Dairy for Paranoid

MAY 2006

BACK

JANUARY  FEBRUARY  MARCH  APRIL


06.5.29 Mon.  停滞しております。          0:45
 今、仕事で修羅場っております。5月いっぱい。あと少し。

 帰省する直前にいただきましたメール以降、メール、お手紙とも、お返事滞っております。この佳境がすみましたら、即行でお返事さしあげますので、もう少々お待ちくださいませ。
 ご迷惑をおかけいたします m-_-m。

06.5.23 Tue.  最近の明石名物            7.25 23:49
 明石の名物といえば、明石鯛、明石蛸(タコ)、明石焼き(明石では「玉子焼き」と言います)、いかなご、穴子(アナゴ)、鱧(ハモ/案外知られてません)など。おつかいものとしては、明石鯛は「姿焼き鯛」、明石蛸は「ボイル蛸足」や「味つけ蛸足」、いかなごは「いかなごのくぎ煮」、穴子は「焼き穴子」などなど。

 なかでも明石鯛や明石蛸を気軽に賞味できるものとして、淡路屋の駅弁仕立ての「明石鯛好きめでっ鯛飯」と「ひっぱりだこ飯」が好評です。それぞれ陶器製の鯛の形、蛸壺の形の容器に入っており、食べたあとは記念品にもなります(実家では鉛筆立てに使ってます)。「明石鯛好きめでっ鯛飯」は鯛骨の出汁で炊いたご飯に鯛の酒蒸しや野菜が乗っており、鯛の甘子も混じっているという逸品。「ひっぱりだこ飯」は炊き込みご飯に蛸のうま煮を混ぜたもの。
 これらについては、「うまか陶」サイトの「明石鯛好きめでっ鯛飯」「ひっぱりだこ飯」のページが詳しいです。

 駅弁よりももっと気軽に食べられるものとして、2年前くらいに登場したのが、新浜(しんはま)というおにぎり屋さんの「真心が伝わるほんまもんの明石のり 漁師のおにぎり」。たこめしにぎりや鯛めしにぎり、穴子めしにぎりを、明石産の海苔で巻いていただきます。この「おにぎり屋 新浜」は、明石浦漁業協同組合所属の30〜40代前半の現役漁師10名で運営される「さかな普及活動グループ」。明石のおいしい海苔や魚の味をより広く知ってもらいたいということで、おにぎりという手段を思いついたそう。
 実家に帰ると、必ず一度は「菊水」の鮓(すし)、「こだま」の明石焼きと「新浜」のおにぎりを食べています。
 新浜については「明石の漁師 AFAR」の「新浜 -shinhama-」をクリックしてください。

 今回の帰省でもこのおにぎりを食べ、親から「上乾ちりめん」と「明石のり」を土産にもたされました。おいしくいただいておりますv ついでに「東京のスーパーでは酸っぱい梅干し、売ってない。どれも妙に甘ったるくてイヤや」という話をしたら、父が自分で漬けた梅干しを、母が漬け物屋で買ってきた梅干しをそれぞれくれました。ありがたいかぎりです(なんでも言ってみるもんだなあ)。

06.5.22 Mon.  神戸でグルメ三昧v          7.24 23:02
 藤の木さまにお会いしましたv
 ずいぶん前から「5月の法事前後は長めに休暇をとって帰ります」と宣言していたのですが、結局、長期休暇はとれず。お会いしたかった方々は多かったのですが、この短い日数ではどうにもこうにも……。藤の木さまにはお時間を合わせていただき、ようやくお会いできたのでした。その節はありがとうございました m-_-m。

 11:00にJR三ノ宮駅にて待ち合わせ。そのあと、藤の木さまお勧めの和食のお店にお連れいただきました。生田筋の西側、ビルの地下1階にあるこじんまりとしたお店です。店名は忘れてしまいました orz(場所は覚えているのですが)。木の温もりとやわらかい照明が心落ち着かせる雰囲気のよいお店です。予約のカウンター席には、あやめが描かれた和紙のマットが敷かれています。季節感あふれる、もてなしの心を感じました。
 ビールで再会の乾杯をしたあと、お昼の懐石コースを。夜はけっこういいお値段のお店のようですが、お昼はコースでも3000円台とリーズナブル。先付・向付・八寸・煮物椀・焼き物・炊合せ・酢の物・食事(鯛めし)・ デザート(たしか9品)に至るまで、とてもおいしかったですv 特に鯛めしはご飯ひと粒ひと粒が白くつやつやとして、ほくっと立っているのです。「これがご飯粒が立つってことか」と感心しました。大満足! 量的にもたっぷりで、むしろデザートのわらびもちはお腹に苦しいくらいでした。

 そのあと、以前から「絶対行きましょうね」と言っていましたPATTISSERIE TOOTH TOOTH(トゥーストゥース)へ。ここの2階がサロン・ド・テ(喫茶店)になっているのです。こちらの軽食メニューもけっこう心惹かれるラインナップ。しかし満腹したあとなので、注文は紅茶のみで。次に来たときは、ぜひ料理も賞味してみたいです。
 そこでまた、よもやま話を楽しみました。藤の木さまは本や雑誌、ゲームや映画に知識が広くていらっしゃいますので、お話がどれも興味深いのですv 心和むひとときでしたvv
 ご馳走になりましたうえ、お土産までいただき、ありがとうございましたvv

 明日は東京に帰ります。

<追記>
 藤の木さまに和食のお店は「みやびや」と教えていただきましたv

06.5.21 Sun.  法事の日               7.24 23:36
 祖母の七回忌はごく内輪で、という母の希望で、参列するのは両親と私、弟夫婦と甥兄弟、義妹のご両親の9名。とりあえず弟たちには9:00過ぎに実家へ集合してもらうことに。

 さて、実家の座敷は6人も入ればいっぱいになります。だから遠慮してキッチンにいたら、それが母にはお気に召さなかったらしい。「なぜ座敷に行かないの?」「座卓の席がいっぱいでしょうが。かえって気をつかわせるやん」「そんなん、隅っこに座ってたらええやん。ほら、茶菓子もって座敷行って」「やから、茶と茶菓子を畳に置いて食べるんか。それって、どうよ」「なに、あんた、朝っぱらから拗ねとるんよ」……なぜそこで「拗ねてる」という言葉が出てくるのか、私にはあなたの思考回路がわかりませんわ、お母さま。
 肝心要の日に母娘ともに機嫌の悪い始まりです。やれやれ。

 11:00から明石の朝顔光明寺で法要。このお寺には『源氏物語』で明石入道に迎えられた源氏の君が、月を映して月見をしたという「光源氏ゆかりの月見の池」があります。なにかと法事でお世話になってきたご住職が引退されて、今は若い息子さんが後を継がれています。
 そのあと、母と懇意の鮓(すし)屋さんの個室座敷を借り切っての食事会というスケジュール。

 甥兄弟の上のほうは、もうすっかり一人前の口をきく5歳児です。幼稚園が仏教系なので、しっかり自分の数珠を持参(私は東京から数珠を持って帰るのを忘れ、祖母の数珠を借りたというのに orz)。読経の間もちょっと離れたところで神妙に正座しているので、私の隣にいた弟に「あんたがお焼香するとき、あの子もいっしょにさせてあげなさいよ」と強要。せっかく大人しくしているのだから、大人の扱いをしてやってもいいでしょう。
 食事会でも、父母の気遣いで、彼には子ども用のメニューではなく、大人一人前のメニューが用意されていました。もちろん全部は食べきれないようでしたが、自分が大人扱いされたのがうれしかったのか、始終ご機嫌でした。
 会うたびに、なぜか彼と私は算数勝負をするハメになるのですが、このたびもガチンコで戦闘開始。お料理に添えられたレモンの切れ端が何分の一か、から始まったのですが(「ん〜、8分の1くらい?」)、「それを半分にしたら?」「半分にしたのを4つに割ったら?」と言ってくるので、とうとう1万なんたら分の一までいってしまいました。だから、私は数字は苦手だとあれほど…… orz。でも今度は逆にどんどん掛けていって、最後にレモン1個に戻してやると、「ああ、レモン丸ごとに戻ったあ!」と感心していました。5歳児にはまだ負けませんことよ!
 彼は相変わらず数字が大好きなようです。もう小学3年生の算数ドリルは全部解けるらしいですよ。ちょっと、それ、どこの天才児!?(笑)

 下のほうはまだドウブツ(笑)。お料理の中のキウリを両手に握って遊ぶわ、窓に向かって突進するわ、義妹の財布の中身をぶちまけるわ……。弟は、彼を床の間に飾られているモノに近寄らせないよう、食事の間中、警戒を怠りません。
 いちばん困ったのは、ビールを飲みたがって暴れること。あんまり執拗なので、ビールグラスを彼の前に置き、気をそらせている間に、テーブルの下でグラスに似た色のお茶を入れてビールグラスと置き換えるという、「大人は汚い」という手をつかってなだめました。ところが、どうも泡がないことからバレたようで、ダダこね激化。「じゃあ、ひと口飲んで、苦いとわかったらあきらめるだろう」と含ませてみたら、「もっと」と催促。……将来、大物になるかもしれません。

 そんな彼はお兄ちゃんが大好き。すぐに座卓の向こう側に座るお兄ちゃんのところに行っては、背後から抱きつきます。義妹が「『お兄ちゃん、大好きー』は?」と言うと、首に腕を回し、お兄ちゃんのほっぺたにキスする始末。上のほうもまんざらではなさそうで、弟の背中に腕を回してポンポンと叩いたりしています。
 ……伯母ちゃん、キミたちの兄弟愛の行方がちょっと心配ですよ。

 15:00過ぎにお寺の駐車場にて散会。またいつ会えるでしょうか。来年のお正月かな(鬼が笑いそう)。
 お天気もよく、滞りなく法事が済んで、なによりでした。

06.5.20 Sat.  実家でもお仕事中           7.24 22:33
 母はとにかく家を空けるのが嫌い。家に誰もいない状態というのが怖いらしいです。働いていたときからその傾向があったのですが、当時は祖母が留守を見ていたので問題なかったのです。祖母が亡くなってからは、本当に出無精になりました。父が町内会や老人大学や趣味の謡の会や投資の説明会に出かけまくるのとは対照的。
 この不穏なご時世、母くらい用心深いほうがいいのかもしれませんが。

 よって、私が帰省すると、私を留守番に買い物に出かけます。本日は父も昼から夕方まで外出していたので、その隙をついて、仕事のラフ切りをしていました。モノが「ボーイズラブゲーム」だけに、父母の前で資料本やプリントアウトした写真を広げる度胸は、さすがにありません(苦笑)。まあ、たぶん二人とも目にしたとしても男女の絡みだと思うことでしょうが(男同士でどうしたこうしたというシチュエーションは、おそらく二人には想像外)、そう思われるのもイヤだ。

 けっこうはかどって、母が帰ってくるまでに『ファ○ティカ』4ページ上げました。今夜は徹夜してでも『絶対服○命令』6ページ上げたい。
 明日は祖母の七回忌の法事だというのに、煩悩まみれで参列することになりそうです。とほ。

06.5.19 Fri.  東京駅でバンドの生演奏        7.24 22:59
 本日は実家へ帰省。午前中にメールの返信ほか、やることを片づけて東京駅へ。ちょうど金曜日で東京出張のビジネスマンが帰るためなのかどうか、まだ日中にもかかわらず下りの新幹線は満席、次も満席。
 若かりしころは、東京から名古屋まで2時間ほど、自由席車両で立ったまま帰ったものですが(たいてい名古屋か次の京都で座れます)。今はそんな気力も体力もありません。昔はグリーン車なんてとんでもなかったのですが、ここ3年ほど、年末の帰省で指定席がないときはグリーン車使用です。ああ、もったいない……。
 そんなヘタレなので、指定席が空いている新幹線を捜してもらいました。はいはい、3列席の真ん中くらいはかまいません。喫煙車両でも……耐えてみせます。

 そんなわけで乗車まで1時間ほど時間ができたので、東京駅内を徘徊。外に出れば、丸の内オアゾとか時間がつぶせるところがあるのですが、切符精算してしまったので、改札から出られません。ぐるぐるしていたら、Dila東京メディアコートでなんとバンドの生演奏をやっていました! 演奏されていた曲はフュージョン系というか、癒し系な感じ。真夏の海岸で夕日を見ながら聞きたいような曲調です。おそらく私のように列車待ち中の、背広を着たおじさまたちが聞きほれていました。バンドの人たちも、客層がいつもと違うので戸惑われたのでしょうか。ちょっとMCはぎこちなかったですけど、曲はよかったです。

 新幹線に乗り込んだら、そのまま爆睡。3列席の真ん中で寝ると、左右の人にもたれかかったりして迷惑をかけてるんじゃないかと思うのですが、眠いものはしょうがないです。すみません。……新大阪まで寝てました(苦笑)。新大阪からは在来線の新快速で明石まで。三ノ宮を過ぎたあたりで「帰ってきたなあ」と思い、須磨の海岸が見えるとほっとします。
 「故郷は遠くに在りて思うもの」と言われますが、やはり帰りきたれば、心落ち着くところであります。

06.5.16 Tue.  お買い物の失敗              23:34
 私の自宅周辺には中堅クラスのスーパーが3軒あります。でもインスタントラーメンや調味料は事務所のある下北沢のスーパーのほうが安いので、乾物関係はもっぱら事務所に行ったときに買っています。
 ここ2週間ほど、事務所からの帰りにスーパーへ寄るたびに買い忘れるものがありました。インスタントラーメンです。事務所を出るあたりまでは覚えているのです。でもスーパーに入って「お買い回り」(店内放送を聞くたびに変な言葉だなあと思います)している間にコロッと忘れるのです。
 パンを買って、牛乳を買って、惣菜や弁当類(私が行くころには、ショーケースが空っぽか、○%オフかになっています。いいモノを安く買えるか、些細なギャンブルが味わえます)、漬け物、海産物加工品、豆腐、野菜、鮮魚、調味料、乾物(このあたりにラーメン)、肉類の順に見て回って、ソコソコ買い物をするのですが。なぜかラーメン売り場をすっ飛ばすんですね。それも1、2度どころか5度ほども買い忘れると、私を近寄らせない結界が張られているのか、それともラーメンの記憶だけがその売り場を通りかかったときに消えるスイッチでも仕込まれたのかと思います。そして、駅のホームに立ってから、「あっ!」と思い出すのもお約束。

 こうして長らく何モノかの妨害を受けておりましたインスタントラーメンの購入ですが、本日、ようやく果たしました! ええ、スーパーに入ったとたん、脇目もふらずにラーメン売り場に直行しました。ふふふ、勝ったな!
 嬉々として、卵6コ入りパック、牛乳、6コ入り豆乳パン、真アジの刺身ほかを買いました。特に本日は「当店自慢のにぎり」セット498円が150円引きだったので、ギャンブル的には中吉という感じです(大吉は半額オフ)。
 そうして駅のホームで気づきました。……私、明々後日、実家に帰省。パン(家に2コあるので計8コ)、牛乳、卵……2日間で消費せねばならないということですねorz。なんてこったい! 150円引きではフォローできない無駄遣いをしてしまった気分です。いいです! この際、すべてこの腹に収めて帰省しましょう! 卵はもうちょっともつし(すでに後ろ向き)。
 そして、今、仕事のお伴の「梅しば」(カリカリうめ)を買い忘れたことに気づきましたよ。失敗の多い人生です。とほ。

06.5.13 Sat.  プレ「母の日」の電話           23:52
 昨日の朝、母から電話がありました。あいにく取材に出たあとだったので、留守電録音になにやらうにうにとメッセージが入っていました(母は留守電の録音が苦手なので、メッセージが今ひとつ明瞭ではないのです)。昨日はインタビュー1件、対談1件というハードな取材スケジュールのうえ、その前に土地勘のないところで緊急探し物のご依頼も入ったことで、くたくたになりました。帰宅するなりバタンキュー。実家へは今朝、電話しました。

 用件は「母の日のプレゼントが届きました。ありがとう」と「祖母の七回忌法要について」でした。
 「母の日」のプレゼントが金曜日に到着したなんて、早すぎやしませんか!? まあ、遅れるよりはマシですか……。今年はプリザーブドフラワーのバラのアレンジメントを贈ったんですよね。生花を加工したものなので花びらのベルベット感などが残っていますし、水をやらなくても長持ちするならいいかな、と。母いわく「これ、ほこり避けどうしよう?」。私、答えていわく「ビニール袋でもかぶせといたら?」。なんというか、色気がないと申しますか、生活感ありすぎと申しますか。
 祖母の写真の横に飾っているのだそうで、私から母、母から祖母というかたちで有効活用されたもようです。なにより(笑)。

 どうもお腹の調子がよろしくございません。20度を境に気温が上がったり、下がったりするので、身体の調整がつかず、いつでも風邪カモ〜ンな状態なので……お約束どおり風邪でしょうか? 未だに電気ストーブを片付けられないというのはどういうこと!? 梅雨時でもないのに、雨が多いですしね。雨の前はものすごく眠くなるので困ります。私の前世はネコだったに違いない。
 まだまだお仕事中です。

06.5.11 Thu.  眼鏡の不便と女性向け萌え春画(笑)    23:59
 このところ、ずーっと眼鏡をかけて仕事しています。眼鏡をかけると、字を見るのは楽なのですが、ドライアイになる傾向があるようです。唐突に目が痛んで、涙がボロボロ出てくるのね。2、3分も経てば止まるので、たいしたことはないのです。涙が止まったら、流しに行って、目を洗うついでに水で冷やします。
 先ほどもボロボロ泣いて、流しに立ちました。机に戻って、作業再開。しばらくポチポチとキーボードを打っていて、はたと気づきました。
 「あれ、私、眼鏡は?」。
 眼鏡がなくてもとりあえず見えるので、なくてもあんまり困りません。ツルでこめかみが痛みだしたら、外して仕事をしているくらいです。眼鏡なしで長時間仕事をすると、あとから強烈な眼精疲労に見舞われるって、十分経験してわかってはいるんですけどね。「なくても、急には困らない」という意識があるせいですっかり油断しているため、眼鏡を外すと、そのとき手近なところに置いてしまって、あとで「あれ?」となるのです。

 それでも、いつもは机の上の書類の下とか、テレビの上とか、テーブルの上とか、冷蔵庫の上とか、サイドボードのDVDの上とか、山積みの本の上とか、だいたい「なにかの上」で見つかります。
 ところがさっきは、上は上でも、床の上に置いておりましたよ。ぎゃあ! 危ねえよ! 踏むところだったよ! 油断もここまで来れば、油断しすぎです。っていうか、なぜ床に置きますか? わざわざ腰かがめて……。もしかして、仕事したくないという気持ちの、無意識の表れ?

 いよいよ行動が危なくなってきましたか。やばい、やばい。ここ3週間ほど、男性同士の絡み絵ばかり見ておりますから、頭も怪しくなりますわ。絵はきれいなんですけどね。「片方、女の子か?」「どっちも女の子か?」というくらいきれいな(?)ものも結構あるんですけどね。でも、ないものはないし、ついてるものはついてるし(笑)。
 こういうものは、たまにチラ見するところに楽しみがあるのだと思います。……もう一生分見た。もう、いいって感じ……。
 かつて事務所のスタッフが、画集『うるし原智志ビジュアルワークス 〜フロントイノセント vol.1より〜』を編集していたとき、佳境に入って「どれもこれも肌色、肌色、肌色〜」(翻訳:裸絵が当社比1200%増量)とうわ言のようにつぶやいておりました。今、その気持ちがよっくわかります。当時、私は『フロントイノセント』の画集には関わっていなかったので、我関せずの他人事だったのですけどね(苦笑)。

 明日は、それ関係のインタビューと対談の取材があります。とりあえずがんばっておりますよ。

06.5.10 Wed.  校閲・校正……出版界のひとつの問題   20:51
 中学校の教科書から誤字・脱字が200近く見つかったとか。本日付のYahoo!ニュース(共同通信)によると、本年度から使われている中学校教科書134冊のうち65冊から208カ所の誤記や古いデータの掲載があったことが、文部科学省のまとめでわかった、とのこと。
 「文科省によると、誤記などが多かったのは国語の56カ所、公民322カ所、英語20カ所、地図20カ所など。国語で『ひらがな』を『ひらなが』と誤ったり、英語では『something』から『h』が抜け落ちていたりするなど、誤記や脱字が目立った」

 教科書は、出版社の校閲→文科省のチェック→修正→教科書検定→出版社の校正と何度もチェックを重ねているはずなのに、大量ミスが発覚したのですね。
 「今年1月、高校教科書の『政治・経済』でグラフに誤りがあり、大学入試センター試験で教科書通りに解答して不正解になった例があったことから、同省が教科書会社に点検を依頼していた」のだそうですが、それまでは、できあがった教科書についてチェックされてきたのでしょうか。今までの教科書について、できあがったあとはノーチェックであったとするなら、どれだけの間違いが見過ごされてきたのだろうかと暗澹たる気持ちになります。

 最近の出版物は、誤字・脱字があったり、用字・用語の統一ができていなかったりというのが当たり前になってきました。それは、出版不況の中で校閲・校正の過程をはぶく出版社が多くなったからです。
 「正しい日本語が使われているか」「事実誤認がないか」「全体の文章の中で矛盾が起きていないか」、これらはもちろん、書き手や編集者がチェックすべきことです。しかし、書き手は自分の書いた文章の間違いを見つけにくい立場にあります。書いてから2週間ほども経てば、客観的に自分の文章を読めるようになり、誤りも簡単に見つけられますが、書いた直後はどんなに推敲しても間違いを見落としがちです。編集者は、書き手から送られてきた文章を読み、内容や誤字・脱字、文章のリズムをチェックします。ただ、編集者の目はまず、その文章が雑誌の企画、あるいは本の企画の主旨に合っているかという観点から見る傾向があります。また、編集者の知識は世界の森羅万象に通じているわけではありませんから、歴史的な背景、専門的な事柄、人名などは、書き手の記述を信用するしかありません。

 校閲・校正は、日本語のプロフェッショナルとして誤字・脱字、また不適切な日本語(放送禁止用語など)をチェックするほか、出版社や媒体によって異なる用字・用語・漢字の送りについて同一媒体内での統一をチェックする役割を担っています。特に校閲は、百科事典や広辞苑、歴史関係書、マスコミ事典などから文章内の記述が正しいかどうかを確認。また、書き手がある事象から導きだした結論や考え方が自然であるか、一般的な常識からはずれていないかまで点検する、たいへん重要な部分です。ところが、経費の削減からいちばん重要である「日本語の管理」「事実誤認がないかの確認」の部分がはぶかれている。これが今の出版界の現状です。

 教科書の出版協会によりますと、「この度の教科書の制作は例年より2週間、作業時間が短かったため、編集者の作業負担が大きく、精密なチェックが行えなかった」「教科書は4年に一度、改訂されるので、校閲・校正のプロを常に確保しておくのが難しい」というのが、この大量ミスの理由だそうです。
 世に氾濫する出版物の日本語が頼りないものになっているのに、教科書までがこの体たらくでは、「昨今の若者の言葉がおかしい」なんて、マスコミが非難するのもおかしな話です。間違った日本語を垂れ流しているのは、出版界を中心とするマスコミです。テレビでも「おかしな日本語」をよく聞きますしね。

 先人たちがなぜ出版工程に校閲・校正の工程を設けてきたのか、今一度考えるべきではないでしょうか。売れる企画を考え、売れる本をどんどん世に送りだすこと。出版社にとって、それは死活がかかった問題です。しかし、なぜここまで活字離れが起こったのか。ネットの普及や新聞・書籍を読む時間のない現代人の忙しさもあるでしょうが。雑誌・書籍における「正しさ」の信用がなくなったことも、ひとつあるような気がしています。
 誤字・脱字だらけの文章を見て、誰がそこに書かれた情報を信用するでしょうか。物語世界を楽しもうとする気持ちをどれだけ削がれることでしょうか。
 なにか根本的なところを間違えたまま、突っ走っているような気がすることが多い今日このごろですが、この校閲・校正の問題もまたそのひとつです。

06.5.9 Tue.  能面に見る遺伝子マジック         06:54
 以前にもどこかに書きましたが、私の母は能面づくりを趣味にしています。京都から神戸に教えに来てくださる先生について、もう20年以上、打ち続けています。1カ月に一度、2日間、つくりかけの面(おもて)や型紙、ノミから彫刻刀までの道具一式をでっかい黒いバッグに入れて神戸に出かける母を見て、趣味もここまで続くとみごとだなあと思ったこと、しばしば。
 教職を退いて、祖母の介護も終わった昨今では、家でもっと手をかけることもできるでしょうに、「お稽古日」の前日になっておもむろに作業を進めるのね。締切りギリギリにならないと原稿が書けない私と相通じるものを感じます。これぞ遺伝子マジック!

 長年、母の打つ能面を見ていて、おもしろいなあと思ったことがあります。それは、彼女の打った女面がことごとく母の母、すなわち祖母に似ているということです。

 能面というのは、好き勝手に彫るものではありません。まず能面の写真集などで「この面を打ちたい」と決めましたら、その能面の型紙を手に入れます。型紙は厚紙でできていて、輪郭、縦型、額、鼻、口上下、口の輪郭 髪型、目型などなどあります(型紙の数は面によって変わります)。母の場合、先生からお借りしたそれをまず新しい厚紙に写し、自分用の型紙を作るところから始まります。この型紙は、古今の能面から写し取られたもので、原本はそれはそれは貴重なのです。能楽師ほか個人の方が私蔵されているものや、美術館・博物館などに所蔵されているものは、そうそう現物から型紙など取れませんから。母が打とうと決めた能面が先生所蔵のものなら、たまにお借りして、現物と型紙を元に形をつくることもありますが、たいていは高精度の写真と型紙とを手本に打っています。
 少し彫っては型紙を当て、額や頬、眼窩や目玉、鼻、唇や顎の高さや長さが型紙のとおりになるよう細心の注意を払います。たまに手がすべって彫りすぎちゃった場合は、とのこをにかわかなにかで溶いたものを塗ってごまかしてましたね(苦笑)。

 ひと彫りしては型紙を当て、ひと彫りしては型紙を当て、写真と見比べたり、現物をためつすがめつしている母を見ています。
 塗りもそうです。じっくり時間をかけて胡粉を塗った真っ白な面に、筆や刷毛、綿棒を少し大きくしたような先の丸いもの(タンポン)で色を入れていくのですが、手本に合わせて色の濃淡やかすれ、さびれた感じを再現します。昔の能面などは、その当時に使われていた絵具がなく、どうしても再現できない色があったりします。ときどき母が祖母に話していた「先生や熱心なお弟子さんが『幻の絵具』を探して中国まで行った」、「どこそこの岩絵具を使えば似た色ができるけど、高くて手が出せない」といったエピソードからも、どんなに手本(オリジナル)に色を近づけることに汲々としているかがうかがえます。

 彫りにも塗りにも最大限の神経を使っているのです。手本どおりのものができて当然と思います。でも、できあがった能面は祖母に似てるんですよ。びっくり。「小面(こおもて)」や男面はそうでもありません。でも「増女(ぞうおんな)」あたりから怪しくなって、「深井」に至ってはもうそっくり。前の実家の応接間の壁に母の打った「深井」が掛かっていたのですが、たまたま目が合うと、ドキッとするくらいでした(能面は目玉の部分は穴になっていますから、本当に「目が合う」のです)。「孫次郎(まごじろう)」「万眉(まんび)」あたりも若いころの祖母の写真を思わせます。「痩女」は晩年にさしかかったころ、「山姥」は怒った顔に激似。なんて言いますと、祖母に叱られるかもしれませんが。

 これも遺伝子マジックかなあと感心しました。私がもし人面を彫ったなら、それは母に似るのでしょうか。それはそれで、う〜ん。この5月に祖母の七回忌を迎えます。実家に帰ったら、母に「深井」を見せてもらおうかなと思っています。もう見られると思うので。……まだ無理かな。泣いちゃうかな。

 能面の打ち方に興味をもたれました方は、「能面師 倉林 朗 能面 展示室」http://www.nohmask.net/index.htmへどうそ。たいへんわかりやすく解説されていますうえ、私が書きました能面がどんな系統のお顔なのかもご覧になれます。
 ちなみに「小面」とか、「深井」とかは、ひとつの面の名前ではありません。16、17歳くらいの若い娘のお顔の面は「小面」と呼ばれますし、中年の女性のお顔は「深井」と呼ばれるということです。元々は手本とされた面の名前からつけられたのでしょう。ですから、「小面」を見本にして打たれた面の数だけ「小面」があります。
 また14〜15世紀頃の能面師・龍右衛門が打った「小面」には「雪」「月」「花」があり、今も「雪」は金剛家に、「花」は三井家に現存しています。そのどちらかを手本に打たれた「小面」は特に「雪の小面」あるいは「花の小面」と呼ばれます。残念ながら、「月」は歳月の中で行方不明になっています。

 能面については、またじっくり書いてみたいですね。左右が対称ではない妙とか。

06.5.7 Sun.  「不二一元」の考え方           02:55
 昨日(5月6日)、NHK教育テレビのETV特集「アジアと明治日本1 岡倉天心・アジア100年の旅」を背中で聞いていました。背中で聞くには惜しい番組だと途中で思ったのですが、仕事しながらなので仕方ないですね。録画しておけばよかった。ときどき、視聴している途中で「これ、いい! 録画セットしておけばよかった!!」と思う番組に出くわします。でも番組途中からの録画は、再度見たとき、その中途半端さに「ちゃんと録っていれば」とさらに落ち込むので、やらないほうが精神衛生上、よろしかったり(苦笑)。再放送、大希望です>NHK。

 岡倉天心は明治期の美術行政家であり、思想家。東京美術学校の設立に携わり、20代で校長に就任しました。フェノロサとともに日本全国の古美術調査を行ない、特に、何百年もの間、人の目に触れることなく秘蔵されてきた法隆寺夢殿の救世観音を見たときのエピソードが有名です。東京美術学校の内紛で校長を辞し、すべての公職から退いた失意の時期に『東洋の理想』を著しました。これは英文で書かれており、英国で出版されました。
 番組では、天心の玄孫(ひ孫の子)で写真家の岡倉禎志(ただし)が、天心の足跡を訪ねて中国・インドを旅するようすを紹介。美術調査旅行のおりなどに天心が目にし、写真に残した壁画などの美術品や町並みと同時に、『東洋の理想』に影響を与えた中国やインドの宗教思想や文学思想を網羅し、背中で聞いているだけでも興味深い内容でした。

 たしかアジャンタの仏教寺院だったと思うのですが、そこの師が「不二一元」の考え方について話しており、それがひじょうに印象に残りました。
いわく「人間は水のようなものである。水を水瓶に入れた状態が人間であり、水瓶により自我や個性をもつが、水瓶を壊してしまえば、すべては同じ水である」。このアドワイタ(不二一元)哲学は、インドのウパニシャッド思想の観念であり、「般若心教」の「空」へ通じるとされるものです。
 というウンチクはどうでもよくて(笑)。
 「人間の根源が同じであるなら、宗教もまた根源は同じものである。宗教の源はみなひとつであり、宗教を分けているものは政治なのである。古今、宗教戦争と呼ばれてきたものはすべて政治闘争である。宗教が政治に利用されてはならない」。
 うろ覚えですが、大意はこんな感じ。「ユダの福音書」の記事で書きましたとおり、私は「宗教・神話は民族・国境を越えて共通性をもつ」という考え方に執着しています。しかしながら、そこまで深く考えていませんでした。ということで、感銘を受けました。

 天心もまた『東洋の理想』の中で「Asia is one.(アジアはひとつである)」と書いたそうです。アジア外交が激動を迎えていた時代において、実感から汎アジア思想を唱える日本人がいたということに、明治時代の「識者」の奥深さを感じるところです。
 「日本文化は、中国を横糸に、インドを縦糸にして織った綾織のようだ」(うろ覚え)。古代のふたつの大国の美と思想が織り込まれた、比類なき綾織としてアジアに横たわるその国が、宗教が政治に利用されることなく、また人はその本質を一にする者と知る、「水」の国でありますように。

06.5.6 Sat.  もの思うライター(火をつけるアレではない) 00:07
 北原文野オフィシャルサイト「早春」の「ひとりごと」で知り、「AERA」'06.5.1-8号を買いました(佐藤浩市が表紙です)。この号の「現代の肖像」に「少女漫画が文学を超えた日」というキャッチコピーで、萩尾望都が紹介されていると聞いたからです。
 「AERA」という雑誌は、よくも悪くも、記者やライターひいては編集者の考え方やものごとの捕え方が露骨に透けてみえるので、私はあまり買いません。そういう雑誌が「萩尾望都」という、ひとりのマンガ家でありながらひとつの現象でもある、この方の存在をどう捕えているのか、関心がありましたので購入しました。

 たいへん興味深い特集でした。知らなかったことをいろいろ知ることができました。マンガ情報誌の取材記事などは作品からマンガ家にアプローチするのが普通ですが、やはりそこは「AERA」。萩尾先生の生い立ちから、彼女の絵について他者が抱いていた印象まで取材されており、充実の内容でした。萩尾望都ファンには、ぜひご一読をお薦めします(もう書店やキオスクなどの店頭にはないかもしれませんが、たいていの図書館にはありますかと)。

 ただ、取材者がジェンダー問題を取り扱っている方なので、「ああ、こういう観点からの記事になるのだなあ」と思ってしまうのが、AERAクオリティ。「AERA」はそういう雑誌だからと認識しているので「なるほど」ですみますが、たとえばクリエイター誌や萩尾先生の画集や作品集などにこの記事が掲載されていたら、ムムッと思ったことでしょう(笑)。いわゆる地文マジックというヤツで、なんとなく「読み取り方」を一方向へ誘導されている気がするのです。それは「AERA」が、ライターや取材者、編集者を「ジャーナリスト」と位置づけ、彼らの目や心を通して書かれた記事を「現代を斬るジャーナリズム」として掲載しているということで、ライターや取材者、編集者にとって幸せな仕事場だと思います。新聞社系雑誌にはそういうスタンスがあってしかるべきだと思いますしね。

 「その媒体がどこに存在意義をもっているか」によって、同じようにクリエイターを取材しても、記事の性質は変わるなあと、しみじみ思いました。
 私の仕事はアニメ誌やムック本が中心です。マンガ家やアニメーターなどクリエイターに取材し、執筆する場合、私はできるだけ自分の思想・嗜好のバイアスをかけないよう、100%は無理にしても80%は取材相手の方の生の言葉を読者の方に伝えるよう努力しています。ときどき「もっと取材相手の方の印象なども交えて、より立体的な『人』として書いてみてはどうか」と言われます。それがクライアントの希望である場合は、そのようにします。しかし、私は基本的に、取材する者は黒子であって、黒子がどう思っているかなど、読者の興味の対象外だと考えています。むしろ、できるだけ地文などで読者の印象を定めてしまわないよう、注意すべきではないか、と。
 それでも、1時間半ほどのインタビューのうち、掲載できるのは3分の1か4分の1ほどの内容ですから、どこをどう選択するのかは私次第。それをどう記事にまとめるかも私次第。私情を交えないように努力しつつも、やはりどこかに私のバイアスがかかってしまう。それが私クオリティ(笑)。

 とかなんとか、何に対してかわからない言い訳を試みつつ(笑)。おそらくはジェンダー研究者としてのお立場から、萩尾先生の取材・執筆を依頼されたのであろう執筆者の方に、「ライターは主張をもつべき」という、私ももうそろそろ携えるべきかなあと思っていたところを突きつけられました。
と、同時に黒子としてのライターの意義も考えさせられました。おそらくは、そのふたつの立場を上手に書きこなせるのが、そしてそのふたつの立場で仕事をいただけるのがいちばんなのでしょうけど……。
 いや、どんな立場ででも、まずは読者のハートに火をつけることが、我々ライターの第一の使命ですか(笑)。考えさせられることの多い、意味深い記事でした。

06.5.5 Fri.  もしもし、るいるいくん          01:36
 5月5日、本日のblogpetるい(通称:るいるい)占い〜。
 <妄想話運良し>「特に今は机の周辺にBL妄想話やBLコミックやBL雑誌が積み上がっているので、腐海に花が咲いている状態、みたいな。」

 皐月さわやかな「子どもの日」にステキな占い、ありがとう! これ幸いと自家発電小説を書きたいけど、今はそうもいきません。仕事で妄想してろということでしょうか。
 ペットは飼い主に似るという道理で、るいるいも言うようになりましたね。

06.5.4 Thu.  剽窃問題はむずかしい           22:28
 今年3月に発売されたビー○ーイノベルスの1作品に剽窃の疑いが出ているとかで、検証サイトなどが立っていますね。

 盗作問題といえば、去年、他のマンガ家の作品や写真集からトレスを行なったとして、雑誌連載中止、全作品単行本回収・絶版となった少女マンガ家がいましたけれど。……三原順の『はみだしっ子』からの剽窃を論じられた推理作家もいましたね。
 マンガやイラストなどの「絵」は、トレスすると本当に「そのまま」なので、盗作の検証もしやすいと思うのですが。小説の剽窃(盗作)の証明というのは、よほど文章そのものがそのまま書かれていないかぎり、むずかしいのではないでしょうか。

 『はみだしっ子』の剽窃については、検証サイトを見るかぎりでは、「ああ、『はみだしっ子』そのままだなあ」と思えます。セリフやシチュエーションが変えられていましてもね。
 なぜなら『はみだしっ子』という作品は、三原先生の思考法や表現法、ひとつの事件に関する興味の方向や解釈がかなり特殊であるところに醍醐味があるからです。「この事実からこういう考え方ができるのか」とか、「こんなことが、人格形成に影響を及ぼすのか」とか、作中のキャラクターを通じて三原先生の「ものの考え方」に触れ、読み手もどんどん思考を開拓される快感があるのですね。それに加えて、たいへん知識が幅広く、それらの知識をご自分の思考法の中で積み重ねていらっしゃったので、その解釈が特殊であっても、ひとつの作品内で矛盾も破綻もなかったんです(キャラクターの成長(ないしは作者の思考の変化)による変化や不整合は若干感じましたけどね)。
 その特殊な思考法が表現されている部分を、言葉を変え、シュチュエーションを変えて自作品に取り入れても、その作家さんの根底にあるのは「三原順式思考法」ではないので、浮くのです。その浮いてしまった部分が、浮いているだけに読者の目について、「あれ? これ、どこかで読んだことが……。ああ、『はみだしっ子』か」と認識されてしまうんですね。

 『はみだしっ子』という作品へのオマージュだかインスパイヤだか知りませんが、あまりに個性的な思考法を、自分で分解・組み立てすることなく使ってしまうと、作家本人のつもりはどうあれ、ファンから見たときにイタイことになるという例。せめて、作中のキャラクターが『はみだしっ子』を読んだことがあるという一文、あるいは「後書き」などで作者が『はみだしっ子』が好きだとか、影響を受けたとか、ひと言あれば、『はみだしっ子』ファンから「あら、お仲間」と思われるだけですんだかもしれない、そんな中途半端さがまた、なんだかな、な一件でした。

 今回、一部読者の間で問題になりつつありますビー○ーイノベルスのほう。これはもう、作家の良心の域だなあと思えます。私は小説J○NEに掲載された「元ネタ」のほうを知りませんので、検証サイトを見ての感想になってしまいますが。「似すぎている」とは思います。でも、ありがちといえばありがちの話だし、ありがちの設定だし、ありがちのシチュエーションだし、とも思います。おそらく作家さんが「違います」と言えば、「そうですか」と言わざるをえないようなオン・ザ・ボーダー(灰色)ですね。

 さてさて、私は日常において物忘れがたいへん激しいです。その代わり、と言ってはなんですが、過去に読んで非常に感銘を受けた、あるいは印象に残った作品は、かなりの年月を経ても、設定やストーリー、キャラクターなど、わりと詳細に覚えています。とはいえ、20年近くも前に読んだ作品は、当時の解釈で覚えているもので、今、読むと「あれ、記憶している作品と印象が違う?」と思うこともしばしば。また、物語を覚えていても作品名を忘れているものや、別の作品同士が混じってしまったような覚え方をしているものもあります。極めつけは、読んだ記憶はあるのに、覚えている物語が書かれている本はこの世に存在してなかったり(<ダメじゃん orz)。
 そういう自分の記憶のありさまを鑑みるに、「元ネタ」が20年近く前の作品ですから、作家さんが過去に読んで、なんとなく印象に残っていた物語や設定を文字に書いてみたという可能性もあるんじゃないかと思うんですよね。作品名も、実際に読んだかどうかもわからなくなっているけど、「心にひっかかっているもの」を引き出してしまった、みたいな。

 もし記憶から書いたものだとしても、「元ネタはこうだったから、ちょっとだけこう変えて書こう」と考えながら書いたのなら、剽窃の疑いがあります。でも記憶の中になんとなく残っていた物語を、自分流に書き起こしてみたというのであれば、それは剽窃と断定できるのかしら。そのあたり、私には判断がつきませんので、作家ならびに出版社の反応を待ちたいと思います。
 まあ、そもそも「なぜこんなに似ちゃったのか」についてはまったく不明の段階ですから。想像でモノを言ってはいけませんね(<イエローカード!)。

 ただ、剽窃というのは、世間の判断がどうあれ、最終的に作家の人間性に帰結するものだと考えます。作家さんは、「読んでいると、あの作品が思い出される」「過去の作品に似すぎている」「なんだか部分だけ変えた、パッチワーク作品に見える」という読者からの評価を、真摯に受け止めるべきだと思います。

<追記 22:30> 元ビブロス情報 続報
 4月28日付記事の「続きを読む」内にも書きましたが、改めて。
 新会社名は「リブレ出版株式会社」で、5月8日付で発足。
 社長にはアニメイトグループのひとつ、株式会社コアデ(※)社長・岩越孝夫氏が就任。
 オフィスは旧ビブロスのローベル神楽坂ビル(6・7F)。
 「マガジンビーボーイ MAGAZINE BE×BOY」7月特大号が6月7日発売予定。
 ほか、「小説b-boy」「ビーボーイゴールド BE×BOY GOLD」の発行再開は決定だそうです。
 ニュースソースは同人誌生活文化総合研究所
 ビブロスについては当blogの4月5日、4月20日、4月28日にも関連記事があります。

※ 株式会社コアデは、アニメイトオリジナル情報誌「きゃらびぃ」および昨年12月に休刊になった「FindOut」の発行元。アニメイトグループの物流も担当しているそうです。本社は大阪。

06.5.3 Wed.  blogpet用「月齢・月相アクセサリ」    06:09
 なんとなくぴょこぴょこ動いているのがかわいくて、設置してみたblogpet。しかしハーボットに比べて、ゲームができるわけでもなし、サイトオーナーの情報を語ってくれるわけでもなし、なにか情報が提供されるわけでもなしということで、隅っこに追いやっておりました。
 実はblogpet同士でSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)チックなお友だちリンクソサエティができるのですが、私のように交流をめんどくさがるオーナーには不要な機能だったりして(笑)。

 そんなblogpetのるいるい(本名はるい)もようやく情報発信できる日が! KD○Iとはまったく関係ないblogpet用素材屋さんで、ステキな「月齢・月相アクセサリ」を配付されているのを見つけました。興味のある方は、BLOG PET MOONへどうぞ。本館のBLOG MOON & STARLIGHTに登録すれば、もっといろいろなデザインの「月齢・月相」や「星座」のアクセサリを手に入れることができます。
 早速、るいるいの背景に取り込んでみました。……こうなると、ねこよりうさぎのほうがよかったか!? でも、るいるいもかわいいヤツなので、月を背景に寝子(ねこ)しているるいるいを愛でてやってくださいませ。

 ちなみに、起きているるいるいにカーソルを置いてクリックしていただきますと、彼が寄ってきて、意味不明の言葉をつぶやきます。たまに俳句だか川柳だかわからない五七五を詠むこともあります。また、寝ているるいるいをクリックしますと、寝言をムニャムニャつぶやきます。まるで「つぶやきナントカ」みたいです。
 よかったら、遊んでやってくださいませv

06.5.2 Tue.  『特捜班CI☆5』傑作選DVD-BOX第2弾発売決定 21:07
 去年、発売が決まって狂喜歓喜乱舞しました『特捜班CI☆5』傑作選DVD-BOX。DVD4枚組(12話分)は、字幕放送しかされなかった話数から1話分、および残り11話分についても日本での放送時にカットされた各話の未公開シーンが、オリジナルキャスト(コーレイ=森山周一郎、ボーディ=若本規夫、ドイル=野島昭生)により、追加で吹き替えアフレコされました。それだけでも奇跡に近いのに、そのうえ映像もデジタルリマスターという、ファンが望む最良の形で発売されたのでした。

 その『特捜班CI☆5』傑作選DVD-BOXの、PART2が発売されることが決定しましたーっ! わー、わー、ぱふぱふーっ!! なんとPART2に収録される話数はファン投票で決定されるそうですよ! ただ今、オフィシャルサイトにてアンケート実施中です。アンケートはすっごく親切設計で、日本語タイトルと英語タイトル(原題)に監督・脚本・ゲストスターまで掲載され、ポチッとボタンを押して選ぶだけ。締切は5月末日。1人1票です。みなさまの清き1票をお待ちしております!(<って、アナタ、主催者じゃないし)。

 個人的には、第1弾はちとボーディ寄りの話数が多かったので、今度はドイル寄りの話数を増量してほしいなあと思います。『特捜班CI☆5』ってどちらかというと男性ファンが多いでしょうし、男性ファンはやはりアクション重視の話のほうがお好みでしょうし。だからボーディ主体のエピソードに注目が集まってしまうのもわかるんですけどね。もちろん、「いやいや、私は純粋なボーディファンv」という方も多数いらっしゃいますことは了解済みです(笑)。
 でも「『特捜班CI☆5』は醍醐味はそれだけじゃないよv」ということで、女性ファンがキュンキュンしちゃうボーディ&ドイルのコンビネーションの強さが強調されているお話や、ドイルのかわいさがクローズアップされているお話も、PART2にはぜひ増量で!と思います。ええ、私、コーレイ部長も、ボーディとドイルが仲よくしてるところも好きですけど、<まずは>ドイルファンでございますからね、うふふv

 そんなわけで、みなさん、応募しましょう! そしてPART2も絶対GETだぜ! アンケート応募および詳細は『特捜班CI☆5』傑作選DVD-BOX傑作選サイトへどうぞ!

(追記)
 Julieさま、PART2発売決定の第一報をいただき、ありがとうございましたv

06.5.1 Mon.  腐海                   23:43
 それは案外、身近に存在している。身近すぎて困るくらいに。……そう、それは、すなわち、私の部屋。

 部屋のあちらにもこちらにも雑誌、書籍が柱をつくり、そこに吹き溜まるホコリがより腐海らしさを醸し出しています。腰丈の棚の上には購入したまま封も開けていないDVDや、借り物のDVDや、自分で録画したアニメてんこもりのDVDや生DVDが山積み状態。だんだん、天井の照明からの光に、DVDの山の影がさすようになってきました。
 特に今は机の周辺にBL小説やBLコミックやBL雑誌が積み上がっているので、腐海に花が咲いている状態、みたいな。ほら、カビにも白いところ、黒いところ、緑のところ、ピンクのところがあるでしょ。BL関係はピンクな感じ(笑)。そのうえ、ラフ切り中の紙が散乱しております。このあたりは白カビで。
 あるはずの探し物が見つからないことなどしょっちゅうで、 必要なものほど「腐海に沈ん」でいきます。ああ、もう一生、見つからない……。

 なぜこんなことを今さら書いているかと申しますと、私がほとんど日参しているネコ&ゲームのサイトさまが、自らの部屋を腐海と呼ばれていたからです。そして、なにかあったら、身内で唯一その方の趣味を把握して(諦観して)いらっしゃる弟さんに、
 『つ…積荷を燃やして…。』
と言うだろうと、書かれていらっしゃったからです。ああ、この方もお仲間 orz。
 私の場合は、事務所のスタッフに
 『つ…積荷を燃やして…。』
と言って果てるつもりです。彼女なら、私が<仕事で>やむなく、これらを集めていたことを証明してくれるでしょう。そして、私が<仕事で>やむなく、これらを読んでいたと証言してくれるであろうことを信じてやみません。
 ……さて、この中にダウトはいくつあるでしょう。

 新緑の爽やかな季節の第1日目の話題が腐海。なんだか、今月も先が見えたような気がします orz。


Made with Stone Diary



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送