人がもってきてくれたドイツ土産のナッツギッシリ入り板チョコ(でかい!)2枚とか、ホワイトデーにいただいた有名菓子店のチョコとか……。
 ああ、冷蔵庫の中から食べ物が手招きしている。いつもは貧相な冷蔵庫のくせに! いつもは食欲がないこともけっこう多いくせに! どうして今日という日にかぎって、お腹が減っているのじゃ。くうくうぐるぐる〜。

 ぐらぐらしてきた頭をかかえて、このまま朝まで仕事。そのまま寝ずに健康診断(寝てたら、絶対に時間に間に合わない)。わあ、結果が楽しみだわあ。
 そんなわけで、空腹魔人、水だけでがんばります!

06.3.19 Sun.  blogについて興味深い記事を発見     22:28
 以前にサイトやblogについて書きましたが。よりわかりやすく「blogを書くこと」について考察された記事を見つけました。こちらは「祭り」現象から、blogの怖さについて言及されています。

 興味のあられます方は、ぜひ御一読を。
 日経BP「デジタルARENA」 インターネットの危ない話

06.3.18 Sat.  久しぶりに痛飲しました。        23:56
 サイトの旅行記でもお馴染みの旧友Kさんが、ミュージカル観劇のために上京してきました。観劇後のKさんを新宿で迎撃(笑)。新宿の「魚のおいしい店。」ことJYU新宿店にご案内(10%ディスカウント券があったから)。ここのエイヒレとお刺身が大好きなのですv 特にエイヒレが美味しいの。エイヒレ目当てについ行っちゃうのvv(笑)
 まずは生ビール中ジョッキで乾杯! 昨年、長らく勤めた会社を退職して、ただ今、資格試験めざしてがんばっている彼女の波乱の1年について話を聞きながら、デカンタのフランス赤ワインに移行。もっぱら彼女がしゃべっているので、私は飲み役〜。相づちをうちながら、コクコクいってました。

 そのあと、新宿ライオン会館2Fのダブリナーズ アイリッシュパブヘ。昨日がアイルランドのセント・パトリックデイのお祭りだったので、今日もなにかサービスがあるかな〜と行ったのですが。ギネス1パイント900円→500円サービスは昨日で終了してました。ちょっとガッカリ。でもピッツァ・マルゲリータをつまみに、クリーミーなギネス1パイントを堪能しました。やっぱり市販の缶やビンのギネスでは、この泡!は味わえないのよねえ。
 お祭り最後のイベント、アイリッシュロックのライブがあったので、それも楽しんできましたv 音がガンガン響くので、おしゃべりには向かない環境だったけどね。

 彼女の本日の宿泊場所が、なんと元東京オリンピック村の建物を利用したユースホステルだというので、最寄り駅が同じ鉄道の沿線でもあったので興味半分で現地までお見送り。
 東京代々木ユースホステルの詳細はこちらです。広いのに出入り口1カ所しかないのね。そのうえ、たくさん宿泊棟があるので、どこが受付かわからなかったわよ。でも思ったよりきれいで、ちょっと狭いけど、女性ひとりで1泊、2泊なら十分という感じ。バス・トイレは共同だけど、バスは同じ棟にある小さいお風呂か、他棟にある大浴場が使用できるのね(23:00まで)。レストランや喫茶店も敷地内にあるので、営業時間さえ気をつけていれば、けっこうユースフル。
 これでビジター4000円なら十分って思いました。ユースの会員なら3000円。鍵のコーション(保証金)2000円が必要ですが、これはチェックアウトのとき、戻ってきます。
 どこかの高校や大学のクラブ活動っぽい若者がたっくさん敷地内を闊歩してました。合宿のノリでワイワイ楽しそうで、ちょっと昔日を思い出しました(笑)。

 あいかわらず彼女はおもしろいスポット見つけるな〜と感心。私、ユースホステルなんて思いつかないわ(ユースじゃないって思っちゃうわけですよ。「青春18切符」も思いつかないタチ)。
 そんなわけで、久しぶりに楽しくお酒を飲みました。

  ギネスv  シャムロックコースター
  幽霊なワンパイント・オブ・ギネス。酔ってたのね〜(苦笑)。
  パブのコースターもSt.Patrick's Day仕様。
  アイルランドのシンボル、三つ葉のグリーンなシャムロック(シロツメ草)v


06.3.5 Mon.  自家発電的小説創作に夢中!       0:04
 しょっちゅう開店休業に陥るblogでありサイトなので、お断りする必要もないかと思いますが。最近、こちらがお留守なのは、小説を書くのに夢中だからです。ああ、もう楽しいわあv あ、例のweb日記で自家発電している「ペンション『愛の巣』にようこそ!」のことですよー。別に小説デビューするわけではありませんので、念のため(笑)。

 「自分の、自分による、自分のための小説」。案外、いちばん贅沢なんじゃないですかね、これ。妄想のあらぬかたへの疾走と文章力の未熟さにもまれて、のたうちまわっているのも自分なんですけどね orz。
 創作小説を書けばわかりますね、自分の文章力がまだまだ未熟だということが。「私の頭の中ではこういう情景の中で、こうキャラクターが動いて、その心情はこうなのに、文章にしたとたん、違ったようになるのはなぜ?」っていう。それでも、書ききれなかった文章から、自分では思ってもみなかったほうへ話が転がることもあるので、なかなかあなどれません。

 まあ、第1次小説創作ブームだった高校・大学のころに比べたら、格段に自分が考えたことをダイレクトに表現できるようになってるなあと思うので、成長はしているようです(<「あんたの仕事ってなんや」というツッコミは自分でしておきます。でも記事と小説って使う文体や表現法が違います。これも発見)。あと、自分が書いたことをかなり客観的に読めるようになってました。昔は自分が書いた文章、恥ずかしくてすぐにはなかなか読めなかったのですが、今は他人が書いたもののような穏やかな?気分で読めます。
 ……きっと3カ月後くらいに読んだら、文章のおかしいところや誤字・脱字を山のように発見したうえに、「3カ月前の私は何書いとんじゃー!」とのたうちまわるんでしょうけど(笑)。

 主人公がところかまわず寝るヤツなので、寝てばっかりな文章になるんですが。「なんでこんなによく寝るんだ、こいつは」と考えたら、ちょうどこの話を作ったときは仕事が信じられないような修羅場を迎えていて、眠気止め薬を立続けに2週間くらい飲んでいたんですね。「寝たい、寝たい、眠らせろーっ!」という欲求が投影されたものと思われます(笑)。

 そんなわけで、高校のとき以来の創作ブームに陥っています。来週からガッツリ仕事が始まるので、早く片づけたいのですけど。むー。

06.3.4 Sat.  笑えるコンピュータ翻訳          2:59
 日本語の小説内に出てくる英文の校正を頼まれました。
 ……変だよ。はっきり言って、変だよ。SVCやSVOさえわかってない状態で、英語を使うな! 疑問文でもないのに、なぜに主語より述語が先に来てますねん。英語ではありえません。「Let's a friend it!」って何やね〜ん。この文章、どう見てもE○cite翻訳そのままでっしゃろ!

 作品の雰囲気づくりに外国語を直接に持ち出すというのは、小説家さんにとって“禁じ手”のひとつじゃないかと思うのです。表現することを放棄して、読者をケムに巻く、みたいな。
 でも最近は読者の方々も英語がわかる方が多いので、英語くらいは使ってもいいかなと思います。でも使うなら、使えるようになってからにしましょう。せめて、コンピュータが翻訳した文章が使えるかどうか、判断できるようになってから、使いましょう。
 ……笑えるから。

 この校正を頼まれた事情が、知り合いから「今、小説の校正の仕事をしてるんだけど、どう見ても本文に入ってる英文、間違っているような気がする。作者はこれでいいって感じなんだけど、私が見てもおかしいので『おかしい』と指摘したいから、その根拠がほしい」と回ってきたんですね。根拠もなにも、そもそも英文でさえないので、「こういうことが言いたいのなら、こういう英文でどうよ?」と、結局翻訳しなおして戻しました。あー。

 そうしたら、今度は序文の英訳を頼まれました。「ひと晩でやれ」というのは、まあ、時間があるときなら対応できるのでいいんですけど。
 先に英文を校正した件がきっかけで、「Ex○ite翻訳を使おうと思ってたんですけど、英語がわかる人がいるなら、そのほうがいいです」って……。ふつう、Ex○ite翻訳とかいう前に、翻訳家を探すべきところでしょう。
 試しに序文の日本語をそのままExc○te翻訳に入力したら、ありえないくらい笑える英訳が出てきました。

 英語は、主語と述語とその他という構成がはっきりしている言葉です。日本語みたいに、主語がなくても、述語がなくても、前後のニュアンスで文章として成り立ってしまうような言葉ではありません。コンピュータ翻訳を使いたいなら、まず入力する日本語を、主語、述語、その他を明確にした文章に書き直さないといけません。時制にも注意です。
 ましてコンピュータは「ニュアンス」なぞ考慮しませんから、コンピュータ翻訳を使うときは「英語を直訳したような日本語の文章」に書き直して入力されることをお薦めします(苦笑)。でないと、本当に「これ、どこの言葉?」という不思議な英文が出てきますよ。

 私自身が意味もなくけっこう外国語を使いたいヒトなので、他人さまのことは言えませんが、それでも英語と仏語は勉強したうえで使ってます。使いたいと思ったから、勉強したのですし。まあ、使い方、間違っていることがまったくないとは豪語しませんが(苦笑)。
 自分が理解していない文章を書いてはいけないと思うので、勉強します。それは外国語に対しても同じです。だから私には、勉強もせず、理解できないままに外国語を使う人の存在こそが理解できません。それも同人誌や個人サイトなど、翻訳家の手配や表記について指導する者がいない、個人責任の作品に対してならともかく。万部単位で印刷して、読者に対価を払って購入していただく小説に対して、作家も編集もそういう心構えでいいの?と思います。

 最近、すべてが安易に考えられて、安易な方向に向かってるよなあなどとしみじみ思うのは、世間のアラばかりが見えてきたオバサンの心境なんでしょうか……。


Made with Stone Diary



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