Dairy for Paranoid

MAY 2004

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JANUARY  FEBRUARY  MARCH  APRIL


04.5.30 Sun.  つやつや物語6 最終コメント収録     9.2 0:23
 16:00から、イラストのコメント収録の続きを行ないました。
 その前に、中嶋さんにイラスト探索の経過をご報告。最悪、最後まで見つからないままになった場合に備えて、掲載補欠のイラストを選んでいただきました。補欠イラストについてもコメントを頂戴しておくためです。

 「今日は手短に2時間くらいで」と言って始めたコメント録りは、またしても3時間の長丁場になりました。中嶋さんにはお忙しいところ、述べ3日間、10時間近くもお時間をいただいてしまい、申し訳ないことでした。


 そのコメント録りのときに飛び出したのが、「『アニメージュ』3月号のイラストって、もっと下まで描いていたのよね。でも雑誌を見たら、下のほうが載ってなかったの。あれ、やっぱりヤバかったのかなあ」の爆弾発言。Nプロデューサーが「ああ、あれね。あれはヤバいって。編集部のほうでトリミングしたんじゃないの(笑)」と言われ、制作のI氏が「いや、あれは編集部にお渡しするときに、こちらで黒いレイヤーをかけたような記憶が」と言い出され……。
 しかし、その「下まであるイラスト」の「下」の部分を見ていない私と版元編集さんは「?」な気分。なにがヤバいんだろうと思いつつ、「どこにも出ていないものなら、ぜひ『艶』で出させてください」とお願いしました。「版元さんがよければいいですよ」と承諾いただき、事務所に帰って早速イラストデータを開きました。フォトショップデータに、確かに細長い長方形の黒ベタのみのレイヤーがあります(まるでモザイク処理みたいですよ)。はずしてみて、思わず笑っちゃいました。「でも、これ、載せないとウソだよね。ウ・ソ.だよね! なんせ『艶』なんだからっ!!」(<誰に言い訳?)と思い、やはり帰社してからデータを開いてウケていらしたらしい版元編集さんの合意も得て、掲載決定!

 あのイラストをスルーできる方はたいへん健全かつノーマルな方、引っかかってしまわれる方は腐女子的妄想回路を搭載していらっしゃるということで、嗜好傾向のリトマス試験紙としても有効ではないか、と(<だから何の言い訳?)。

04.5.27 Thu.  つやつや物語5 「そんな、ばかな」な国会図書館  8.7 4:17
 1冊の本を編集する間に、何回か「そんな、ばかな!」「ありえない!」と衝撃を受ける事態に遭遇します。その対象は、版元会社であったり、デザイン事務所であったり、印刷会社であったり、版権管理者であったりさまざまです。大なり小なりトラブルは絶対に起こるので、「起こるのが正常」と考えていてちょうどなのです。

 アニメスタジオから一向に送られてこない素材をじりじりしながら待っていたら、版元編集さんから電話が入りました。「今、到着していない素材は、スタジオにないのだそうです」「はああ? では、こちらで探すことになりますね」「ええ」「まだ初出のわからない素材もあるのですが、それはわかったんですか?」「スタジオではわからないので、こちらで調べてくれとのことです」「えーっ!?」

 いや、確かに最初の打ち合せで、「スタジオにない素材については、こちらで手配します」とは言いました。でも、ですね。こんなにスケジュールが切羽詰まってから、それも初出がわからないイラストを調べて手配するなんて話は聞いてませんよ!
 何年に描かれたものかもわからない。何のために、どこの企業の商品あるいは雑誌・書籍用に描かれたものかもわからない。この世にごまんとある、アニメイラストが使われる可能性のあるものを想定し、その中から該当するものを探せというわけです。それは大海に針を探すのと同じです。がくり。

 と、愚痴っていても始まりません。「スタジオの、その壊れたPCのHDをダメ元でサルベージしてくれよ」と思っても、そんな基本的なことはすでに2年前にスタジオで行なったはずでしょうし……。『艶』における、開きたくても開かなかったパンドラボックスは、この壊れたPCです! むううう〜。
 「ない」と言われた素材について、タテ長などの判型から「たぶんポスターなど商品関係用と思われるイラスト」と、ヨコ長の雑誌規格サイズや、あるいはコメント収録のときに「かもしれない」とお聞きした「おそらく雑誌掲載されたと思しきイラスト」に分け、商品関係は版元編集さん、雑誌関係は私が受け持ちました。
 また、描かれた年はわからなくても、例えば『逮捕しちゃうぞ』だったら1998年から2002年くらい、『モンコレナイト』だったら2000年前後と、作品の放映時期などによっておおよその見当はつきます。


 そこで雑誌関係担当の私が出かけた先は、国立国会図書館。建て前上、日本国内で出版されたあらゆる書籍・雑誌が保管されているところです。
 筆記用具と貴重品のみ図書館備え付けのビニール袋に入れ、荷物をロッカーに預けて、いざ「雑誌コーナー」へ。日本雑誌・書籍コードの書かれた本を参考に、貸し出し票に「雑誌コード、雑誌名、何年何月号〜何年何月号」と自分の氏名などを書き込みます。
 うろ覚えですが、「000-X ○ 000 月刊ニュータイプ 2002年8月号〜10月号」「XXX-0 ○ XXX メガミマガジン 創刊号〜2002年1月号」という感じ。この貸し出し票を受付カウンターに持っていくと、受付時間のハンコを押してくれて、「巻数の多いのもは、まずこちらで用意できる巻数までお渡しします。お渡しできなかった分については、もう一度貸し出し票を書いてお持ちください」「用意ができるまで、20分ほどお待ちください」と言われます。
 貸し出しカウンターの前で待ち、自分でおおよそ20分の見当をつけてカウンターへ行くと、希望した雑誌が準備されています。雑誌はだいたい1年分をまとめて1冊の本のように綴じられています。「ニュータイプ2002年分」と「メガミマガジン」の37号以降をまとめたものを持って、閲覧コーナーへ。
 国会図書館所蔵の本・雑誌は、館内でしか閲覧できません。持ち出しはできませんので要注意。ただしコピーはできます。

 「月刊ニュータイプ」の2002年8月号、9月号と繰るうちに、『GetBackers -奪還屋-』の初出不明だった見開きイラストを見つけました。ところがこの記事、半分しかありません。左半分がきれいに切り取られています。『奪還屋』の次の記事が『ちょびっツ』で、どうやらその記事がほしかったバカ者が切り取って持ち去ったもよう。
 どうして、こう考えなしの阿呆が存在するのか。今までに出版された本、書かれた記事について、「この世に存在していた」ことの究極かつ最終の調査手段として、国会図書館は存在しています。「すべての出版物、すべての記事がここにある」という信用のために、各出版社は出版した本を国会図書館に寄贈しているのです。それを、記事を切り取って持ち去ってしまうなんて、あまりにも人間性が低い、卑しい行ないです。

 国会図書館をはじめとする公共図書館は、どなたにも平等に「知る」チャンスを与えるために存在しています。そして「リファレンス機能」として、常に「図書館に来れば、見たい資料を見ることができ、確認したことを確認できる」ことを目標に、所蔵書籍・雑誌の充実を目指しています。けれど、市町村や地区の図書館では限界があります。そこで、「すべての出版物を所蔵する図書館」として期待されているのが国会図書館です。
 今、著作権や印税などの問題を巡って、新古書店、貸本屋とともに図書館が槍玉に挙がっています。「新刊書が図書館で借りられるので、そのぶん、本来売れるはずの書籍が売れない。図書館は新刊本を置かないようにせよ」という言い分ですが、それは「何のために図書館が存在しているのか」を理解していない、非常に浅薄な言い種だと、私は思います。司書資格のために「図書館概論」を勉強しましたが、あれ、司書になりたい人だけでなく、一般の学生にも「図書館の概念」だけでも教えたらいいと思うんですけどね。と、話が逸れました。

 「メガミマガジン」は37号以前のものは国会図書館に所蔵されておらず、『逮捕しちゃうぞ』の記事が掲載されていたであろう時期を見事にはずしています。「ニュータイプ」「アニメディア」の1999年から2002年の号も借りて調べましたが、「素材目録」にある原画のイラストは発見できませんでした。

 中嶋さんのコメントから、どうやら「メガミマガジン」掲載らしいとわかった2点のイラストについて、すでに「メガミマガジン」編集部に問い合わせていたのですが、こうなったら、ついでに他のものも教えてもらおうと、渋谷駅から編集部に電話しました。おりよくお願いしていたイラストのうち1点は見つかったとのことで、それを受け取りがてら、その場で教えていただこうと思いました。
 「メガミマガジン」の副編集長の方はとても親切に、中嶋さんのイラストが掲載されているバックナンバーを教えてくださいました。「中嶋さんにはお世話になっていますから。協力できることがあれば」とのお言葉は、このとき、半ばパニックを起こしていた私にはとてもありがたいものでした。
 ただ、「メガミマガジン」の古い号に掲載されたイラストは、編集部内のあるべきところに見当たらないとのことで、新たに困った事態が。月刊誌の作業でお忙しい方にあまり無理も言えず。それでも中嶋さんが掲載を希望されていて、スタジオにはないとわかっているイラストなので、「すみませんが、お時間のあられますときに探していただけましたら」とお願いして、編集部を退出しました。

 その足で中野の「まんだらけ」へ。中嶋さんのイラストが掲載されていると教えていただいた「メガミマガジン」のバックナンバー5冊と、「ニュータイプ」2002年9月号を購入。事務所に戻ってから、早速「ニュータイプ」編集部に電話をして、担当の方にイラスト使用の許可とデータの貸し出しを依頼しました。

 夜、ネットで『モンコレナイト』のB4サイズのイラスト絵柄がどこかに出ていないか、トレーディングカードやラミネートカードのオークションなどをサーフしていました。すると、商品関係として版元編集さんに探索をお願いしている3点のイラストについて、初出と発注企業名が判明! 急いで版元編集さんに連絡。
 しかし、私の探していた『モンコレナイト』のヨコB4サイズのイラストは、結局、初出も在り処もわからずじまいになったのでした。

04.5.25 Tue.  つやつや物語4 コメント収録       8.7 3:03
 スタジオから「掲載予定の素材がすべて集まった」という連絡が来ず、ずるずるとスケジュールが遅れだしています。『GetBackers -奪還屋-』『PEACE MAKER鐵』など、新しい作品の素材はだいたい集まったのですが。その『奪還屋』でさえ、イラスト1点足りない状態です。ほかはまったく集まらず、そろそろあせりが出てきます。

 当初の予定では、すべての素材がねこまた工房に集まった時点でページデザインを考え、イラストを取り込んだ形でのレイアウト見本を作り、それをチェックがてら見ていただきながら、中嶋さんにイラストごとのコメントをいただくはずでした。ところが肝心の素材が集まらないため、急きょ計画変更。『奪還屋』と『PEACE MAKER鐵』の部分だけ、デザイナーにページレイアウトしてもらい、あとは「素材目録」のデジカメ原画を見ていただきながら、コメントをいただくことになりました。


 19:00からコメント録り開始。その際に、イラストの「初出」もお聞きしました。ところがなんということか! どなたも、そのイラストがいつごろ、何のために描かれたものか、覚えていらっしゃらない!? うそ〜ん!!
 中嶋さんが覚えていらっっしゃらないのはわかるんですよ。キャラクターデザインや作画監督などアニメ本編の多忙な作業の合間に、DVDやCDのジャケット画、番組宣伝用ポスター、カレンダーなどの商品用イラスト、雑誌の版権などを描かれているわけですから、特に繁忙期に描かれたイラストなど覚えていらっしゃらなくて当然です。個人で外部企業から直接受注、受け渡しされているならまだしも、スタジオ受注、スタジオ受け渡しですからよけいに。最近のものならともかく、3年、5年も経てば、むしろ覚えていらっしゃるほうが不思議です。
 わからないのは、「スタジオで管理されていないの?」ってことです。聞けば、制作現場のいろいろな事情があるようですが、早い話が2年ほど前にイラスト管理に使っていたPCが壊れたのだそう。HDがおしゃかになったので、そこに入っていた管理メモやイラストデータがすべてパア! ああああ。そしてこのことが、後に恐ろしい事態を引き起こすのですが、それは次の機会に。

 画集などで、他の出版社や企業が発注したイラストを二次使用させていただく場合、必要なのは、描かれた方(『艶』の場合は中嶋さん)と、そのイラストの着彩などを手がけた人あるいは企業(『艶』の場合はスタジオディーン)、そしてそれを掲載/使用した企業(『艶』の場合は徳間書店の「アニメージュ」編集部だったり、学研の「メガミマガジン」編集部だったり、バンダイビジュアルの商品関係のライツ管理者だったり)の使用許可が必要です。その際の最低条件として、「初出を記載すること」があります。
 画集やアニメのムック本をご覧になれば、イラストの隅、あるいは掲載イラスト索引などのページに、「初出:「雑誌名」○月号(○○書店)」とか「DVD○巻ジャケットイラスト ○月発売」などの記載があると思います。あれは、もちろん「描き手さんがいつごろ、何のために描かれたものか」という資料的な意味もありますが、初出記載が二次使用の条件という事情もあって書かれているのです。

 『艶』も例外ではありません。大量のイラストから1点ずつ、中嶋さんとNプロデューサーに記憶を掘り起こしていただき、イラストを描かれた時期や発注企業名、雑誌名をだいたいのところまで絞っていただきました。『奪還屋』や『PEACE MAKER 鐵』など最近の作品は私も把握していましたし、『逮捕』の中でもビデオジャケット画など商品がネットなどで見られるものはお聞きするまでもなくわかっていましたので、結果として初出不明のイラストは1/3くらい。その中でもかなりの点数が、お二人のご尽力でこの当たりという見当がつきました。けれど、まったく不明のものも数点残りました。

 結局、この日も3時間に及ぶインタビュー。イラスト1枚1枚、中嶋さんに描かれたころのことを思い出していただき、おもしろいエピソードや冗句を交えながら話していただきました。特に、イラストを描くときに、中嶋さんが考えられるシチュエーションのストーリーがツボにはまって、一同大爆笑のシーンもたびたび。
 22:30ごろになって、さすがにタイムオーバー。「続きは後日」ということになりました。

04.5.19 Wed.  金田一春彦氏訃報             7.10 5:37
 国文学者であり、方言研究の第一人者である金田一春彦氏が亡くなられました。91歳。
 辞書を引ける年になって以来、「辞書は三省堂がいちばん!」という祖母と両親の何が根拠なんだかよくわからない強力な勧めで三省堂の『新明解国語辞典』を愛用しています。この辞書、『新解さんの謎』赤瀬川原平(文藝春秋)という、大変に笑える解説本?まで出ている「すぐれもの」。『新明解国語辞典』愛用者なら一段と笑えること間違いなしです。って、これは余談。

 金田一氏の「キンダイチ」という名字は、アイヌ語で「山の中の町」という意味だそう。春彦氏の父君・金田一京助氏は岩手県盛岡の出身で、やはり言語学、国語学の権威、そしてアイヌ語研究の第一人者でした。アイヌ語の名字、岩手県、そしてアイヌ語研究という繋がりに感じるものがあります。また、京助氏は同じく岩手県出身の石川啄木と親交があり、啄木研究でも知られています。
 ちなみに京助氏の名前は、かの「金田一耕助」の基となりました。春彦氏は、横溝正史から「お父さんをむやみに拝借して申し訳ない」と詫びられたそうですが。「いやいや、悪者の名前ならこんなのんきにしてられませんけど、探偵なんですからありがたい」と返されたそう。なんだか、ほのぼのとしたエピソードです。
 今も原稿を書きながら使っている辞書は「新解さん」こと『新明解国語辞典』。「辞書」という日本語の核となるものを、気の遠くなるような作業を重ねて編纂しつづけてくださった方へ、心からの敬意と感謝を。ご冥福をお祈りいたします。


 横溝氏関係の出典は「横溝正史エンサイクロペディア」のサイト。横溝正史について知りたいことがあると、よく伺います。ついでに『金田一耕助 The Complete』「ダ・ヴィンチ」特別編集(メディアファクトリー)の刊行を知って、早速amazonで注文してしまいました。

04.5.16 Sun.  パリのメトロ               7.10 4:48
 前日の「日記」でパリのメトロの話を書いたので、追加のメトロ話。
 パリを舞台にした映画には、よく高架橋の上を走るメトロが出てきます。黒いシルエットを描く高架橋のうえをゴウゴウと走るメトロを眺めるのもおもしろいですが、乗ってみるともっとおもしろいですv
 とくにエッフェル塔を見ながらセーヌ河を渡る6号線は高架部が長くて、7・15・16区の住宅街、12・13区の再開発地区などを車窓から眺めることができます。また、5号線はバスティーユからオーステルリッツ駅の区間が高架橋に、パリ北部を走る2号線は高架橋からアラブ人地区バルベスのスーパーマーケット・タチ TATIやウルク運河界隈などを見ることができます。

 友人の家の最寄り駅が6号線だったので、彼女の家を訪ねるときはワクワクでした。高架橋の上から眺めるパリはひと味違った顔を見せてくれます。家々の裏庭や、小さな公園の樹木を上から覗く、ちょっとキュアリアスな気分。秋口の、まだ夕日が差し込むくらいの夕暮れ時の眺めはとくにお薦めです。
 パリに行かれたときは、ぜひメトロの高架橋もお楽しみください。

04.5.15 Sat.  パリのカメラマン             7.10 4:17
 本日の『美の巨人たち』はエクトル・ギマールの「メトロ12号線アベス駅入口」でした。
 パリのガイドブックや風景写真集に必ず掲載されている「パリの街角の風景」があります。それは、アール・ヌーヴォー調の書体で書かれた緑の文字「metoropolitain(地下鉄)」を掲げ、緑の鉄棒が優美な曲線を描くメトロ駅の地上入口の装飾です。
 
 アベス駅はモンマルトルの玄関口。1900年、パリにメトロ(地下鉄)が誕生したのと同時に完成しました。ロンドンの地下鉄に遅れること38年。この年に開催されたパリ万国博覧会に合わせての開業でした。この時期に造られた建造物としてはほかに、1889年のエッフェル塔、1900年のオルセー駅(現・オルセー美術館)並びにアレキサンドル三世橋、1901年のトラン・ブルー(リヨン駅構内のレストラン)などがあります。


 19世紀半ば、ナポレオンの甥、ナポレオン3世は暴動や犯罪を防止するため、パリの街から曲がりくねった路地を一掃し、直線の道路で仕切ろうとしました。この「パリ大改造 grands travaux de Paris」を命じられたのが、セーヌ県知事オスマン Haussmann。今もパリの凱旋門からサン・ラザール駅近くを横断するオスマン通り Boulevard Haussmannに名を残しています。
 現在、凱旋門の上から見ると、パリの街はまっすぐに伸びる通りでケーキのように切られ、はるか彼方まで見晴らすことができます。それは、この「パリ大改造」の結果です。

 1898年、エクトル・ギマールはパリのメトロ駅の設計に着手します。すでに産業革命の時代に至り、建造物には鉄が使われるようになっていました。ギマールは、その硬質で直線的な鉄棒を緑色に塗り、曲線や丸みのある装飾を加えることで、人工の植物を造ろうとします。
 そう。どんどん直線に変えられていくパリの街に、ギマールは曲線美を誇る鉄の植物を植えようとしたのです。かくして彼が「植えた」地下鉄の入口はおよそ170を数えました。しかしその多くは、第一次世界大戦がぼっ発し、優美なアール・ヌーヴォーの夢が失われたとき、取り壊されてしまいました。

 ギマールはメトロ駅のスタイルを3タイプ設計しましたが、パピヨンと呼ばれた屋根付き、待ち合い室つきの駅舎は、今ではスケッチでしか見ることができません。ガラスの天蓋がついたタイプは、アベス駅とメトロ2号線のポルト・ドーフィヌ駅のみ残っています。そして、階段と手すりにゲートだけのものは、数少なくなったとはいえ、今でも街角でふと目にすることができます。


 私がパリでガイドブックを作っているときに、お世話になったパリ在住のカメラマンがいました。「なぜパリにいるのか」と尋ねたところ、彼は何枚かのモノクロ写真を見せてくれました。そこに映っていたのは、ドアノブ、螺旋階段の手すり、ドアの上部、門扉……。それらはユニークな曲線の組み合わせでできており、白と黒と灰色の世界に浮かび上がる造形は、植物的で、エレガントなのに、どこかグロテスクで陰微な香りがしました。
 「エクトル・ギマールという建設家をご存じですか? アール・ヌーヴォーを代表する建築家で、パリのメトロ駅をはじめ、たくさんの作品を残しながら、知る人も少ない建設家です。彼の作品は次々と壊されているので、今のうちに、すべてを写真に残しておきたいと思っているんですよ」。

 ギマールの作品はメトロ駅だけではありません。古くから高級住宅街として知られるパリ16区のラ・フォンテーヌ通りに彼の建築がいくつか残っています。「カステル・ベランジェ」「オテル・メザラ」、そして通りの面した建物の外壁にギマール独特の番地の数字。他にも見たければ、オルセー美術館を訪ねるとよいでしょう。


 ギマールの世界をモノクロの写真に焼きつけていたカメラマンはどうしているでしょう。ふと、懐かしく思い出しました。

04.5.14 Fri.  国際詐欺事件               7.10 3:20
 たまに友人や知り合いに来た英文メールの翻訳を頼まれます。そして、ごくたまにおもしろい事態にぶつかったりもします。これはそんなお話。

 書道家の知り合いから電話がありました。国内のモダンアート系の賞の中でもけっこう有名な賞を受賞したとのこと。彼は書道家として書道を教えながら、字体について成り立ちを探り、象形文字から絵そのものにしてしまったり、天地左右を返してみたり、モダンアート作家の一面をもっています。
 ついでに自らを「書家」からの活用形で「ショカー」(「ッ」は入らないそうです)と呼び、カラオケで替え歌テーマソングを歌っちゃうような人です。もひとつついでに、今年の私の寒中見舞いをわざわざPCに取り込み、「ここにカオが!」と赤丸入れて返信してきてくれるような人です(ありがとう、ノッてくれてv)。
 と、書くとどんなヘンな人かと思われそうですが(いや、否定はしませんよ)、この方の「百人一首」シリーズのうちの一枚、「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」(式子内親王 『新古今集』恋一 詠題「忍ぶ恋」)の仮名ちらし色紙は、私のお気に入りなのです。
 
 閑話休題。彼からの電話の本題は、1通のメールのこと。英文メールが来たのでざっと目を通してみたところ、仕事のオファーらしい(ニューヨークで個展をという話も持ち上がっていたので、別に英文メールが届いても不思議ではない状況)。もし仕事の話だったら、誤解のないように理解しておかないと、ということで、翻訳してくれないかとの依頼でした。「いいよ〜、送って」と引き受けて、折り返し送られて来た英文メールのヘッダを見たとき、「あれ?」と思いました。
 差出人はナイジェリアの政府筋の高官。ナイジェリア・ナショナル石油会社(N.N.C.P)を後ろ立てとする、外国への口座開設、送金操作の依頼。
 同じくナイジェリアからの(差出人は違っていましたが)、N.N.C.Pに関わる、そしてこの文面と似たようなメールを1年ほど前に訳したことがあるのです。このときのメールは、やはり知り合いのデザイナーさんに送られてきたものでした。ドイツでデザイン賞を受賞され、英語で書かれた一連の書類の翻訳を依頼されたのですが、その中にナイジェリアからのメールもあったのです。
 「あなたは、我々独自の調査により、この依頼を託すに相応しい人物として選ばれた」「いっさい損のない、非常に安全な投資に関わる仕事」「あなたが自国にて口座を開いてくれたら、そこに送金する。そこから別の口座に送ってもらえれば、その手数料を支払う」「その手数料は、移動してもらった金額の20%相当。ただし、経費として10%はプールされる」「移動したい金額の総額は2500万USドル(約260億円相当)」「ただし絶対に秘密厳守」

 当時も一応翻訳はしたものの、「絶対に不審です。このメールには返答しないようお薦めします」と添え書きをしました。デザイナーさんからは「確かに怪しいですね。触れないでおきます」と返事をいただきました。
 それがまたしても現れたのです。そのうえ、書道家さんに来たメールはいちだんと意味が取りにくい英文になっていました。奥歯にものをはさんだような、実に要点のわかりにくい文章です。そこを無理矢理好意的に訳してみても、こりゃ〜、マネーロンダリングのご案内以外に解釈できませんが! そもそも、そんな大金を英語のおぼつかない、専門知識もない外国人に委ねてどうするんだ!? バカですかい!!

 一応翻訳して送ってはみたものの、お二人の、なんらかの賞を取り、ホームページを開設しているという共通項が気になって、「ナイジェリア マネーロンダリング」で検索してみました。そうしたら、出てくる、出てくる。「ナイジェリア:国際的詐欺事件(通称「419」事件)」に関するページが。こことか、おもしろいところではこことか。HOTWIREDにも記事がありました。
 即行、書道家さんに「それは国際的に警報が出されている詐欺だ〜!」とメールしました。こんなごくごく身近に「国際詐欺事件」が顔を出すとは、まったく油断ならないことです。

 皆さまのメールボックスにナイジェリアの某からメールが来たときはご用心。さっくり「削除」か「通報」しちゃってください。


Made with Stone Diary



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